16話 真夜中に魔女さんとばったり
その日の晩。
俺は扉に耳を押し当て、じっと様子をうかがう。
かなりの時間をこの姿勢で過ごしているが、音は全く聞こえない。
それもそのはず。
1時間ほど前に、魔女さんとは「おやすみ」を言ってそれぞれの自室に引っ込んだからだ。
魔女さんは寝つきがいい。
いまごろはベッドで夢の中。
魔法陣を納品し、かつ、昼間あれだけ買い物だなんだと歩き回ったのだ。今日はぐっすりだろう。
よし、と俺は小さく意気込み、カンテラを片手に扉を開いた。
やはり、というか。予想通り、というか。
ダイニングは闇に飲まれている。
ちらりと隣の扉を見た。
起きているのなら、明かりが下から漏れるはずだが……。
部屋の中は暗い。魔女さんは眠っている。
俺はカンテラを片手に、足音を忍ばせてダイニングを歩く。
目当ては、壁に飾られている姿見。
俺の部屋に鏡はなく、洗面所にあるのは顔を映すだけの小さなもの。
割と大きめの鏡となると、ダイニングの壁にかけられた姿見だけ。
俺はテーブルの上にカンテラを置き、ゆっくりと息を吐いた。
思い浮かぶのは、昼間の出来事。
あの高級店の3階。
採寸のために連れて行かれた小部屋で、テイラーに言われたのだ。
『シャツを脱いでいただけますか』
と。
だいぶんまごついて迷った末、俺はうめくように言った。
『すみません、あの……。背中に傷があって……。シャツの上からとか……できますか?』
できない、と言われたら断ろうと思っていた。
オリウルさんの手前、テイラーたちと口裏を合わせて帰ろう、と。
だが、テイラーたちはなんでもないことのようにうなずき、シャツの上から採寸をしてくれた。
いままで、敢えて目を背けてきたが……。
これから生きていくうえで、背中の傷から目を背けるわけにはいかない。
また土木業に戻るとしたら、夏場は暑くて人目のあるところで服を着替えるかもしれない。
水を採掘する際、ずぶぬれにだってなるだろう。そんなとき、いちいち傷を気にしていたら仕事にならない。
もうここらで腹を据えて、自分の背中と向き合おう。
下手に時間を置くと、またためらう。
俺はシャツの裾を掴む。
一気に脱いだ。
きらり、と。
首から下げている円錐形の水晶がカンテラの灯を受けて輝く。
ひやり、と。
春にはまだ早いと思わせる空気に上半身を撫でられた。
鏡に背を向け、ゆっくりと首だけねじる。
ごくり、と生唾を飲み込んだ。
カンテラの明かりに、ぼやりと鏡が光っているようだ。
そこに。
自分の背中が……。
ゆっくりと視線をおろしていったとき。
がちゃり、と。
硬質な音がした。
驚いて、音の方に顔を向ける。
魔女さんの部屋。
そのドアが開いていて。
カラス頭が……。
「わ――――!」
「ぎゃああああ! なんで裸⁉」
薄闇の中でカラス頭を見た俺は叫び、魔女さんは魔女さんで、半裸の俺に毛羽立つ勢いで扉を閉めた。
ばたん、と。
拒絶するかのようなドアの音に俺は我に返る。
そして魔女さんの言葉を反芻する。
は、半裸⁉
言われてみれば、俺、半裸⁉ 夜中のダイニングで鏡の前に半裸って……! これ、なんらかの変態⁉
俺は慌ててシャツをかぶり、魔女さんの扉に駆け寄った。
「ち、違うんです、魔女さん!」
「見てない、見てない! わたしは何も見てないので、続きをどうぞ!」
「続きって……! いや、なにするんですか、俺!」
「知らない!」
「違うんです! 背中の傷を見ようと思って!」
「わたしに構わず、どうぞ……。……ん? 傷?」
ようやく薄く扉が開き、くちばしだけが隙間から出て来た。
「怪我した?」
「その……。捕虜のときに拷問を受けて。背中に傷があるんですが、まだしっかりと見たことなくって……。それで、今日、採寸とかもあったし……。今後も他人に見られたりすることもあるだろうし……。その、自分で見てないとどの程度かわからないし……」
正直、順序だてて説明できているとは思えない。
思いついたままに言葉を羅列しているだけ。
「そうか。もしよかったら、私が見てやろうか?」
ぎ、と。
大きく扉が開いて魔女さんが出て来た。
「あ……いや、あの。でも、かなりひどいらしいんですけど」
捕虜仲間からは眉を顰められ、露骨に顔をしかめるやつもいた。
その噂をどこからか聞いたのだろう。
ノアリアからも『一緒に住むと、傷も見るだろうし。耐えられない』と言われたのを思い出す。
「女性が……その、見たら不快になるでしょうし」
「わたしは医療にも携わっている。多少の傷には見慣れているけど……。家政夫さんが自分で見るのならそれにこしたことはないよ。でも」
魔女さんは、こてんと首を横にかしげた。
「わたしが見て、説明することでワンクッションおけるのなら、それいいかなと思ったんだ」
……確かに。
ずっと背けてきたのに、いま、いきなり見ることができるだろうか。
かといって、醜い傷を女性に見せるのも……。
「とりあえず、わたしはトイレに行ってくる。もともと、それで目が覚めたんだ」
魔女さんはあっさりと言うと、とてとて足音を鳴らしてトイレに向かう。
なるほど。
眠ったと思った彼女が目を覚ましたのはそんな理由らしい。
俺はホッとして、とりあえずカンテラから、ダイニングの照明に火を入れた。
ずいぶんと明るくなったころ、魔女さんが戻ってくる。
すい、と台所に行き、ハチミツ酒の瓶とグラスを持ってやってきた。




