第72話 奇妙なお茶会 後編
◆レナ視点/学院中庭・お茶会
中庭の丸テーブルには、昼の光が流れ込んでいた。
サラが持ってきた焼き菓子と紅茶の香りがふわりと漂う。
けれど、その穏やかな景色の真ん中で──
エリックだけが心底つらそうな顔をしていた。
「……ほんとに連れてきたんだな、レナ」
「うん。助けてもらったし、ちゃんとお礼したくて」
「いや、お礼の次元じゃないだろ……なんでSクラスの問題児を……」
エリックは頭を抱えた。
その横で、オルフェは椅子に静かに腰を下ろした。
姿勢は正しく、動作に無駄がないのに、どう見ても人間がくつろいでいる気配ではない。
「……紅茶しかないけど、大丈夫?」
「飲めれば何でもいいよ。──毒物でなければ」
「入れるかよ!」
エリックが机を叩く。
サラが苦笑しながら紅茶を注ぐと、オルフェは興味深げに湯気を見つめた。
「……なるほど。こういう温かい飲み物を、外で飲む文化があるんだね。無駄と言えば無駄だけど……悪くはない」
「悪くはないんだ……?」
サラがぽつりと呟く。
「むしろ、精神衛生の維持に効果があるのかもしれないね。休息の疑似体験として」
「疑似体験!? 休息をシミュレーションしてお茶飲むの!?」
エリックが悲鳴を上げた。
レナはそんな二人の反応をよそに、クッキーを差し出した。
「これ、食べる?」
オルフェは一瞬だけ固まった。
それは戸惑いに近い反応だった。
「……君は本当に、俺を普通の人みたいに扱うんだね」
「うん。お茶会だから」
「……そうか」
オルフェはクッキーを指先でつまみ、まるで珍しい標本を扱うようにじっと観察する。
「……甘いもの、苦手だったりする?」
「いや。味は好きだよ。ただ……君たちがこうやって共有する意味は、まだ理解してない」
エリックが心底うんざりしたように言う。
「……理解する努力をしろよ。ていうか、お前今まで誰かとお茶したことないのか?」
「ないね。必要性がなかったから」
「俺、帰っていい……?」
「エリック、座って」
サラが肩を掴む。
その時、オルフェがふと視線を横に滑らせた。
レナの頬にある、治りかけた火傷跡。
「……まだ、痛む?」
「えっ?」
オルフェはレナの顔にそっと手を伸ばしかけ、しかし途中で止める。
「……触れるのはやめておこう。君が嫌がりそうだから」
「別に……嫌じゃないよ?」
「……へぇ」
その言葉に、オルフェの目がわずかに細くなる。
観察でも興味でもなく、理解不能が揺らぐ瞬間。
「理解すればするほど、君は不可解だね。俺を恐れても、拒んでもいない」
「……うん」
「それが、気に入らない」
最後の言葉は、小さく、しかし深く落ちる。
エリックが椅子から飛び上がった。
「なんで怒るんだよ!? 助けたんだろ!?」
「怒ってないよ。分析しているだけだ」
オルフェは紅茶を口に運ぶ。
その動作は静かすぎて、逆に不気味なくらい自然だった。
「──レナ。君は、他人の悪意に弱い。それは魔術よりも致命的だ」
「……そうかも」
中庭の空気は、なぜかほんの少し賑やかになっていた。
紅茶の湯気の向こう、オルフェはふっと呟いた。
「……悪くない時間だね」
その声はどこか人間的だった。
穏やかな昼下がりの中庭。
紅茶の香りと、サラの持ってきた焼き菓子の甘い匂いが残っている。
そのテーブルで、四人が談笑していた。
「オルフェって、意外とクッキー食べるんだね」
レナはクッキーを小皿に移してオルフェの元に置いた。
「美味しいからね。栄養効率は低いけど」
「言い方が最悪なんだけど」
エリックの声に、サラが小さく吹き出した。
そこへ、コツン、と靴音が落ちた。
「……何してる?」
声は低く、よく通る。
中庭にいた全員が振り向いた。
レオンが立っていた。
風に揺れる金髪。
表情は平静そのものなのに、空気がほんの少しだけ冷える。
「あ、レオン。お茶会してたの」
レナが躊躇いながら笑顔で手を振る。
「……見れば分かる」
レオンの視線が、まずレナに向き──
その次に、テーブルの人数を一人ずつゆっくりカウントするように動く。
レナ。
サラ。
エリック。
──そしてオルフェ。
視線が止まった。
「…………」
沈黙が三秒ほど落ちる。
オルフェは紅茶を一口飲んだまま、レオンの視線を受け流す。
「楽しかったか?」
「うん、オルフェが来てくれて──」
「そこは強調しなくていい」
レオンは真顔だった。
オルフェはほんの少しだけ口元を緩める。
「レナが招いたから来ただけだよ。……君には関係ない」
「大いにある」
レオンが即返す。
「レナの安全は俺が見る」
「この前、実際に助けたのは俺だけどね?」
テーブルの温度が三度ほど下がった。
サラとエリックが、同時に顔を強張らせた。
これ以上は、本格的にまずい。
「はいはい! 今日はここまで!」
サラが声を張った。
「片付けて解散しよー! な!?」
エリックが必死に皿を掻き集める。
レナは苦笑しながら紅茶を飲み干し、レオンに声をかけた。
「また今度、一緒にしよ?」
その一言で、レオンの機嫌は一瞬だけ和らいだ。
「ああ。……次は俺も最初から呼べ」
「うん」
その横でオルフェが、紅茶を飲み干しながらぽつりと呟く。
「……次も呼んでくれ、レナ」
レオンの目の奥に、雷光が走った。
サラは頭を抱え、エリックは心底疲れたように空を仰いだ。
中庭のお茶会は、静かに幕を閉じた。
***
◆エリック視点/学院中庭
賑やかだった中庭は、ほんの数分で痕跡だけになった。
カップは片付けられ、テーブルの上には紅茶の香りだけが名残のように漂っている。
「ねぇ、エリック」
不意に声が落ちてきた。
柔らかく微笑む気配。
けれど、その声には何の温度もなかった。
振り向けば、銀髪の青年──オルフェ・クライドが、佇んでいた。
「今日のレオンの目。気づいた? あれは理性を制御できない目だ」
エリックは言葉を失った。
気づかないはずがない。
あの瞬間、レオンがオルフェを見た視線は、敵意ではなかった。競争心でもない。
あれは──排除の予告に近い狂気だった。
「……まるで、殺すみたいな目だった」
ようやく声にしたエリックの言葉に、オルフェが小さく笑う。
「それに、あの首元にあったネックレス。あれは通常の赤魔石じゃないね」
その笑顔は、壊れかけた玩具を覗き込む子供のようだった。
「どういうことだよ」
エリックの眉が動く。
「あのネックレスを着けた時期から、レオンの様子はおかしい。何があったかは知らないが、まるで、全てを壊すような目をしている」
オルフェの瞳が静かに細まった。
紫の光が、冷ややかに揺れる。
「レナの世界に、自分以外が存在することを許せない男なんだよ。彼は」
その言葉は、淡々としているのに、背筋を氷で撫でられるようだった。
「レオンの壊れ方次第では、俺たちが介入しなきゃならない。だって、あのまま進めば──レオンは最終的にレナを壊す」
エリックの顔から血の気が引いた。
「……何でレナを?」
「レナが自由でいる限り、レオンは不安定になる。あの男の安定は、レナを閉じ込めた時にしか来ない。友人も、選択肢も、逃げ道も削って、レナの世界を壊す。本人は守ってるつもりだろうけど」
オルフェは立ち上がり、軽く肩を払った。
エリックは、すぐには何も言えなかった。
軽く言われたはずの言葉が、胸の奥で重く沈んでいく。
「……お前、それを分かってて、今日あいつを煽ったのか」
「少しだけね」
オルフェは悪びれもせずに言って踵を返した。
陽の光を受けた銀髪が、風に淡く揺れる。
その背中は静かで、ひどく薄情で、それでも今だけは、エリックと同じものを見ているように思えた。
「エリック」
去り際、オルフェが振り返らずに言った。
「レナから目を離すな。レオンからも」
それだけ残して、オルフェは中庭を出ていった。
エリックはひとり、空になったテーブルの前に立ち尽くす。
紅茶の香りはまだ残っている。
焼き菓子の甘い匂いも、昼の光も、何ひとつ変わっていない。
それなのに、さっきまで穏やかだった中庭が、急に薄い氷の上みたいに思えた。
「……胃薬どころじゃないな、これ」
呟きは、誰にも届かなかった。




