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Fated Oath ─血に抗う者たち─  作者: りんごあめ
第二部 壊す者
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第77話 撒かれた毒

 ◆レナ視点

 

 窓から差し込む光は白く乾き、磨かれた石床に細長い影を伸ばしていた。行き交う生徒たちの靴音、遠くで弾けるような笑い声。いつもと変わらない学院の昼だった。


 ──ただ、その中に混じる視線だけが、今日はわずかに温度が違っていた。


 レナは購買から帰る途中で、それに気づく。


 誰かと目が合う。

 次の瞬間、相手は隣の友人に何かを耳打ちし、口元を小さく歪めて去っていく。最初は気のせいかと思った。けれど、一度では終わらなかった。二度、三度と続けば、見間違いでは済まされない。


「……ねえ、見た?」

「うん。あの子でしょ」

「やっぱりそうなんだ」


 わざと届くように落とされた声が、背中にまとわりつく。


 レナは足を止めなかった。止めるのが怖かった。


 胸の奥で、薄く錆びついたものが疼く。

 この感覚を、知っている。


(……またなの?)


 つい先日のことだ。

 引き出しに針が仕込まれ、教科書の表紙が裂かれ、術式に細工が混ぜられた。あの一連が、ようやく落ち着いたばかりだった。 オルフェが介入し、一旦、波が引いたと思っていた。


 なのに、今日。

 空気の質が、また変わっている。


 前と同じではなかった。

 前は、羨望と侮蔑の混ざった、子供っぽい悪意だった。

 今の空気は、もっと滑らかで、もっと冷たい。


 廊下を曲がった先で、レナは思わず足を緩めた。


 人が集まっている。

 昼休みの終わりにはまだ早いのに、共有掲示板の前にだけ、不自然な人だかりができていた。


「ほんとなんだ」

「やっぱりね」

「だから朝から呼ばれたんじゃない?」


 その断片に、心臓がひやりと縮む。


 朝の教務室。

 削られた成績。

 退学示唆。

 整った言葉で突きつけられた、静かな切り捨て。


 それらが、廊下のざわめきと一本の線で繋がった気がした。


 嫌な予感が、骨の奥へゆっくり染み込んでいく。


 足が勝手に止まる。

 見たくないのに、目だけが吸い寄せられる。


 掲示板の前のざわめきが、波のように揺れた。


「え、本当なの?」

「やっぱり男関係?」

「生活費もらってるって噂……」

「Sクラスで囲われてるんだって」


 その言葉の断片に、レナの心臓が痛みを覚える。


(……私のこと?)


 嫌な予感が、骨の奥に染みつく。

 足が勝手に動き、群衆の背中を押し分けて掲示板の前へと進む。


 そして、見てしまった。


《Eクラスのレナ・ファリスは男漁り》

《Sクラス男子に身体で取り入っている》

《生活費は男に貢がせている》

 

 紙に書かれた文字は、ただのインクなのに、凍える刃より冷たかった。


「……っ」


 息が詰まる。

 喉が塞がり、声が出ない。

 視界の端で、女子生徒たちの視線が笑っている。

 男子生徒たちの目が値踏みしている。


 そのとき、掲示板の前で誰かが紙を剥がした音が響いた。


「なんだよ、これ……!」


 破り取った紙を握りしめ、エリックは唇を噛んでいた。


「ふざけんなよ……!」


 喉の奥から漏れた声は、抑えきれない怒りそのものだった。


 しかし周囲の視線は冷たく、好奇と恐怖と軽蔑が混ざった色でレナを見ていた。


「な、なんで……?」


 レナは掲示板の前で固まっていた。

 紙に書かれた言葉たちが、呪文のように目に焼き付いて離れない。


 エリックは周囲の生徒へ突然声を張り上げる。


「おい! こんなもん信じてんじゃねぇよ! レナはそんなやつじゃねぇ!」


 しかし返ってくるのは沈黙だけだった。

 目を逸らし、逃げるように影が散っていく。


「レナ。これ、ただの噂じゃねぇ。誰かが仕組んだ罠だ」


 その言葉に、レナの胸がさらに冷えた。

 偶然では説明できない。

 最近の不可解な空気や視線。教師からの退学示唆。

 何か大きな意志が動いている。


 その瞬間、横から小さくくすりと笑う声が聞こえた。


「可哀想ね。信じてもらえないのって」


 通りすがりの女子生徒が、嘲るように呟く。


「だって裏で何やってるか分からない子だもん。仕方なくない?」


 それだけ残して、彼女は去っていった。


「あれ、隣のクラスの。マリーだ。何だあいつ」


 そこへ、事情を知らない様子のサラが駆け寄ってくる。


「あれ?どしたのー?二人ともそんな顔して……」


 レナは答えられなかった。

 声が出ない。息もままならない。


 次の瞬間――


「……っ!」


 レナは紙を見ないように顔を背け、走り去った。


 

 ***

 


 ◆マリー視点

 

 その少し前。

 隣のクラスの女子生徒、マリー・エルメラ。

 魔力量も平均以下、家柄にも特筆なし。

 学院の中ではただの「その他大勢」。


 だが、今日は違う。


 制服の袖口を握りしめながら、マリーは震える息を吐いた。

 ポケットには、丁寧に折り畳まれた紙切れがある。

 そこには――


 掲示板に書かれていた内容。


(……これ、貼れば本当に銀貨がもらえるの?)


 心臓が、どくどく鳴っている。

 しかし、その脳裏には昨夜聞いた甘い声がよぎった。


――「面白いでしょう? あんな地味な子が上級生にちやほやされてるなんて」


――「あなたも嫌じゃない? 素質も家柄もない子が、特別扱いされるの」


――「正しいことをしているのよ。学院の秩序を守ってあげるの」


(そうよ……あの子なんか……あんな子のくせに……)


 自分より魔力も才能もなく、社交性もない少女。

 なのに、あのSクラスのレオンが話しかけるのを見た。

 オルフェが名前を呼んだのを聞いた。

 エリックが心配そうに寄り添うのを見た。


 許せなかった。


(なんで? なんであの子なの? 私じゃなくて?)


 嫉妬の棘は、すでに心の奥に根を張っている。


 マリーは紙を取り出し、魔術学院の共有掲示板にそっと貼り付けた。


 瞬間、胸が熱くなった。


 恐怖ではない。

 後ろめたさでもない。


(……見つかれ。早く、誰かが見ればいい)


 その思考に、自ら驚いた。


 廊下で足音が近づく。

 マリーは慌てて柱の陰に隠れた。


「なにこれ……」

「レナって、あの地味な子だよね?」

「えっ、あいつ男に取り入ってんの? 最低」

「やっぱEクラスってレベル低いんだな」


 噂は、火をつけられた藁のように瞬く間に燃え広がっていく。


 マリーの口元が、ゆっくりと歪んだ。


 

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