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Fated Oath ─血に抗う者たち─  作者: りんごあめ
第二部 壊す者
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第57話 戻れない夜、戻りたい夜

 ◆寮/レオン視点


 夜の街に出ると、冷えた空気が頬に当たった。

 血の感触だけが、まだ皮膚のどこかに残っている気がした。

 人通りの少ない道を選んで歩く。


 寮の裏口から入り、廊下を進む。

 自室の扉の前で、指先を動かす。

 薄く張った結界が、音もなく解ける。

 鍵を回して、中に入った。

 

 上着を脱ぎながら洗面室へ向かう。

 灯りをつけた。鏡に、血の跡が残った顔が映っていた。

 一瞥して、視線を外す。

 

 洗面所の隅にあるゴミ袋に、赤く染まった服を棄てた。

 

 小浴室で湯を捻り、掌で顔を洗う。

 鉄の匂いが鼻の奥に残る。

 肩から首筋へと湯を落とし、爪の隙間を何度も擦った。

 

 体を洗い流しラフな服を着てソファに座る。

 天井を見上げながら、思考が静かに動く。

 

 レナ・ファリスという名前は偽名だ。

 本名は、レナ・ファウレス。

 ファウレス家。

 その末裔が、学院のEクラスにいる。

 

 ──皮肉だ。

 

 人の生死に、興味はなかった。

 生きる者も、死ぬ者も、ただの通過点に過ぎない。

 与えられた標的は確実に殺す。

 それが今の自分の存在理由だと思っていた。

 何人を殺したか、覚えていない。

 血の飛沫も、断末魔も、やがては風景の一部になった。

 

 レナのことも、学院に入学した当初はどうでもいい存在だった。

 裏の任務に支障を来すなら、静かに始末するだけだと割り切っていた。

 だが、殺さなかった。

 

 無害だと思ったから。

 自分には、何の影響もないと思ったから。

 

 その判断が誤りだったと、今になって思う。


 早めに始末しておけば、名前を呼ばれただけで思考を乱されることもなかった。

 他の男と話しているだけで、喉の奥に黒いものが溜まることもなかった。

 触れられるかもしれないと想像しただけで、相手を消したくなることもなかった。


 あの村の少女だと気付いたときには、もう引き返せなくなっていた。


 ソファに深く腰を沈めたまま、レオンは髪をかき上げた。


 贖いたいわけじゃない。

 そんな綺麗な話では済まない。

 自分はあの夜、レナから全てを奪った。

 母も、村も、幼馴染も、帰る場所も。

 今さら守ったところで、何もなかったことにはならない。


 それでも。


 自分が壊したのなら、もう他の誰にも壊させたくなかった。

 自分が地獄に突き落としたのなら、その先で手を掴むのも自分であるべきだと思ってしまう。

 そんな資格がないことくらい、分かっている。

 分かっていて、なお手放す気になれない。


 レナの過去を知っているのは自分だ。

 レナを傷つけたのも自分だ。

 レナを守るのも、自分でなければならないと思っている。


 ファウレスの娘だと知られたなら、狙う連中は必ず現れる。

 学院も、裏の連中も、貴族も、研究者も、あの血を放っておくはずがない。


 だから、渡さない。


 たとえレナが真実を知って、自分を恐れても。

 軽蔑しても、憎んでも、泣いて拒んでも。

 それでも手を離す気はなかった。


 部屋の中にいても思考は収まらなかった。

 じっとしていられず、深夜の廊下へ出る。


 ***


 ◆寮/レナ視点


 レナは一人、薄明かりの中で古びた写真を見つめていた。

 母と自分が並んで笑っている写真。逃げ惑う混乱の中、必死に抱えてきた唯一の記憶。


 燃え落ちた村。血の匂い。軋む叫び。

 その中で、手にできたものはごく僅かだった。

 

 揺らぐ炎は思い出を燃やしていった。

 確かにそこであった日々を灰にして。


 人形も、玩具も、もうここにはない。

 あるのはただ、質素で整った寮の一室。

 余計なものを置かないのは、失くした時の痛みを増やしたくないからだった。

 

 ──またいつか、何もかもを失うのが怖かった。


 ふと、静かな音が響く。

 レナが扉を開けると、向かいの部屋から出てきた青年と、目が合った。


「……まだ起きてたのか」

 

 レオンの声は低く、どこか気怠げだった。


 時刻は、深夜二時。

 レナは、ただ首を縦に振る。

 

「眠れなくて……少しだけ、話してもいい?」


 レオンの部屋へと入り、ソファに腰掛けながら、かすかに笑ってみせた。レオンは何も言わず、頷いて隣に腰を下ろす。


「村が焼かれた日から……もう何年も経つの」

 ぽつりと零れた声は、まるで自分にも言い聞かせるようだった。


「家も、村も、ぜんぶ燃えてしまった。だからかな、部屋にものを置くのが怖い。失うのが、怖いから。……何もない方が、気が楽なんだ」


 レオンは黙って聞いていた。

 彼女が初めて、自分の内側を言葉にしようとしているのを感じて。


「これから先、どうやって生きればいいのか……わからないの。

誰を信じたらいいのかも、もう……わからなくて」


 言葉が途切れ、静寂が落ちる。

 けれど、レナはまだ言わなければならない言葉を持っていた。


「今も……怖いの。生きてるのが。利用されるのも、また誰かが死ぬのも。でも……時々、あのとき殺されてた方が良かったんじゃないかって思うことがあるんだ」


 その言葉に、レオンの瞳がわずかに揺れた。


 レナのかすれた嗚咽が、静かな部屋に響いた。

 彼女の肩が震え、小さく、けれど痛々しく言葉がこぼれる。


「もう……何も、無くしたくない」


 そう呟いた後、レナは力尽きたように静かになった。

 ソファにもたれたまま、浅く寝息を立て始める。


 レオンはしばらくその寝顔を見つめていた。

 小さく、儚げで、それでも生き延びてここにいる少女。


「……眠れないわけだ」


 ため息混じりにそう呟くと、そっとレナの体を抱き上げた。

 軽い。だが腕の中には、確かに温もりがあった。


 ベッドに寝かせ、毛布を静かにかける。


 レオンの瞳は、どこか遠くを見ていた。

 ──消せない過去を、いつまで隠し通せるだろうか。

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