3話 これじゃあ、全然仕事ができない家政夫じゃないか!
目を覚ましたのは。
背中に痛みというか、こわばりを感じたからだった。
ゆっくりとまぶたを上げる。
すぐに目に入ってきたのは見慣れない天井。
清潔な梁。
蜘蛛の巣が張っていたり、薄汚れたりなんかしていない。匂いだってそうだ。酸えた臭いもアンモニア臭もしない。
それだけで。
ここは安全だと本能的に感じる。
首を左右に振って状況確認。
そうだここは。
あの魔女の家のダイニングだと思いだした。
がばりと上半身を起こすと、背中がまだちょっとだけ痛い。そりゃそうだ。モザイクタイルの床にそのまま寝かされていたのだから。
だけど腹にはちゃんと薄手の敷布がかけられていて、その気遣いが心を押してへこませた。
いろいろ弱っているのかもしれない。
なんかぼろりと涙がこぼれて、俺はうつむいた。
さっと手の甲でぬぐう。こんなことで泣くなんて。ばかみたいだ。
ぐず、と洟をすすったとき、近づいてくる足音に気づいた。
「あ、起きた?」
「うお!」
顔を上げたらカラスの化け物がいて変な声が出た。
雇用主だと気づいて慌てて立ち上がる。
「あの……え、と。どうなったんでしたっけ」
掛布をつかんだまま、今更ながらオロオロする。
色ガラスのはまる窓の外を見て、もうだいぶん日が落ちたことを知る。
……えっと。
今朝この村について、昼前にはこの魔女の家について……。いまは夕方ということは……。
数時間、気絶していた……ということだろうか。
え。あれだよな。二時間ぐらい外に出てくれって言ってたよな。片付けするからなんとか、って。
「あ! あの、すぐに外に出ます!」
俺のリュックどこだ!
周りを見回したのだけどどこにもない。
「片付けた部屋にいれておいた。荷ほどきはさすがに自分でどうぞ」
「へ?」
目の前にいるカラスの化け物を見る。
「君が気絶している間に部屋を片付けといた。本当はベッドに寝かせてあげたかったけど、さすがに重くて」
声に合わせてふこふことくちばしが動く。
「それにその軍服じゃなくて、きれいな服でベッドに寝たいでしょう? だから、ま、いっかって放置してたけど。ごめんね?」
「いやそんな! そ、その……。申し訳ない……です」
家政夫、俺なのに。
初日から雇用主のお世話になってしまった……。
「あの青の扉が君の部屋ね。わたしは赤の扉だから」
カラスの化け物がダイニングに隣接するふたつの扉を指さした。
やっぱり私室だったらしい。
「わ、わかりました」
「いま、バスタブにお湯張ってるから、着替え持ってお風呂に行ってくれる?」
「は⁉ いやあの! その前に!」
今日の夜から仕事をしてほしいと言っていた。
ということは夕飯作りとか……! いやそもそも風呂の用意も俺の仕事だろう!
「あ、契約書? そっち先、書く? そしたら君が風呂に入っている間に、わたしがイバク商会に契約書提出できるしね」
言うなり、カラスの化け物はさっさとテーブルに移動した。
「わたしはもうサインしたから。ここ、サインして」
「いやあの! 契約書は大事ですが!」
「ペン、これ」
「あ……はい」
「わたしのサインの下に」
「ここっすか?」
「そう」
「はい……っと」
「もう二枚ある」
「了解っす。ここと……これ、っすね」
「ん。ありがと。じゃ、一枚は君の分ね。で、わたしと。これはいまからイバク商会にわたしが届けてくる」
「ありがとうございます……って違う!」
「なにが?」
「俺、のんびり風呂とかに入ってる場合じゃなくて! 夕飯! 風呂! 掃除!」
思いつく限りに羅列すると、カラスの化け物は、こてんと首を右に倒した。
「もういいよ。明日の朝からで。全部終わっちゃったし」
「……おわ……った」
最悪だ。
初日からとんだ醜態をさらしてしまった……。ぜんぜん仕事できない家政夫じゃないか……。
「それよか早く風呂に入って。さっぱりしたほうがいいでしょ」
「いやあの……。いまからでもなにか……」
「明日の朝ごはんからで大丈夫。お風呂のお湯、全部使っちゃっていいから。わたしは朝に水浴びしたし」
「え、水浴び?」
まるでカラスだとの言葉はさすがに飲み込んだ。
「日がまだあるうちにイバク商会に行ってくるね」
「え⁉ その格好で外に出るんですか⁉」
「あ、そうか。君は出征してたから知らないんだっけ。半年前からここに住んで、普通にこの格好で出歩いてる」
「…………そう……なんですか」
「日が落ちてこの格好で出歩くのはさすがに化け物みたいでしょ?」
「いや……。はい」
陽が高いうちでもだめなんじゃないか。
そんな言葉をやっぱり俺は飲み込む。雇用主だし。
スコットは『魔女だからなかなか家政婦のなり手がない』と言っていたけど。
そりゃ……。そうだよな。
こんな格好で村ん中うろうろされちゃあ……。
ちょっとびびるよな。
そんな風に思う俺の前で、カラスのお化けは、もすっと契約書を一枚つかんだ。
コツコツと足音を鳴らしながら木扉に向かう。
「じゃ、わたしは行って来る。君はお風呂入って着替えて」
「あ……。ありがとうございます」
軽く頭を下げると、カラスのお化けは外に出て行った。
がちゃり、と。
金属音が鳴ったところを見ると、鍵をしめて出たのだろう。
閉じ込められた感はあるけども。防犯上確かに必要だよな。
まあ、俺は外出予定もないし、いいか。
さて。
風呂……。
風呂に入れってそういえばずっと言ってたな、あのカラスお化け。
改めて自分の姿を見て、納得する。
復員直後のそのままの恰好。
というか捕虜収容所のまんま。
あそこでは着替えなんてない。季節のいい時期は洗濯して、乾くまで裸でいた。……まあ、それも身の危険を感じてすぐやめたんだが。
冬は寒くてどっちにしろ服を脱ぐことなんてできずに、このまま。
いいことなのか悪いことなのか。どちらかといえば一年の大半が寒い国だったから、ノミやしらみに悩まされることがなかったぐらいだろうか。そのかわり凍傷には苦労させられた。
一応、捕虜収容所を出される前に一度だけ、風呂にいれてもらったことがあるけど。
それ以降、洗濯もなにもしていない。
ノアリアに『手を洗いたい』と申し出たけど、それさえ断られたから、着の身着のままここまで来た。
……さすがに、不快で不潔な格好だよな。
これで「料理します」って言われたって、俺だっていやだ。不衛生がすぎる。
そう気づいて俺はすぐに、青の扉の部屋に飛び込む。荷物や着替えはここにあるはずだ。
室内はこじんまりとしていた。
薄い黄色のガラス窓がはまった部屋で、ベッドと小さな箪笥、それから文机がある。
ベッドの脇に俺のリュックサック。
箪笥は2段。俺の腰よりちょっと低い高さ。
その箪笥の上にはバスタオルと白いシャツ。黒いズボンに黒のギャルソンエプロンが置かれている。これが貸与という制服なんだろう。
バスタオルを持ち上げると、その下にはご丁寧に男性用の下着が置いてあった。
……これも、借りていいんだろうか。まあ……。いま履いているパンツや靴下が乾くまで借りるとしよう。
俺はそれら一式を持って、風呂へ。
ダイニングの奥の扉をあけると、短い廊下があった。
右手側の壁には窓が切られ、中庭の様子が見える。
家庭菜園だろうか。いや、それだけじゃない。園芸植物もけっこう植えられていた。
畑が作られ、井戸がある。
左手側には、当初の想定どおり、トイレと風呂があった。
脱衣所で服を脱ぎ、たらいがあったのでその中に軍服を入れる。
首から下げっぱなしの円錐形の水晶が胸元で揺れる。
で、そのたらいを持って風呂場へ。
バスタブには湯がなみなみと張られていた。……申し訳ない。これ、本当は俺がやらなきゃいけない力仕事……。
風呂桶を使ってたらいに湯を注ぐ。
……恐ろしい。
見る間にたらいの中が灰色になっていく……。げ、俺こんな服をずっと着てたのか……。
軍服はしばらくつけ置きしておくおことにして、今度は自分自身を洗う。
……というか、泡立たん。
汚れすぎて、石鹸が負けている。
三回目にしてようやく髪にも肌にも泡が乗るようになり、爪の先もきれいになった。
ほっとしたが、のんびりしている余裕はない。
残りの湯を使って軍服を何度もすすぎ荒いし、ざっとしぼってから風呂を出た。
タオルで身体を拭いていると、一皮むけた気分になる。気分はゆでたまごだ。
ほんと……風呂って大切だな。
苦笑いして、貸与とおぼしきシャツに手を伸ばし……。
ふと。
壁にかけられた鏡に気づいた。視線が行く。
割と小さめの鏡。
俺の顔が映っている。
首、水晶をぶら下げている革ひも。鎖骨……。
大きさ的にはそこまでしか映らない。
だけど。
背中が映りそうで……。
俺は急いで顔をそむけた。




