第61話 荷物持ちの男
◆学院〜街/リゼ視点
放課後の学院中庭。
柔らかな日差しが噴水に反射し、静かな水音だけが響いていた。
「ちょっと、いいかしら?」
その穏やかな空気を破るように、紅いドレスが風を切った。
リゼは扇子を片手に微笑み、ベンチに腰掛けていた青年へ歩み寄る。
書類で見た名だ。写真も。
エリック・ハーヴィル。
SクラスからEクラスへ、自ら降りた――珍しい人間。
茶髪に緑の瞳。控えめだが柔らかい笑みを浮かべた少年。
「俺に、ですか?」
エリックは礼儀正しく立ち上がった。
警戒は見せないが、距離は一歩も縮めない。
「貴方、Sクラスにいたことがあるんでしょう? 人付き合いは広いはずよね」
扇子の先で彼を指すように、リゼは軽く笑った。
「ええ、まあ……必要以上には広げないようにしてますが」
「そう。じゃあ一つだけ聞かせてほしいのだけど――」
リゼの声が、ひどく滑らかに沈む。
「レオン・ヴァレントという少年について、どんな印象を持っているの?」
その名が出た瞬間、エリックの瞳に一瞬だけ影が差した。
しかし次の瞬間には、穏やかな笑みに戻っている。
「同じ学院の生徒です。それ以上でも以下でもありません」
嘘ではない。だが本音は何も言っていない。
(……賢い子ね)
心の底で、リゼは扇子を一度だけ鳴らした。
「それだけ? 噂くらいはあるでしょう? 美形で、実力もあって、何より……危険な香りがする、とか」
「噂は噂です。本人を知らない人ほど話を盛りますし。
彼は──関わり方を間違えなければ、優秀な生徒ですよ」
笑顔だが、明らかに一歩引いている。
(この子……レオンの“外側”をよく見ている)
リゼは一歩、踏み込む。
「ねえ、貴方は彼が誰かのために動くところ、見たことがある?」
エリックの呼吸が、一拍だけ止まる。
そして、静かに答えた。
「それを知ってどうするんですか?」
声は柔らかいのに、拒絶は鋭かった。
リゼの口元が、美しく歪む。
良識を盾に、無意識で誰かを庇っている。
この反応が、何より価値のある情報だった。
「ありがと。役に立ったわ」
「いいえ、何も話してませんよ」
「そうね。でも“話さなかった”ことが、十分な答えよ」
エリックの瞳が、一瞬だけ揺れた。
リゼは踵を返し、扇子を鳴らしながら去っていく。
陽の落ちかけた中庭に、香水の余韻が静かに残った。
学院調査を終え、街へ降りたリゼは、紅茶でも飲んで一息つこうとしていた。その矢先。
視界の端に、見覚えのある金髪が揺れた。
「……あら?」
通りの向こうを歩く背中。
黒い制服姿に、軽いコート。
その隣には──
「……レナ・ファリス」
リゼはその場で足を止めた。
レオン・ヴァレントが、一般市民の顔をして歩いていた。
街灯に照らされたその横顔は、裏稼業時の冷徹さも殺気もない。視線は鋭いのに、角がない。ただ、隣を歩く少女を気遣う、ごく普通の青年のそれ。
「嘘でしょ……何、その顔」
レオンの視線の先にいるのは、地味で魔力量もぱっとしないEクラスの小娘。なのに、今のレオンの目には、彼女しか映っていなかった。
(ああ、そういうこと……? あれが“素”の顔?)
気づきたくなかった。
見なかったことにしたかった。
だが現実は、容赦なく目に入る。
盗み見るような真似は趣味ではないが、これは別だ。
情報収集。れっきとした仕事だった。
二人は食料品店の前で足を止めた。
レナが何か言っている。レオンが短く答え、先に扉を開ける。
(食料品店……)
リゼの眉が、わずかに上がった。
店内は見えない。
だが数十分後、出てきた二人の姿がすべてを語っていた。
レオンが抱えているのは、大振りの麻袋が二つ。
食材、日用品、洗濯用粉末──どこからどう見ても、生活用品の山だった。
「な……に、この生活感」
声が漏れた。
口元を覆う。
(高級レストランでも宝飾店でもないの?……バラの一本すら持たせないなんて)
レオンは袋が崩れないよう器用に持ち替え、レナの歩幅に合わせてゆっくり歩き出した。
荷物は全部レオン持ちだった。
レナが何度か手を伸ばして制止しようとする。
そのたびにレオンが静かに遮り、袋の位置を調整して先を歩く。
まるで当然のように。
(あの男が……荷物持ちを……)
次に二人が立ち寄ったのは、小さな薬草店だった。
通りに面した棚が外からも見える。
レナが棚の前でしゃがみ込み、何かを手に取って眺めている。
レオンはその隣に立ち、腕を組んだまま店の入り口側を見ていた。
周囲への警戒だ、とリゼはすぐに気づいた。
本人は気づいていないかもしれないが、体が勝手に動いている。
レナが振り返り、何かを二つ手に持ってレオンに見せた。
どちらがいいか、尋ねているらしい。
レオンは一瞬だけ両方を見て、片方を指差した。
レナが笑って、選ばれた方をかごに入れる。
ごく普通のやり取りだった。
だからこそ、リゼの目には奇妙に映った。
(……あの男が、薬草の好みに答えてる)
依頼があれば誰でも殺せる男が。
金以外に興味を持ったことが一度もなかった男が。
「……ふ」
笑いが漏れた。
乾いた笑いのはずだったのに、どこか力が抜けていた。
二人が店を出て、また並んで歩き出す。
レオンの横顔は、見たことのない角度をしていた。
「あー……そう。そういうこと。書類や周りじゃわからないものだわ」
仕事としてのレオンは、付き合いが長い分、もう十分見てきた。だがこんな姿は、初めてだった。
リゼは肩を落とした。嘲笑。困惑。そして確信。
「直接、レナちゃんに会って話すしかないわね」
呟きは、夕風に溶けた。
リゼは踵を返し、風を裂くように歩き出した。




