第74話 セリル・アロイス
◆リゼ視点
セルトリア王国の外れ、森に呑み込まれたように佇む白亜の別荘。
磨き上げられた黒曜石の門に触れた瞬間、空気が変わった。
魔術的な結界の感触。リゼは、その存在に気づきながらも何も言わなかった。
案内された応接間には、静謐な空気が漂っていた。
高い天井。無駄のない家具。壁には古代式の魔術紋が刻まれている。
「初めまして。アロイス家の次期当主、セリル・アロイスです」
黒髪に無造作な前髪。金縁の細い眼鏡。そして、煙を閉じ込めたような灰色の瞳。
声には抑揚がなく、礼儀だけが整っていた。
リゼは扇子を胸元でわずかに傾け、にこやかに名乗った。
「禁術監察局の外部協力顧問、リゼ・シャルマンです。本日は、模造赤魔石事件について少しお話を伺いたくて」
セリルは席を勧める仕草だけを返す。
座ると同時に、互いの温度を測るような沈黙がひと呼吸だけ落ちた。
「ザイラス・カイゼル。元カリグレア学院生が模造赤魔石を生成していた件は、もちろんご存じでしょう?」
「ええ」
返答は短い。
「では、管理者側としての見解を伺いたいの。彼が作っていた模造品は、本物にかなり近かったわ。あれは赤魔石なのかしら」
セリルはそこで初めて、ほんのわずかに目を細めた。
「――あれは赤魔石ではありません。一般人を使用した欠陥品ですよ。リゼ・シャルマンさん」
リゼは肩をすくめ微笑む。わざと何気ない仕草で脚を組み替えた。
「欠陥品、ね。なら、管理者のあなたにもう一つ教えてほしいことがあるの」
「可能な範囲なら」
セリルは微笑む。
リゼは写真を差し出す。
そこには、レオンの胸元で輝く赤魔石。
「では――こちらはどうかしら。普通の赤魔石とは輝きが違うでしょう? これは何?」
「……これは、古い系譜の術式ですね。市場品ではない。加工痕と輝度が違う」
リゼは肩をすくめた。
「面白いでしょう? それで、いったい何でこんな石が存在しているのか、気になりまして」
セリルは写真を指先で軽く押し返す。
「質問してもいいでしょうか?この石を首にかけている写真の人物は誰なのですか?名を伏せたまま協力を求めるのは、情報屋の礼儀に反すると思いますが」
リゼは形だけ唇に手を当て、楽しげに息を漏らした。
「ふふ……教えたら、少しくらいは協力してくださるのかしら?」
セリルは微かに笑う。
どこか氷の底を思わせる、静謐な笑みだった。
「価値があるならば、当然。情報次第では、相応の扉も開きましょう」
リゼは、わざと時間をかけて答えた。
「……いいでしょう」
その声は、まるで毒の滴る飴のようだった。
「では──少しだけ、教えて差し上げる」
リゼは愉悦を滲ませた声で囁いた。
「──レオン・ヴァレント。学院のSクラス生」
セリルの眉が、わずかに動いた。
「学院からザイラス討伐の栄誉章を授与された青年ですね。──確か、孤児とか」
「ええ。でも孤児には、見えないのよ。育ちの良い青年に見えるわ」
その言葉に、セリルは伏せ目がちに笑った。
まるで、リゼがようやく正しい扉の前に立ったことを確認したかのように。
「印象の観察は悪くありませんね」
セリルの瞳が、赤魔石の写真を静かに射抜く。
「私もファウレスの血族を探しているのですよ」
リゼの呼吸が止まる。虚飾の笑みの奥で、瞳だけが鋭く揺れた。
セリルは続ける。
「その青年が身につけているネックレスには興味がある。あれは普通の赤魔石ではない」
「……それを、あなたが言うのね」
「ええ。ですから」
セリルは穏やかな声で答える。
「協力しましょう、リゼさん。あなたが開けた扉の先には、きっとまだ続きがあるはずだ」
リゼは笑みを深める。
獣が、同じ匂いを嗅ぎ取った時に浮かべるような笑みで。
***
◆セリル視点
扉が閉まる音が消えるまで、誰も動かなかった。
リゼの香水の残り香だけが、空気に薄く漂っている。
「聞いていたか?」
机上の資料を整えながら、セリルが背後の影へ問いかけた。
闇が揺れ、そこから静かに人影が現れる。
白いジャケット。光を弾くプラチナブロンド。
無機質な赤い双眸。
イリア・ヴァレンティアだった。
「ふふ、楽しそうだったね。彼女」
イリアは笑った。
実際は何の熱もない笑みで。
「君の弟と、あの女は繋がりがあるようだ」
セリルは淡々と告げる。
「情報屋だろう? レオンに裏の仕事を回していた仲介人。動くとは思わなかったけど」
イリアの声は軽い。
まるで他人事だ。だが、その瞳だけは動かない。
セリルは視線を写真に落とす。
レオンの胸元で光る赤魔石。
「問題は──あれだ。君の弟が首に下げていたネックレス」
「ネックレス?」
「あれは異常な色だ。市場品ではない。アロイス家の管理下にも存在しない。精製過程が完全に別物だ」
セリルの声は低く、迷いがない。
「赤魔石は死者となったファウレス家の血を変換して作られる。それを扱えるのはアロイス家だけ。この世界の常識だ」
そこで、セリルは書類を一冊開く。
“魔竜の森。消失報告。推定魔力量:特級域”
「だが、あのネックレスは――生きている者の血の色だ。
生身の血から魔石を作れるのは、ファウレス家の術式のみ」
イリアの瞳がわずかに細まる。
笑みは崩れないのに、空気だけが静かに軋む。
「つまりレオンのネックレスは、存在しないはずの術式で生まれた石。魔竜の森でレオンが消した魔力反応。この二つが揃えば、レナ・ファウレスの所在は絞り込める」
「……そういう推測は面白いね。」
イリアは肩をすくめる仕草を見せた。
「で、君はどうするの? 動くの?」
「必要ないさ」
セリルは資料を閉じる。
「リゼが動き始めた。あの女は無駄なく、的確に、他人を壊す。あの女にひとまず任せてみよう」
イリアがくすりと笑う。
「つまり放置、ってこと?」
「そういうことだ。駒が勝手に動くのなら、盤面を乱す必要はない」
「うん、それでいいよ。どう壊していくのか、楽しみだね」
その言葉に、セリルは返さない。
二人はただ、沈黙の中で同じ一点を見ていた。
レナ・ファウレス。
存在が確認された瞬間から、
少女はもう盤上の駒ではない。
世界を動かす芯へと変わった。




