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Fated Oath ─血に抗う者たち─  作者: りんごあめ
第二部 壊す者
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第65話 お仕事しましょう

◆レナ視点


 放課後の教室は、帰り支度の音でざわついていた。

 レナは鞄に教科書を詰めながら、制服のポケットに入った封筒の感触を確かめた。

 

 今朝、寮の郵便受けに入っていた。

 深紅の蝋印。上質な紙。

 流れるような筆跡で名前が書かれていた。

 差出人はリゼ・シャルマン。

 中身は簡潔だった。

 サロンの雑務の内容、時間帯、報酬。

 それから、場所を示す地図。


 断っても構わない、という一文まで添えられていた。

 

 問題は一つだけ。レオンだ。

 あの人に言えば、間違いなく止められる。

 理由も聞かず、行くなと言うだろう。

 それが分かっているから、先に出たかった。

 鞄を肩にかけ、教室を出ようとした時、廊下でサラとエリックに会った。

 

「あれ、もう帰るの?」

 

 サラが首を傾げる。いつもならレオンが迎えに来るまで教室にいるのを、二人とも知っている。

 

「うん。今日はちょっと用事があるから、先に出るね」

 

「用事?」

 

 エリックが片眉を上げた。

 

「レオンに、今日は用事があるって伝えておいてくれない? 二人から」

 

 沈黙が、一拍だけ落ちた。

 サラとエリックが顔を見合わせた。

 

「……それで納得するかなあ、あの人」

 

 サラが苦笑する。

 

「しないだろうな」

 

 エリックも同じ顔をした。

 レナを心配しているのか、レオンの反応を心配しているのか、たぶん両方だった。

 

「用事って、せめてもう少し具体的なこと言わないと。あいつ、『どこに』『誰と』『何時まで』って全部聞いてくるぞ」

 

「……聞いてくるよね」

 

 レナも分かっていた。分かっていて、答えを用意できていなかった。

 

「参考書を見に行くって言おうかな……」

 

「この前それ使ったばっかりでしょ」

 

 サラにあっさり却下された。

 

「じゃあ、制服の直しに行くとか」

 

「レオンが一緒に行くって言い出すだけよ、それ」

 

 三人とも、レオンの行動パターンを正確に把握していた。

 エリックが肩をすくめた。

 

「まあ、伝えるだけ伝えておくよ。ただ、あいつが素直に引き下がるとは思わないから、覚悟だけはしておけ」

 

「……うん。ありがとう」

 

「気をつけてね」

 

 サラが少しだけ真剣な顔で言った。用事の中身は聞かなかった。聞かないでいてくれる優しさが、今はありがたかった。

 レナは小さく手を振って、廊下を早足で歩き出した。


(……レオンのこと、知りたい)


 レナは、そのまま足早に校舎を後にした。


 ***


  街の中心を離れるにつれて、通りの賑わいは少しずつ薄れていった。

 露店の灯りが減り、石畳を踏む靴音ばかりが耳につく。見慣れた帰り道から一本外れるだけで、同じ街なのにどこか別の場所みたいだった。


 古い煉瓦塀の続く坂を下りる。

 曲がり角の先には、背の高い街路樹が並んでいた。枝葉の影が夕暮れの地面にまだらに落ちて、足元を揺らしている。


(……今からでも、戻れる)


 そう思った。

 寮に帰って、今日は用事があっただけだと笑ってしまえば、それで済む。エリックやサラもきっと深くは聞かない。レオンにだって、うまく誤魔化せるかもしれない。


 でも、足は止まらなかった。


 知らないままでいる方が、もうずっと怖い。

 あの人の隣に立っているのに、何ひとつ知らないままでいることの方が。


 街路樹の列は、やがて森の影へと溶けていく。

 その境目に、黒い鉄門があった。


 蔦に半ば覆われた門扉。

 その奥には、古びた洋館が静かに佇んでいる。窓は多いのに、明かりは少ない。人の気配がないわけではないのに、妙に息を潜めた建物だった。


 レナは立ち止まり、小さく息を呑む。


(……ここ)


 便箋に記されていた住所と、間違いない。

 喉の奥が渇いていく。指先にじわりと汗が滲んだ。


 門に手をかけようとして、ためらう。

 その一瞬の迷いごと見透かしたように、館の奥でかすかな灯りが揺れた。


 帰った方がいい。

 そう告げる直感は、たしかにあった。


 それでもレナは、ゆっくりと鉄門を押し開ける。


 蝶番が、低く軋んだ。


 庭は手入れされているはずなのに、どこか荒れて見えた。花壇には花がある。噴水もある。けれど、静けさが行き過ぎていて、まるで誰かのための“景色”だけを整えたみたいだった。


 一歩。

 また一歩。


 レナは無意識に唇を噛む。

 本当に来てよかったのか。

 指先が震えた。


 それでも、ノッカーに手を伸ばした。


 重い音が、夕暮れの館に沈んでいく。


 返事は、思ったより早かった。


 内側で鍵の外れる音がして、ゆっくりと扉が開く。

 隙間から流れ出た空気は、外より少しだけ冷たかった。


「ようこそ」


 深紅の影が、扉の向こうで微笑んでいた。


 リゼ・シャルマン。


 昼間と変わらない穏やかな笑み。

 けれど今は、その奥にあるものが少しだけはっきり見える気がした。


「来てくれると思っていたわ、レナちゃん」


 レナは返事をする前に、ひとつだけ強く息を吸った。

 胸の奥で何かが警告している。けれど、それ以上に、引き返せない気持ちがあった。


 リゼは扉を大きく開き、優雅に身を引く。


「さあ、入って。お仕事の話をするわ」


 その声に導かれるように、レナは敷居を越えた。


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