35話 魔女さんが、カラスになった日
「その、魔女さん……」
「ん?」
口元についたスコーンのかけらを拭う魔女さん。
ペリドットみたいな瞳と、月光のような肌。きれいな金髪ままっすぐで、砂金のような光を孕んでいる。
「……いつから、カラスの頭をかぶっていたんですか?」
王女様は魔女さんの素顔を見て、一目で「ハイル」と呼んだ。
ほかの貴族たちもそうだ。
エクセレーナ伯爵令嬢だとすぐに気づいた。
ということは。
彼女は幼いころからカラスの頭をかぶっていたわけじゃないことになる。
少なくとも、ある程度成長してから彼女は顔を隠し、長衣で身を覆っているのだろう。
「高等部を卒業したあたりかな」
魔女さんはグラスを傾け、ワインを静かに飲んだ。
「オリウルも熱心に誘って来たし……。教授の勧めもあって魔術学院に進学するつもりだったんだ。まあ、父と兄は大反対だったけど」
「魔術学院……。そういえば、オリウルさんが魔女さんのこと、在野の魔術師って言ってましたね」
進学、しなかったんだ。
「推薦がとれて喜んだのもつかの間。噂がたった」
「噂?」
「教授に色目を使った、と。それで推薦枠を勝ち取ったんだ、と」
そんなこと……。
魔女さんを知っている人なら誰も思わないだろうに。
「推薦枠自体が少ないからな。みな、必死なんだろうけど……。なので、推薦を辞退した」
「……そんな」
「それで、一般入試に行ったんだ。カラスの頭をかぶって。入試職員には身元を明かしたけど、志願者は最後まで私だとわからなかった。で」
魔女さんは肩をすくめた。
「もちろん合格した。合格者を張り出す掲示板はちゃんと私の名前と受験番号が記載された。ハイル・エクセレーナと」
「……でも、魔術学院に行かなかったんですか?」
「行くもんか、バカらしい。ありがたいことに貴族の娘だからね。王立図書館には出入りができる。実験だってここで可能だ」
魔女さんは空になったグラスにワインを満たした。
「もともと、王立学院のころから容姿のことでいろいろ陰口をたたかれることも多くて……。ご学友になったのも、男に取り入ったからだ、とか。どこどこ公爵に色目を使った、だの、なになに子爵令嬢の婚約者を横取りしただの……。いろんな言いがかりをつけられ、ほとほと嫌気がさした。そんなときに」
ぐい、と魔女さんがワインを飲む。
「兄と父が見合い話をじゃんじゃん持ち込んできて……。魔術学院などもってのほか、高等部を卒業したら、嫁げ、子を産めとうるさいのなんの。だから」
魔女さんは肩をすくめた。
「今後はカラス頭をかぶって生活する。それでもよいと言う殿方のところに嫁に行くと宣言して家を出た」
俺はため息しかでない。
誰からも羨望の目で見られていたと思っていた。
これだけ美しいのに、どうして姿を隠すのだろうと不思議だった。
だけど。
あのカラス頭も、長衣も。
魔女さんがこの世で生きていくには必要な鎧だったんだ。
「ひとりで暮らすのは快適だし、気楽だ。だけど、ときどき寂しいな、と思っていたんだ」
魔女さんは口元を少し、ほころばせた。
「家政夫さん……セイファさんが来てくれてよかった」
「俺の方こそ……。前にもお伝えしたけれど。その……居場所を与えてくださって、本当に感謝しています」
「それを言うなら、私もだよ。血はつながっているけどなんの情もない家族とはもう暮らせなかった。ひとりでずっと生きて行こうと思ったけど……」
セイファさんに巡り合えてよかった。
魔女さんの言葉が、じわりと心に広がる。
それは穏やかな熱を持っていて……。とても柔らかく、心地よい余韻を身体中に広げてくれた。
「その……セイファさん」
なんだか急に改まった感じになるので、俺も急いで背筋を伸ばした。
「以前、軍人恩給が出たらやめると言っていたけど……。その」
魔女さんは口ごもると、上目遣いに俺を見た。
「いまでも、それは変わらない……のかな」
「よ、よろしければ」
俺は前のめりになり、拍子に皿に手をぶつけた。ガチャンと派手な音が鳴ったが、魔女さんも俺も気にしていない。
「家政夫……でもいいですか?」
「もちろん」
魔女さんは、ホッとしたように笑った。
それは初めて見る、彼女の素顔での笑みで。
まるでひまわりみたいだ。
パッと周囲を明るくし、未来まで照らすような。
「今後ともよろしくお願いします」
そんな彼女がまぶしくて、俺は誤魔化すように頭を下げる。
くすり、と。
魔女さんが笑ったようだ。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
魔女さんも、頭を下げた。
延長成立。
俺はしばらくずっと。
そう、魔女さんが「もういい」と言うまでこのうちで家政夫をやろうと心に決めた。




