第91話 制御不能
◆オルフェ視点
「レオン、やめろッ!」
オルフェの声が鋭く割り込む。
「落ち着け。さっきの話が本当なら、この女は死んだ瞬間に情報をばら撒く仕組みを用意してる。殺せば詰む」
レオンの刃がリゼの喉に届く寸前。
オルフェの結界が空中で剣を受け止めた。
火花のような魔力が散り、空間が悲鳴を上げる。
「この女を殺すなと言ってる!」
オルフェは必死に、レオンをその場へ縫い止めようとする。
「止めるな」
レオンが唸る。
左腕からまだ血が垂れている。鎖の封印痕が焼けたまま、塞がっていない。肩口の切り傷も、脇腹の打撲も、動くたびに痛むはずだった。
それでも、レオンは傷を意に介した様子を見せなかった。
レナは目の焦点が合わないまま、床に崩れかけている。
その身体を支えようとしたエリックを、レオンの目が捉えた。
「……邪魔だ。お前たちも、殺す」
邪魔者を排除するという判断しかレオンにはないように見える。その様子を、リゼは一歩引いた場所から眺めていた。
「まあ……仲間内で衝突かしら?」
くすり、と楽しげに笑う。
「ふふ。いいわね、その顔。派手にやっちゃってちょうだい」
床に描かれた魔術陣が淡く光を放ち、転移陣が浮かび上がる。
光の粒子が舞い上がり、リゼの輪郭が揺らいだ。
「また遊びましょう、レオン。次は……もっと壊れた顔を見せて?」
その言葉を最後に光が弾け、リゼの姿は掻き消えた。
残されたのは荒れ狂う殺気と、砕けかけた結界。そして理性の綱を、今にも引き千切ろうとする一人の男だった。
***
リゼの気配が完全に消えた。
転移の残滓すら霧散し、館の空気が一瞬だけ凪ぐ。
レオンの殺気だけは消えなかった。
むしろ、濃く、重く、場を圧していた。
リゼが逃げ、自分がレオンを止め、エリックがレナに触れている。あの男から見れば、自分はリゼを逃がした障害物で、エリックはレナに触れている。
それなら、斬るまでだ。
そう判断するまでに、一秒もかからなかったはずだ。
「……どけ。リゼを追いかける」
低く、掠れた声。
レオンにとってはもう、目的を阻むもの全てが敵だった。
オルフェは一歩も退かなかった。足元に展開した多層結界を維持したまま、真正面からその視線を受け止める。
「今、リゼを殺させるわけにはいかない」
声だけは冷静に保った。
魔力の出力は限界近くまで引き上げている。
「あの女の背後にはアロイス家がいる。ここで殺せば、レナを守るどころか、世界ごと動く」
今のレオンに言葉が届くかどうかは、賭けに近かった。
「知るか」
レオンの姿が掻き消えた。
爆音はない。ただ、空間が歪んだような感覚があって、次にオルフェの結界へ凄まじい衝撃が叩きつけられた。ギィン、と硬質な音が響き、魔力の火花が散り、結界の一層目が砕ける。
「……っ」
オルフェは即座に術式を再構築する。
判断が一瞬遅れれば、首が飛んでいた。
(速い。完全に殺す動きだ)
レオンは、ただ感情に任せて剣を振っているのではない。最短の距離を、最短の角度で、最短の時間で通そうとしてくる。剣術と魔術の境目が溶けた、純粋な殺戮の合理だった。
「レオン、やめろッ!」
エリックが叫び、横合いから踏み込む。
剣が光り、拘束系の魔術が放たれた。
「邪魔だ」
レオンは視線すら向けず、剣を振るう。
魔術ごと切り捨てられ、エリックは反射的に跳び退いた。
「っ、完全に、こっちを敵だと思ってる……!」
「分かってる」
オルフェは歯を食いしばりながら応じ、結界を攻撃用に反転させて刃のように展開する。
レオンが正面から突っ込み、オルフェが迎撃する。刃と術式がぶつかり合い、衝撃波が床を抉った。
傷を負ったレオンと、結界で受けるオルフェ。
かろうじて均衡を作っている。
少なくとも、この瞬間だけは。
(……こいつ、止まる気がない)
自分たちは止めるために戦っている。レオンは殺すために戦っている。目的が違えば、振れる力の上限も変わってくる。消耗戦になれば、不利なのは自分たちだ。
「エリック、レナを連れて下がれ!」
「分かってる!」
エリックはレナの身体を支え、壁際に座らせた。
「レナ、聞こえるか。少しだけ耐えてくれ」
返事はなかった。琥珀色の瞳は薄く開いていたが焦点は合っておらず、唇が何かを言おうとして、空気だけを零した。
その首が、支えを失って傾く。
「……レナ?」
エリックの声が強張った。
傷の痛みと、失血と、血の魔力の反動。そのすべてを、細い身体がもう支えきれなくなっているのは、オルフェの目にも明らかだった。
エリックは歯を食いしばり、彼女の身体を抱え直す。
「オルフェ、これ以上はまずい。早く治療しないと」
「分かってる。けど、問題は」
オルフェはレオンを見る。
その碧い瞳は、エリックを捉えていた。
殺気が跳ね上がる。
「……触るな」
レオンが再び踏み込む。オルフェは全力で結界を重ねる。
「……レオン」
オルフェは声を張った。
「今お前がやってるのは、守ることじゃない。壊すことだ」
ほんの一瞬だけ、レオンの動きが鈍った。
だが、その青い瞳はさらに濃く染まる。
「壊す?」
低い笑い声が響いた。
「最初からだ。俺は、全部壊してでも取り戻す」
殺気は膨張を続け、レオンが一歩踏み込むたびに床が悲鳴を上げる。剣に纏わりつく魔力は不安定で、それでいて凶悪だった。
エリックは剣を抜き、レオンの正面に立つ。手の震えはない。ただ、全身が張り詰めている。
「……相手が悪すぎるな、ほんと」
自嘲気味に呟きながらも、剣先は一切ぶれていない。
先に、レオンが踏み込んだ。




