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Fated Oath ─血に抗う者たち─  作者: りんごあめ
第二部 壊す者
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第66話 嘘なら素敵だったわね

◆レナ視点/リゼの館

 

「さ、奥へどうぞ。あなたにお願いしたいものがあるの」

 

 リゼの声は柔らかかった。

 先日のカフェと同じ、穏やかな響き。

 案内されたのは、サロンの表とは繋がらない廊下の奥だった。

 壁の灯りが一段落ちて、空気が変わる。


 書庫のような部屋。

 机の上に無造作に積まれた紙束。

 分類もされていない膨大なリスト。

 背表紙のない帳簿が何冊も、棚から溢れかけている。

 

「数字の確認と振り分けだけでいいの。難しいことはないわ」

 

 リゼが一枚の書類を指先で示した。

 爪の赤が、紙の白に映える。

 

 レナは椅子に座り、最初の一枚に目を落とした。

 数字が並んでいた。整然と。事務的に。

 

 ――年齢。

 ――性別。

 ――特性。

 ――引き渡し価格。

 

 その下には「加工済」「未調整」の分類欄。

 見慣れない略語が続く。

 

 薬物検体コード。処理済ルート。魔術適性の等級。

 指先が止まった。

 紙を持つ手が、微かに震えている。

 

「……これ……人の、情報ですか」

 

 声が掠れた。

 書かれている内容が何を意味するのか、読んだ瞬間に分かってしまった。

 

「移送リストよ」

 

 リゼは背後に立ったまま答えた。

 

「人を買って、売って、契約先に渡す。役割は色々あるけれど、基本はそれだけ。……知らない方が、きっと幸せだったわね」

 

 レナの背筋が冷えた。

 指先から体温が引いていく。

 ここは、ただの仕事場ではなかった。

 

「このあと、少しだけ現場も見せてあげる」


 断る隙は、最初から用意されていなかった。


 廊下は薄暗い。

 壁に染みついた香と薬品の匂いが、呼吸のたびに喉の奥にまとわりつく。自分の意思で歩いているはずなのに、体が自分のものではないような感覚がする。

 

 リゼが立ち止まった。

 扉に小さな覗き窓がある。

 四角い穴から覗いた向こう側に、人がいた。

 

 少女だった。

 

 手首を拘束され、椅子に括りつけられている。

 意識が朦朧としているのか、頭が揺れていた。

 唇が動いている。何かを呟いているのに、言葉にならない。

 

「魔物との契約用の素材。価値のある子は丁寧に扱うの。雑に壊しちゃうと、もったいないでしょう?」

 

 リゼの声には、罪悪感の欠片もなかった。

 まるで、陳列棚の商品を説明するように。

 

 次の部屋。

 

 魔術加工の装置が並んでいた。乾燥した何かが棚に分類されている。肉のように見えた。魔石と一緒に、ラベルを貼られて。

 胃の底が、ひっくり返りそうだった。

 

 レナは壁に手をついた。

 爪が食い込む。吐き気を、呼吸だけで押し返す。

 

「レオンも請け負っていたのよ。移送も、殺しも。彼、処刑人って呼ばれてるの」

 

 リゼの声が、背中に落ちた。

 

 足が止まった。

 聞き間違いではない。

 聞き間違いであってほしかった。

 

「……嘘」

 

 振り返る。リゼは微笑んでいた。

 

「嘘なら素敵だったわね」

 

 その一言で、リゼの仮面がするりと剥がれた。

 もう必要がなくなったから、自分で外したのだ。

 

 先日のカフェで見せていた穏やかな笑顔の下から、別の温度の瞳が覗いている。

 

「彼、顔色も変えず人を殺すじゃない。あなた、知らなかったの?」

 

 甘い声。残酷な内容。その二つが同じ口から出てくる。

 レナの視界が滲んだ。世界の輪郭が崩れていく感覚だった。

 信じてきた日常が、足元から剥落していく。

 レオンの横顔。不器用な優しさ。あの冷たい指先が、自分の肩を支えてくれた夜。同じ手で、多くの人を殺していた。

 

「ねえ、レナちゃん」

 

 リゼが一歩近づいた。

 覗き込むように、顔を傾ける。

 

「あなた、レオンの何を見ていたの?」

 

 言葉が胸を貫いた。刃よりも鋭く。

 答えられなかった。


「どっちが怖いのかしら? レオンの過去?それとも、彼の隣に立っていた自分?」


 レナが震える指先で壁を掴んだまま、呼吸だけで必死に現実を支えている。膝が笑っている。このまま崩れ落ちたら、二度と立てない気がした。

 その様子を眺めながら、リゼはふっと長い睫毛を伏せた。

 口元に浮かんでいるのは微笑みだった。

 だが、カフェで見せたものとは、もう何もかもが違っていた。

 

「──そろそろ、かしらね? あなたがここに来たことは、部下が伝えてるのよ」

 

 レナの体がびくりと跳ねた。

 

「……誰に」

 

「決まってるじゃない」

 

 リゼは赤い扇子を開き、口元を隠した。

 隠した下で、笑っている。

 

「レオンに」

 

 空気が凍った。

 レナの脳裏に、レオンの顔が浮かぶ。

 冷たい碧の目。

「あまり一人で出歩くな」と言った声。

 

「あの子はね、あなたの居場所を知りたがるでしょうから」

 

 リゼは扇子をぱちん、と閉じた。乾いた音が廊下に響く。

 

「可愛いペットを囲うみたいに、あなたのそばにいるの。……気づいてるでしょ?」

 

 レナの肩が震えた。

 呼吸が速くなる。

 理解と否定がせめぎ合って、喉がうまく動かない。

 その二つの境界線が、今、目の前で溶けて消えようとしている。

 

 リゼの瞳が、暗い廊下の中で金色に光った。

 

「さあ。ここからが面白いところ」

 

 廊下の奥で、重い扉の軋む音がした。


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