第60話 笑顔の駆け引き
【魔術塔上階・資料閲覧室/リゼ視点】
向かった先は、魔術塔の上階。
学院でも限られた者しか通されない資料閲覧室。
魔力障壁が静かに閉ざされ、二人は向かい合った。
「単刀直入にいくわ。あなたが使っていた、学院外縁の旧研究棟に崩壊級の波動が記録されている」
リゼは余白のない声で切り込む。
「なのに翌朝、外部観測では外観が無傷。結界が生きてる。侵入拒否。誰も入れない研究棟で何を守ってるの?」
オルフェは口元だけで笑う。
「貴女も気づいたんですね。学院側に伝えた通り、事故ですよ。波動は大きいが、外殻結界が働いた。それだけです」
「事故で“崩壊級”が出るの?」
「出ます。状況次第で」
リゼは扇子を閉じ、机に軽く置いた。
柔らかな所作なのに、置き方だけが硬い。
「じゃあ確認させて。内部の現地検証。封鎖の妥当性と、再発リスクの確認」
オルフェの笑みは崩れない。
けれど、目だけが動かない。
「必要ありません」
即答だった。
「必要かどうかは、私が決めることじゃない?」
「ええ。そうかもしれません。しかし、俺の管理している区画です。事故で片付く話に、外部を入れる必要はありません」
笑みは柔らかい。
でも、その言い方は明確に拒否していた。
リゼは肩をすくめた。
納得したように見せる動き。実際は納得していない。
「分かった。今日は引くわ。私は仕事をしに来ただけだもの。ねぇ、オルフェ。ひとつだけ教えて」
指先が机を軽く叩く。
「Eクラスのレナって子とSクラスのレオン。何か知ってることはあるかしら?」
一瞬。
室内の温度が、確かに揺れた。
オルフェの瞳。
その奥に、隠すべき何かへの反射が走る。
だが次の瞬間、彼はいつも通りの笑みを装った。
「学院には不思議な子が多いんですよ。俺にも全部は把握しきれません」
肯定も否定も与えない。
リゼは椅子から立ち上がった。
「そう。じゃあ、引き続き調べるわ」
「ええ。ご自由に」
リゼが退室する。
扉が閉じたあと、オルフェの声が落ちた。
「……あの女、鋭いな」
誰にともなく呟かれた言葉が、部屋に沈んでいった。
***
【学院管理棟・特別閲覧室/リゼ視点】
リゼはオルフェと別れると、学院管理棟の奥にある“特別閲覧室”の扉を指先で叩いた。
「外部協力顧問、リゼ・シャルマン。特別記録閲覧の申請よ。対象は――レナ・ファリス。Eクラスの女生徒」
職員が一瞬だけ眼を瞬かせ、身分証を確認する。禁術監察局の名が、確認の手を早めさせた。ものの数分で、分厚い資料束が彼女の前に運ばれてきた。
リゼは椅子に腰を下ろし、扇子を軽く揺らしながら一枚ずつページをめくる。
魔力検査票、生活記録、入学願書、戸籍再登録証明――形式上は完璧だ。
だが、完璧な書類ほど、何かを隠している。
「……やっぱり、用意された履歴ね」
唇の端がゆっくりと歪んだ。
普通の生徒なら多少の齟齬や記載漏れがあるものだ。
しかしこの少女の書類には、曖昧な部分が一切ない。
不自然なほど整っている。
リゼは視線を走らせた。
⸻
《レナ・ファリス 学院登録情報》
・出身地:登録なし
※戸籍は“再登録扱い”。旧記録消失の理由不明
・年齢:入学時12歳
・両親:ともに死亡、詳細は「非公開」
・魔力検査:総量低位(E)/制御に難あり
・筆記成績:中の上
・性向:協調的・温和
・交友関係:極めて少数
・問題記録:なし
⸻
リゼはページを二度見した。
(魔力量E、友人少なし、素行優良。……何の香りもしない)
扇子の端が、資料束の上を静かになぞる。
「本当に、ただの小娘?」
疑問は、微笑とともに沈む。
レオンが惹かれる理由が、この紙束のどこにも書かれていない。
だが逆に言えば──
「見えないものほど、価値がある場合もあるのよね」
リゼは書類を戻し、椅子から優雅に立ち上がった。
まだ答えは出ない。
「さて──レナ・ファリス。貴女は何を隠しているのかしら?」
リゼは紙束を指で弾き、事件記録へと移る。
──
◆学院事件ログ(抜粋)
《洞窟実習事故》
•参加者:Cクラス〜Eクラス、レナ・ファリス含む
•初心者向け区域のはずが、A〜S級魔物多数出現
•洞窟奥に大量の魔物死骸を発見(全て一撃必殺跡)
•現場近傍にいたレオン・ヴァレントの介入により、一部生徒の生還を確認
•公式記録:原因不明/結界破壊/魔力痕跡解析不能
•Cクラス〜Eクラスの生徒、ギルド護衛、複数死亡
《研究棟爆発(記録非公開)》
•夜間、大規模魔力波動観測
•翌朝、建物は“無傷”のまま存在
→ 結界により外観偽装の可能性
•内部破壊痕跡ありとの噂。詳細極秘扱い
──
リゼの視線が、一行の上で止まる。
現場近傍にいたレオン・ヴァレントの介入により、一部生徒の生還を確認。
「……妙ね」
あの男が、たまたまそこにいた。
しかも、人助けのような真似をした。
どちらも、リゼの知るレオン・ヴァレントには似つかわしくない。
偶然ではなく、最初からそこにいる理由があったと考えたほうが早い。
事件そのものではなく、その場にいた“何か”のために動いた、と。
──レナ・ファリス。
Eクラスの、ごく普通の少女。
書面上は、どこにでもいる凡庸な存在。
洞窟事故。
本来、そんな少女が無傷で抜けられるような場所ではない。
リゼは頁をめくり、指先を止めた。
研究棟爆発。
そこには、レナ・ファリスの名はない。
「……研究棟の内部確認は、オルフェ・クライドに拒まれている」
呟きは静かだった。
だが、その目は紙面の向こうを見ている。
名前がない以上、断定はできない。
研究棟の件と少女を結ぶ線は、まだどこにも引かれていない。
「……まさか、ね」
笑うように息を吐いて、資料束を閉じた。
リゼは顎に指を添え、ゆっくり思考を巡らせる。
レオン・ヴァレント。
金で動く裏稼業の怪物。
そんな男が、利益にもならない、地味なEクラスの少女に固執する理由など、本来ない。
「レオンはもっと賢い。……なら、“別の理由”がある」
扇子が、ぱちん、と小気味よく鳴る。
薄い唇が、愉快そうに弧を描いた。
「少女そのものが“価値のある存在”」
それが何なのか、まだ見えない。
答えは依然として闇の中。
リゼは資料束を閉じ、椅子から優雅に立ち上がった。
靴音が静かに響き、特別閲覧室を出た。




