第64話 バースデープレゼント
◆レナ視点/レナの部屋
レオンは無言のまま、レナの肩と背に手を添えた。レナのぐらつく身体を支え、ベッドの端に腰かけさせると、ゆっくりと横たえていく。
「ほら、休んでろ。無理して歩くな」
レオンから布団がかけられ、レナは天井をぼんやりと見つめた。意識の奥がかすかに揺れる。
(ただの風邪じゃない)
“魔竜の森”で血が暴走した時の余波。
極大魔法を放ったあの瞬間の、骨の髄まで削られるような感覚。
更に、何度も血の魔力を使ってきた負荷が積み重なっている。
母の声が、遠い日の記憶から浮かび上がる。
「うちは短命家系なのよ。血の魔力は使うほど寿命を削るの。使わなければいい。でも、使わないと死ぬのよ。ふふ、詰んでるでしょう?」
くすくすと笑っていた母の横顔が、痛いほど鮮明だった。
(レオンには……言えない。心配させちゃいけない)
レナはゆっくりと目を閉じ、呼吸を整えようとした。
すぐ隣の椅子で、レオンが動かずに見守っている気配がする。
その視線は、いつもより柔らかかった。
「……寝てろ。俺がいるから」
短い言葉。
だが、なぜか胸の奥が温かくなる。
眠気が、波のように意識を攫っていく。
最後に聞こえたのは、椅子の軋む音と──
隣で息をひそめるレオンの微かな呼吸だった。
それからどの位過ぎただろう。目を開けると、鼻孔をくすぐる湯気と、食欲を刺激する良い香りが漂っている。
テーブルには、湯気を立てるスープと、軽く焼かれたパン。
この部屋には存在しなかったはずのまともな食事が、堂々と鎮座していた。
「……え?」
「起きたか」
低い声がして、レオンがベッド脇に歩み寄ってきた。
「レオン……これ、なに?」
「見りゃ分かるだろ。スープとパンだ」
「そうじゃなくて……どうしてスープがあるの?」
「作った」
即答だった。
「……レオンが?」
「他に誰がいる。食わなきゃ体力が戻らない。薬草も入れた。少しは楽になるはずだ」
「レオンって料理できるの?」
「必要ならやる。それだけだ」
レナはそっとスプーンを手に取り、ひと口飲んだ。
「……おいしい」
「そうか」
その一言だけなのに、レオンの目元がほんの少しだけ緩む。
「お前が倒れるのは、見たくない」
短い言葉が、思いのほか深く胸に落ちた。スプーンをもう一口運びながら、レナはふと思う。
——こんな一面を知らなかった。
だからこそ、もっと知りたくなる。
この気持ちが、後戻りできない場所へ踏み込む予兆だと気づかないまま。
食事を終え、レナはスプーンを置くと、ふと思い出したように顔を上げた。
「そうだ。レオンの部屋に食事作りに行くって言ったけど、いつになるかわかんないし。今のうちに、渡しておこうかな」
小さく呟くと、クローゼットの方へ歩き、棚の奥を探り始める。ごそごそと衣類を押し分ける音が続き、やがて――
「あ、あった」
ぱっと花が咲くような声が漏れた。振り返ったレナの手には、白いリボンで丁寧に結ばれた小箱がある。
「……それは?」
レオンが眉を動かす。
「もう過ぎちゃったけど、18歳の誕生日だったよね?」
レナがぴたりと視線を合わせる。レオンは一拍置いて、短く答えた。
「……ああ。そうだけど」
「去年みたいにはお祝いできなくてごめんね。その代わり、実用的なものあげるよ」
彼女がそう言って微笑む。誕生日が、本当のものではないと知った今でも――レオンの胸の奥が、妙に疼いた。彼女が信じているなら、その嘘ごと抱き締めたいと思ってしまう自分がいた。
「はい。これ、プレゼント。」
レナに手渡された箱を、レオンはゆっくりと開けた。
中に現れたのは、深紅の光。
透き通った血のような赤。淡い輝きをたたえた結晶が、銀鎖に揺れている。
「これは……赤魔石……?」
レオンの声が低く落ちる。
レナは小さく頷き、どこか懐かしむような表情を浮かべた。
「うん。実はね、私の血なんだ」
視線には迷いがない。言葉に恐れもない。ただ、静かな肯定だけがあった。
「生きてる者の血って珍しいでしょ?」
「……普通は死んでから術式で結晶化するんじゃないのか?」
「そう言われてるけど。本当は、生きてる人からも作れるんだって。特別な魔術らしくて、私も全部は分からないけど……昔、お母さんと一緒に作ったの。小さい頃にね」
それは、幼い日の記憶と血の代償で作られた唯一の宝石だった。
「生きてる人の血で作った赤魔石は、普通のものよりずっと強いんだって。」
レナはそう言って、レオンの手の中にある結晶を見つめる。
「普通の魔石みたいに一度きりじゃなくて、何度も使えるの。私が生きてる限り、魔力も枯れないって」
そこで一度、言葉が切れた。
レオンの指先が、赤魔石に触れる。微かな熱が宿る。脈動している。まるで、レナの生命そのものが、そこに閉じ込められているようだった。
「だから……レオンにあげる」
「なんで、俺に?」
平静を装っていたが、焦燥をごまかしきれてはいない。
レナは、まっすぐに彼を見た。
「最近、色々あったでしょ。きっと、もう平穏な時は続かないんだと思う」
細く揺れたその声は、無垢で、しかしどこか諦観を孕んでいた。
「私は来年、レオンの誕生日まで生きてないかもしれない。でも……レオンには生きていてほしい。誰か一人くらい、私のことを忘れないでくれたらいいなって」
言葉が落ちるたび、レオンの胸に何かが突き刺さる。崩れていく音が聞こえそうだった。
「お前がいない未来なんて、考えたこともないのに」
声が低く震える。否応なく溢れ出てしまう感情が、喉の奥で軋んだ。
「……お前に何かあったら、俺は生きていられない」
吐き出されたその言葉は、真っ直ぐだった。
声が震えそうになるのを、必死に抑えた。
けれど、手は抑えられなかった。
レオンの手の中で、赤魔石のペンダントがきつく握られ、その震えが止まらない。
レナがそっと笑った。
いつもの笑顔。それなのに、どこか、消えてしまいそうに儚い微笑みだった。
「……ありがとう。そう言ってくれて」
その言葉はどこまでも優しく、どこまでも残酷だった。
彼女が渡したのはプレゼントではなく、“遺書”に似た、生きた証だった。
***
◆レオン視点/レナの部屋
赤魔石を握る指先に力が入りすぎて、鎖が食い込んだ。
それでもレオンは、手を緩めることができなかった。
レナは、まるで別れの準備でもしているようだった。
「私に何かあっても、生きていてほしい」
「忘れないでくれたらいい」
……そんな言葉、ただの遺言だろう。
ふざけるなよ。
どうして、そんな顔で笑うんだ。
どうして、そんな静かな声で、自分の消える未来を語るんだ。
──俺に、俺にそんなことを言うな。
お前のいない世界なんて、いらない。
お前が死ぬなら、俺の世界ごと消えて構わない。
なのに、どうして俺だけ生き延びろなんて、そんな残酷な願いを口にできるんだ。
生きろと言うなら、一緒に生きる未来を見せろ。
消える前提で、俺に何かを残そうとするな。
残されたものを抱いて生きるなんて、そんなまともな真似が俺にできると思うな。
俺は──お前なしで生きるなんて、考えたこともないんだ。
お前がいなくなるくらいなら、俺の方が先に壊れる。
俺を置いてどこかに行くなんて許さない。
そんなの、許せるはずがない。




