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戦地帰りの俺。訳あって、魔女の家で家政夫をしています。  作者: 武州青嵐(さくら青嵐)


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3/16

3話 これじゃあ、全然仕事ができない家政夫じゃないか!

 目を覚ましたのは。

 背中に痛みというか、こわばりを感じたからだった。


 ゆっくりとまぶたを上げる。

 すぐに目に入ってきたのは見慣れない天井。


 清潔な梁。

 蜘蛛の巣が張っていたり、薄汚れたりなんかしていない。匂いだってそうだ。酸えた臭いもアンモニア臭もしない。


 それだけで。

 ここは安全だと本能的に感じる。


 首を左右に振って状況確認。


 そうだここは。

 あの魔女の家のダイニングだと思いだした。


 がばりと上半身を起こすと、背中がまだちょっとだけ痛い。そりゃそうだ。モザイクタイルの床にそのまま寝かされていたのだから。


 だけど腹にはちゃんと薄手の敷布がかけられていて、その気遣いが心を押してへこませた。


 いろいろ弱っているのかもしれない。

 なんかぼろりと涙がこぼれて、俺はうつむいた。


 さっと手の甲でぬぐう。こんなことで泣くなんて。ばかみたいだ。

 ぐず、と洟をすすったとき、近づいてくる足音に気づいた。


「あ、起きた?」

「うお!」


 顔を上げたらカラスの化け物がいて変な声が出た。

 雇用主だと気づいて慌てて立ち上がる。


「あの……え、と。どうなったんでしたっけ」


 掛布をつかんだまま、今更ながらオロオロする。

 色ガラスのはまる窓の外を見て、もうだいぶん日が落ちたことを知る。


 ……えっと。


 今朝この村について、昼前にはこの魔女の家について……。いまは夕方ということは……。 


 数時間、気絶していた……ということだろうか。


 え。あれだよな。二時間ぐらい外に出てくれって言ってたよな。片付けするからなんとか、って。


「あ! あの、すぐに外に出ます!」


 俺のリュックどこだ! 

 周りを見回したのだけどどこにもない。


「片付けた部屋にいれておいた。荷ほどきはさすがに自分でどうぞ」

「へ?」


 目の前にいるカラスの化け物を見る。


「君が気絶している間に部屋を片付けといた。本当はベッドに寝かせてあげたかったけど、さすがに重くて」


 声に合わせてふこふことくちばしが動く。


「それにその軍服ふくじゃなくて、きれいな服でベッドに寝たいでしょう? だから、ま、いっかって放置してたけど。ごめんね?」

「いやそんな! そ、その……。申し訳ない……です」


 家政夫、俺なのに。

 初日から雇用主のお世話になってしまった……。


「あの青の扉が君の部屋ね。わたしは赤の扉だから」


 カラスの化け物がダイニングに隣接するふたつの扉を指さした。

 やっぱり私室だったらしい。


「わ、わかりました」

「いま、バスタブにお湯張ってるから、着替え持ってお風呂に行ってくれる?」

「は⁉ いやあの! その前に!」


 今日の夜から仕事をしてほしいと言っていた。

 ということは夕飯作りとか……! いやそもそも風呂の用意も俺の仕事だろう!


「あ、契約書? そっち先、書く? そしたら君が風呂に入っている間に、わたしがイバク商会に契約書提出できるしね」


 言うなり、カラスの化け物はさっさとテーブルに移動した。


「わたしはもうサインしたから。ここ、サインして」

「いやあの! 契約書は大事ですが!」


「ペン、これ」

「あ……はい」


「わたしのサインの下に」

「ここっすか?」


「そう」

「はい……っと」


「もう二枚ある」

「了解っす。ここと……これ、っすね」


「ん。ありがと。じゃ、一枚は君の分ね。で、わたしと。これはいまからイバク商会にわたしが届けてくる」

「ありがとうございます……って違う!」


「なにが?」

「俺、のんびり風呂とかに入ってる場合じゃなくて! 夕飯! 風呂! 掃除!」


 思いつく限りに羅列すると、カラスの化け物は、こてんと首を右に倒した。


「もういいよ。明日の朝からで。全部終わっちゃったし」

「……おわ……った」


 最悪だ。

 初日からとんだ醜態をさらしてしまった……。ぜんぜん仕事できない家政夫じゃないか……。


「それよか早く風呂に入って。さっぱりしたほうがいいでしょ」

「いやあの……。いまからでもなにか……」


「明日の朝ごはんからで大丈夫。お風呂のお湯、全部使っちゃっていいから。わたしは朝に水浴びしたし」

「え、水浴び?」


 まるでカラスだとの言葉はさすがに飲み込んだ。


「日がまだあるうちにイバク商会に行ってくるね」

「え⁉ その格好で外に出るんですか⁉」


「あ、そうか。君は出征してたから知らないんだっけ。半年前からここに住んで、普通にこの格好で出歩いてる」

「…………そう……なんですか」


「日が落ちてこの格好で出歩くのはさすがに化け物みたいでしょ?」

「いや……。はい」


 陽が高いうちでもだめなんじゃないか。

 そんな言葉をやっぱり俺は飲み込む。雇用主だし。


 スコットは『魔女だからなかなか家政婦のなり手がない』と言っていたけど。

 そりゃ……。そうだよな。


 こんな格好で村ん中うろうろされちゃあ……。

 ちょっとびびるよな。


 そんな風に思う俺の前で、カラスのお化けは、もすっと契約書を一枚つかんだ。

コツコツと足音を鳴らしながら木扉に向かう。


「じゃ、わたしは行って来る。君はお風呂入って着替えて」

「あ……。ありがとうございます」


 軽く頭を下げると、カラスのお化けは外に出て行った。


 がちゃり、と。

 金属音が鳴ったところを見ると、鍵をしめて出たのだろう。


 閉じ込められた感はあるけども。防犯上確かに必要だよな。

 まあ、俺は外出予定もないし、いいか。


 さて。

 風呂……。

 風呂に入れってそういえばずっと言ってたな、あのカラスお化け。


 改めて自分の姿を見て、納得する。


 復員直後のそのままの恰好。

 というか捕虜収容所のまんま。


 あそこでは着替えなんてない。季節のいい時期は洗濯して、乾くまで裸でいた。……まあ、それも身の危険を感じてすぐやめたんだが。


 冬は寒くてどっちにしろ服を脱ぐことなんてできずに、このまま。


 いいことなのか悪いことなのか。どちらかといえば一年の大半が寒い国だったから、ノミやしらみに悩まされることがなかったぐらいだろうか。そのかわり凍傷には苦労させられた。


 一応、捕虜収容所を出される前に一度だけ、風呂にいれてもらったことがあるけど。


 それ以降、洗濯もなにもしていない。

 ノアリアに『手を洗いたい』と申し出たけど、それさえ断られたから、着の身着のままここまで来た。


 ……さすがに、不快で不潔な格好だよな。


 これで「料理します」って言われたって、俺だっていやだ。不衛生がすぎる。

 そう気づいて俺はすぐに、青の扉の部屋に飛び込む。荷物や着替えはここにあるはずだ。


 室内はこじんまりとしていた。

 薄い黄色のガラス窓がはまった部屋で、ベッドと小さな箪笥、それから文机がある。


 ベッドの脇に俺のリュックサック。

 箪笥は2段。俺の腰よりちょっと低い高さ。


 その箪笥の上にはバスタオルと白いシャツ。黒いズボンに黒のギャルソンエプロンが置かれている。これが貸与という制服なんだろう。


 バスタオルを持ち上げると、その下にはご丁寧に男性用の下着が置いてあった。

 ……これも、借りていいんだろうか。まあ……。いま履いているパンツや靴下が乾くまで借りるとしよう。


 俺はそれら一式を持って、風呂へ。

 ダイニングの奥の扉をあけると、短い廊下があった。


 右手側の壁には窓が切られ、中庭の様子が見える。

 家庭菜園だろうか。いや、それだけじゃない。園芸植物もけっこう植えられていた。


 畑が作られ、井戸がある。

 左手側には、当初の想定どおり、トイレと風呂があった。


 脱衣所で服を脱ぎ、たらいがあったのでその中に軍服を入れる。

 首から下げっぱなしの円錐形の水晶が胸元で揺れる。


 で、そのたらいを持って風呂場へ。

 バスタブには湯がなみなみと張られていた。……申し訳ない。これ、本当は俺がやらなきゃいけない力仕事……。


 風呂桶を使ってたらいに湯を注ぐ。


 ……恐ろしい。

 見る間にたらいの中が灰色になっていく……。げ、俺こんな服をずっと着てたのか……。


 軍服はしばらくつけ置きしておくおことにして、今度は自分自身を洗う。


 ……というか、泡立たん。

 汚れすぎて、石鹸が負けている。


 三回目にしてようやく髪にも肌にも泡が乗るようになり、爪の先もきれいになった。


 ほっとしたが、のんびりしている余裕はない。

 残りの湯を使って軍服を何度もすすぎ荒いし、ざっとしぼってから風呂を出た。


 タオルで身体を拭いていると、一皮むけた気分になる。気分はゆでたまごだ。


 ほんと……風呂って大切だな。

 苦笑いして、貸与とおぼしきシャツに手を伸ばし……。


 ふと。

 壁にかけられた鏡に気づいた。視線が行く。


 割と小さめの鏡。

 俺の顔が映っている。


 首、水晶をぶら下げている革ひも。鎖骨……。


 大きさ的にはそこまでしか映らない。


 だけど。

 背中が映りそうで……。

 俺は急いで顔をそむけた。


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