表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Fated Oath ─血に抗う者たち─  作者: りんごあめ
第二部 壊す者
77/82

第76話 最古の魔術

 ◆レナ視点


 朝の鐘が鳴って間もない頃だった。


 壁に埋め込まれた音声伝達式が、教室の空気を震わせるように淡く発光した。


「レナ・ファリス。至急、教務室まで来なさい」


 無機質な声が、朝の教室へ落ちる。


 一瞬だけ、空気が止まった。

 それから、押し殺したようなざわめきが広がっていく。


「……朝から?」

「何かやったの?」

「もう話いってるんだ……」


 ひそめたつもりの声が、かえってよく響いた。

 誰かの小さな笑いも混じっていた。


 レナは立ち上がる。

 膝が、少しだけ頼りなかった。


 教務棟の廊下は、朝の光が届ききらないぶんだけ冷えていた。

 白い石壁に刻まれた魔術紋様が、足音に応じて鈍く光る。

 歩くたび、自分がどこかへ呼ばれているのではなく、静かに追い詰められていくのだという感覚だけが強くなる。


 通された部屋の机上には、結晶盤と書類が整然と並んでいた。


 見慣れた自分の名前。

 見慣れたはずの評価欄。


 けれど、そこに並んでいた判定に、レナは息を止めた。


「……え……?」


 筆記評価。

 実技補助。

 術式読解。

 導線制御。


 数値そのものは、もともと良いとは言えない。

 特に実技は、いつもぎりぎりだった。

 それでも今までは、出席態度と課題提出、それに真面目さを見られて、どうにか踏みとどまってきたはずだった。


 だが、その横に並んだ総合判定と所見は、まるで別の意味を帯びて見えた。


 実技適性に継続的懸念あり。

 単独遂行能力に不安。

 風紀面含め要観察。


 喉の奥が、ひやりと冷えた。


「何か問題でも?」


 教務主任の声は平坦だった。


「……これ、どういうことですか。私、実技が苦手なのは分かっています。でも、ここまで悪く言われるようなことは……」


「成績自体が突然変わったわけではありません」


 補佐官が、書類から目を離さないまま告げる。


「もともとの評価推移と、直近の実技記録、生活態度、周囲への影響を含めて総合判断した結果です」


 総合判断。

 その言葉が、ひどく冷たく聞こえた。


「問題は成績だけではないんですよ」


 別の紙が、レナの前へ滑らされた。


 上級生との不適切な金銭授受。

 実技における継続的な救援依存。

 特定Sクラス生との過度な私的接触、および風紀攪乱の疑い。


 文字を追うごとに、胸の奥が冷えていく。


 そこに書かれているのは、どれも完全な嘘ではなかった。

 生活資金として、お金を渡されていること。

 いつもレオンやエリックに助けられていること。

 レオンが頻繁にEクラスへ来て、そのたびに教室の空気がざわついていたこと。


 断片だけは本当だ。

 だからこそ、否定しようとすると、自分でも足場が揺らぐ。


「……違います。そんなつもりじゃ」


「つもりの問題ではありません」


 主任の声は冷たかった。


「あなた個人の意図ではなく、周囲にどう受け取られ、どのような影響を与えているかが問題なのです」


 淡々と読み上げられる言葉は、刃物のように正確だった。


「学院は、学業成績だけで在籍を判断しているわけではありません。実技適性、継続性、生活態度、風紀面。その総合評価において、あなたは現在、在籍継続を保証しにくい位置にいます」


 指先が、膝の上で強く食い込む。


「学院は慈善施設ではありません。基準に達しない者を、無期限に抱える義務はない」


 淡々とした言葉だった。

 けれど、その一つ一つが、魔術よりも正確に心臓を締めつけてくる。


「……私は」


 喉がひどく乾いていた。


「退学、なんでしょうか」


 室内が、しんと静まる。


 主任は少しだけ間を置いて、書類をめくった。


「現時点では、まだ決定ではありません」


 その言い方が、かえって残酷だった。


「一ヶ月後に再査定を行います。筆記、実技ともに基準値に達しない場合、在籍継続は再検討となるでしょう」


 再検討。

 その言葉の中に、ほとんど答えが入っていることくらい分かった。


 寮を失えば、行き先はない。

 学院を出れば、偽造された身分も、最低限の庇護も消える。

 村も、母も、もういない。


 帰る場所なんて、どこにもない。


「……分かりました」


 それだけを言うのが精一杯だった。


 席を立ち、扉へ向かう。

 足元が少しだけ遠い。

 床を踏んでいるはずなのに、感覚が薄かった。


 

 ***


 

 ◆リゼ視点


 昼へ傾きかけた頃。

 リゼのいる屋敷の一室には、静かな香が満ちていた。磨かれた魔導ガラスのティーカップが、窓辺の光を受けて淡く光る。


 リゼは長椅子にもたれ、紅茶をひと口だけ含んだ。芳香がゆるやかに広がる。


(……そろそろ始まったかしら)


 もう学院では、撒いた毒が静かに回り始めている頃だ。

 風紀の噂さえ回れば、教師たちは勝手に色眼鏡でその子を見るようになる。


 もともと危うい評価は、ほんの少し厳しく読まれるだけで崩れ落ちる。

 

 学院は勝手に、彼女を切り捨てる。


 人は、自分で見たいものを見る。

 正しさより、面白さを信じる。

 だから、ほんの少し火種を投げれば、あとは勝手に燃え広がる。


 リゼは唇をわずかに吊り上げた。


「人間って、噂ひとつで簡単に目を曇らせるのよ」


 そこに慈悲は微塵もない。


「正しいかどうかなんて、人はたいして見ていないの。面白いほうを、信じるだけ」


 紅茶をすする仕草は優雅だった。

 ただ、その指先には毒針のような冷たさが宿っていた。


 レナ・ファリス。

 魔力の低い少女。価値の尺度が魔力である学院では、存在そのものが脆い。

 追い詰めるのに、力はいらない。ただ、言葉と視線と少しの噂があれば十分。


(あなたの弱点は、とても単純。孤独。それだけ)


 家族もなく、味方も多くはない少女。

 頼るべき相手は、たった一人。

 だが、その相手──レオン・ヴァレントは、決して救済ではない。

 彼に助けを求めるほど、少女の命綱は歪んでいく。


(レナ──次は、あなたが誰にも信じてもらえない状況を作ってあげる)


「……レオンに、助けてって言えるかしら?」


 問いというより、愉悦の独白だった。


(さあ、その調子で罠にかかってちょうだい)


 リゼは微笑む。


 優雅で、美しく、そして残酷に。


 リゼの罠は、人の心と制度を使う、残酷な魔法だった。


 人間の悪意という名の最古の魔術が、ゆっくりと少女の世界を蝕んでいく。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ