第7話「道理と理」
アナグラムの内部に、わずかなざわめきが広がっていた。
「例の新入り……トリコワ支部長とやり合ったらしい」
「しかも、生きてるどころか……監視対象?」
ひそひそと交わされる声。
その中心にいるのは、俺――佐々木透だった。
(まあ、そうなるか)
気にする必要はない。
問題は――
(この組織、やっぱり一枚岩じゃないな)
視線を巡らせる。
敵意。警戒。そして――
わずかな共感。
そのときだった。
「お前が、例の“論理野郎”か」
低く、重い声が響く。
振り向くと、一人の男が立っていた。
褐色の肌。
白髪。
そして、無駄のない筋肉で構成された身体。
(……デカいな)
ただの大柄じゃない。
“鍛えられている”体だ。
「リドウだ」
男は名乗った。
「道理のアナグラムだ」
(リドウ……“どうり”か)
トリコワと同じ系統の名前。
つまり――
(こいつも“理側”の人間か)
「さっきの話、聞かせてもらった」
リドウは腕を組む。
「理不尽を壊す、だと?」
「まあな」
俺は軽く答える。
リドウはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「……気に入らねぇな」
(ほう)
「だが――嫌いじゃねぇ」
その言葉に、周囲がざわつく。
「俺も、理不尽は嫌いだ」
リドウの目が、真っ直ぐこちらを捉える。
「だから強くなった」
「だから、この組織にいる」
「だが――」
一歩、前に出る。
「最近は分からなくなってきた」
「俺たちは、本当に“正しい”のかってな」
(迷ってるな)
そこに、別の声が重なった。
「リドウ」
静かな声。
だが、場の空気を一瞬で支配する。
トリコワだった。
「無駄な感情に流されるな」
「我々は“理”を守る存在だ」
リドウは、ゆっくりと振り返る。
「……あんたに育てられたからな」
「分かってるつもりだ」
(師弟、か)
なるほど。
だからこの距離感か。
「だがな、トリコワ」
リドウの声が低くなる。
「こいつの言ってること、間違ってるとは思えねぇ」
空気が張り詰める。
「理不尽を嫌う」
「それは俺たちも同じだったはずだ」
「なのに今は――」
「黙れ」
トリコワの一言で、空気が凍る。
「それ以上は、“逸脱”だ」
リドウは一瞬だけ目を閉じた。
そして――
「……そうかよ」
目を開く。
その視線は、完全に決まっていた。
「じゃあ、俺は逸脱する」
ざわめきが広がる。
「リドウ!」
「正気か!?」
誰かが叫ぶ。
だがリドウは動かない。
トリコワもまた、静かに杖を構えた。
「……残念だ」
その声に、わずかな感情が混じる。
「お前は、優秀だった」
「今もな」
リドウは笑った。
「だろうな」
「だから――」
拳を握る。
筋肉が軋む。
「自分で選ぶ」
次の瞬間。
床が砕けた。
リドウの体が、一瞬で加速する。
(速い……!)
トリコワも即座に詠唱に入る。
「対象指定――」
だが、遅い。
リドウの拳が、空気を裂く。
「うおおおおッ!!」
肉体強化魔法。
全身に魔力が巡っているのが分かる。
(単純だが……強い)
トリコワはギリギリでそれを受け流す。
だが、衝撃は消せない。
後方へ弾き飛ばされる。
「……成長したな」
「当たり前だろ」
リドウは笑う。
「誰に育てられたと思ってんだ」
再び激突。
魔法と肉体。
理と道理。
ぶつかり合う。
(いい勝負だな)
だが――
徐々に、差が出始める。
リドウの動きが、わずかに上回る。
「はぁ……はぁ……」
トリコワの呼吸が乱れる。
リドウも無傷ではない。
だが、前に出る力が違う。
「終わりだ」
リドウが踏み込む。
トリコワの体が崩れる。
――決着。
静寂が落ちた。
「……勝ったな」
俺が呟く。
リドウは息を吐いた。
「ギリギリだがな」
そのときだった。
「――今だ」
どこからか声がした。
次の瞬間。
数人の影が飛び出す。
(こいつら……)
見覚えがある。
奴隷たちだ。
「トリコワァァ!!」
怒号と共に、刃が振り下ろされる。
「やめろ!」
リドウが叫ぶ。
だが、間に合わない。
血が飛ぶ。
トリコワの体が、崩れ落ちる。
「……っ」
誰も動けなかった。
「……終わったな」
誰かが呟く。
奴隷たちは、憎しみに満ちた目でトリコワを見下ろしていた。
(復讐、か)
分かる。
だが――
「……後味悪いな」
俺はそう言った。
リドウは、倒れたトリコワを見つめていた。
その表情は、読めない。
「……あんたは」
ぽつりと呟く。
「最後まで、“理”だったな」
沈黙。
長い沈黙。
やがてリドウは顔を上げた。
そして、俺を見る。
「……行くぞ」
「どこに?」
「決まってんだろ」
小さく笑う。
「理不尽、ぶっ壊しにだ」
その言葉に、俺は頷いた。
(仲間、か)
悪くない。
アナグラムは崩れ始めている。
なら――
(ここからだな)
この世界の“構造”を。
全部、ひっくり返す。




