2話 契約成立だ。握手を
「得意料理はなんですか?」
だけど意に介せず、くちばしがふよふよ揺れた。
「え……っと。なにがお好きですか?」
なにが正解かわからずに質問に対して質問をしてしまった。
「肉料理はちょっと……。魚か根菜類を中心に料理してほしい」
「わかりました」
「デザートもときどきほしい」
「……あ。……は、い」
正直、そっち方面は疎い。とたんにくちばしがしょぼーんと下がるから俺は急いで言葉を継いだ。
「すぐに覚えます!」
「うん、よろしく。あと、掃除は毎日してほしい」
「もちろんです」
「洗濯はいい。自分で洗うから」
「あ」
言ってから、慌ててうなずく。そうだ。カラスのおばけのように思っていたが、「魔女」だ。女なんだからやはり洗濯は別がいいだろう。
「それでは、なにか聞きたいことがあればお答えしますが」
そう尋ねられ、俺は前のめりになる。
「イバク商会からは『住み込み』ということでしたが、それは……大丈夫、ですよね?」
さっき、「女ものの制服しかない」と言っていたし……。いやそもそも家政婦希望だったんだ。男の俺が住みこんでも……大丈夫か?
「うん。住み込みで」
「よかった……」
ほっと息を吐くと、頬が緩んだ。なんだか数年ぶりに弛緩した気分で椅子に座りなおす。
「ほかに聞きたいことは?」
「特にないです」
「給金の金額知ってる?」
「はい。それはイバク商会から聞いています」
住み込みでまかないつき。……だからまあ、ちょっとだけお安めだけど、住居費も食費もいらないのだ。まるまる貯金できる。
それに三か月後からは退役軍人恩給が支給されるのだ。
それまでのつなぎ……といえば悪いが、衣食住が保証されている職と言えばこれしかなかった。ぜいたくを言えば罰があたる。
「んじゃ、合格ということで」
「え? いいんですか?」
「ん? こっちはいいけど」
「ほかの応募者とか……」
「いません」
「あ……そう、ですか」
「あれ? でも」
くちばしが小首をかしげる。そして深緑色のガラスが俺をとらえた。
「あなたの住所が書かれていないけど。どこに今後のことを連絡したらいい? イバク商会?」
「え……あの。合格……なんですよね? 今日からここに住み込みで働けるんですよね?」
「合格だけど、住み込み部屋とかまだ用意してないんだよね」
「そんなの、俺が自分でします!」
「いやまだあなたお客さんだから」
「じゃあすぐに雇用契約を!」
「なんかすごい前のめりだけど。見た感じ、復員したてでしょ?」
くちばしがついっと動く。その先にあるのはリュックサック。ついで深緑色のガラスが俺の全身を眺めた。
「しばらくゆっくりしたら?」
「あの……。住む場所が……なくて」
言ってしまってから、しまったと後悔した。
これは最低限必要な信用だったんじゃないだろうか。
住む場所がない25歳の男ってどうなんだ?
「ああ、出兵してたから? そりゃそうだよね。賃貸物件に住んでいたら、そこ引き払ってから行くだろうし」
くちばしが、ふむふむと動く。ほっとした。勝手に解釈してくれている。
「うーん。どうしようかな……。親兄弟とかは? 数日だけでも頼れない?」
黒手袋をはめた手で、仮面の表面をポリポリと掻く。
「ほんと部屋がさ……。片付いてなくて」
「いやそれは大丈夫です。自分でやるんで」
「って言ってもさぁ。女性が来ると思ってたし。最低限こっちも隠したいものがあるんだよね。男性だってそうじゃない?」
言われればぐうの音も出ない。そりゃ同性が同居すると思っていたけど、異性が来たらやっぱり見られてまずいものや整理したいものだってあるだろう。それを「俺が片付けますから」と言ったって……なあ。
「親兄弟は……いません」
いるといえばいるんだが……。正直、頼れない。
「ん? 身元保証人欄にこれ、ダントンってあるけど。これ、小間物屋のダントンさんじゃないの? 親戚とかじゃなくて?」
黒手袋の指が紹介状の保証人欄を指さした。
ダントン家。
この村で小間物屋をやっていて、復員後はその小間物屋を継ぐことになっていた俺の婿入り先。
「元婚約者の家です。今回、保証人だけは引き受けてくれるって」
恐る恐る口にして、反応をうかがう。
だけど深緑色のガラスはつるんとしていてその奥にあるはずの瞳はうかがい知れない。
表情なんてもっとわかるもんか。仮面と長衣のせいで肌も髪もまったく見えないのだから。
「元婚約者」
「その……復員したら結婚する約束だったんですが……捕虜交換で帰還してみたら」
「ああ、戦死の報告が間違って行っちゃったのか。で、帰宅してみたら、別の男と世帯を作ってたってわけ? よくあるといえばよくある話だよね」
これも勝手に納得してくれたので、俺は奥歯をかみしめてうつむいた。
……本当は、違う。俺が生きていることは知っていた。
捕虜になったことも。
気づけば力いっぱい軍服のズボンを握り締めていた。
こびりついた泥をはたいたのに、それでも汚れが残る軍服。そりゃそうだ。洗濯なんてしてないんだから。風呂だってもう何日入ってないだろう。解放されて王都に行って……そこから……。あれ。解放されたのいつだった? 何日前だ?
ようやくこの村について……。
ノアリアに会ったのが今日の朝で。そこでいろいろ話して……。
軍から支給された当座のカネをノアリアにご祝儀だって全部渡して……。
そしたらスコットさんが来てくれて……。「すぐに仕事を手配してやる」って言ってくれたけど。
あれも結局、親切とかじゃなくて。
村の誰もが俺を家におきたくないんだって気づいて……。
それで……。
「あの……だったら」
俺は顔を上げてぼそりと言った。
「その……その辺にいるので」
そこまで考えて、もうどうでもよくなってきた。
いや、考えたくなくなった。
野宿なら慣れている。捕虜になるまでずっと野ざらしで寝てたじゃないか。いまさら数日どこで過ごしたって……。
「あ、そう? じゃあ二時間後に戻ってきてくれる?」
「え? 二時間後?」
立ち上がった姿勢で俺は動きを止めた。
目の前にいるカラスの化け物は、こっくりとうなずく。
「事情があるならなんとかするよ。部屋を一気に片付ける。で、荷物を置いてもらって……そのあとに契約書にサインしようか。そしたらイバク商会に今日中に契約成立の連絡ができるからね。だから夜からもう仕事しちゃう感じでお願いしていい?」
「夜から……仕事?」
「いきなりすぎた? 明日の朝からがいい? だったら外出がてら自分の夕飯は自分で用意して」
「いや、それはいいっす! 今日の夜から仕事しますが! あの!」
「なに?」
「今日から……ここで住み込んで……?」
「うん。よく考えたら、ちょうど、というか……明日から仕事が忙しくなるんだよね。だからわたしの衣食住を世話してくれる人がいると助かるんだよ」
仮面が上がり、ふわん、とくちばしが揺れた。黒手袋をはめた手が俺に向かって伸ばされる。
「契約成立だ。握手」
正直、ほっとした。
ものすごくほっとした。
この村に戻ってきて。
ノアリアを見て。
そのときにもほっとしたけど。
それよりも断然ほっとして。
ああ。
帰ってきた。
もう戦地じゃないところで眠れる。
そう思って。
息を吐いて。
肩の力が抜けて。
足がもつれて……。
「あああああ⁉ ちょ、君⁉」
俺はカラスの化け物の悲鳴を聞きながら、あっけなく気を失っていた。




