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Fated Oath ─血に抗う者たち─  作者: りんごあめ
第二部 壊す者
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第56話 甘い声、冷たい手

 ◆学院回廊〜寮/レナ視点


 レナが実技室を出て、教室へ向かおうとした瞬間だった。


 横から伸びた手に、手首を掴まれる。抵抗する間もなく、強い力で引き寄せられた。


「レオン……?」


 レオンは穏やかな微笑みを浮かべていた。

 どこにも怒りは見えない。だから、余計に恐ろしい。


「少し話がある」


 言葉は優しいのに、手が離れない。

 逃がす気など初めからない。


 レオンは歩みを進め、レナの腕を引いたまま人気のない回廊へと入る。外光が届かず、昼間なのに夜のように影が濃い。


「最近、何かあった?」


「な、何も……」


「嘘だ。隠すの下手だな」


 微笑んだまま、顔を寄せる。

 距離が近すぎて、視線を逸らせない。


「裏で襲われただろう。誰に?」


 声は低い。静かなのに、逃れられない圧がある。


「……ええっと。ちょっと、上級生の女の子に。で、でもオルフェが助けてくれて」


 その名前が出た瞬間、レオンの指先に力がこもった。

 レナの手首がきしむ。


「助けられたんだ」


 声だけは変わらない。微笑もそのまま。

 ただ、瞳だけが笑っていなかった。


「……ありがとうって……言えてないけど」


「オルフェに、礼なんてしなくていい」


 レナは息を飲む。

 レオンの声は震えていない。怒鳴りもしない。


 だけど、壁が音もなく軋むような危険が張り付いている。


「次に何かあれば俺が助ける」


 その声は有無を言わさぬようだった。


 レオンと別れたあと、レナは足元に力が入らないのに気づいた。頭がぼんやりとして、視界の輪郭が滲む。胸の奥が重く、呼吸が浅い。


(……疲れただけ、だよね。風邪……かな)


 教室へ戻ろうとしても、足が前に出ない。

 レナはそのまま方向を変え、保健室の扉を押した。


「……レナちゃん?」


 白衣の治療医アリスが振り向き、目を細める。

 レナが何か言うよりも早く、彼女は額に指を当てた。


「熱はない。でも……魔力が揺れてる。何でかしら」


 その一言で、レナの喉が詰まる。

 アリスは深く聞かない。


「今日は帰りなさい。倒れてからじゃ遅いわ」


 レナは小さく頷く。


 外に出た瞬間、太陽の光が眩しいのに、どこか遠く感じる。寮までの道がいつもより長い。自分の身体なのに、少し遅れてついてくる感覚。


 階段を上り、廊下を曲がり、自室の扉の前に立つ。

 鍵穴に鍵を差し込む指が、上手く動かなかった。


 カチリ、と音がして扉が開いた瞬間、レナの膝が落ちた。


(……眠れば、治るよね)


 そう思いながら這うようにベッドに横たわる。

 瞼が落ちる寸前、自分の血が微かに脈動するような、鈍い音が耳の奥で響いた。



 ***

 


 ◆リゼの館/レオン視点


 レオンが夜の通りへ出ると、街は甘い匂いと腐った匂いの境目で揺れていた。どちらにも、もう慣れている。


 指定の館は、灯りだけがやけに上品だった。

 部屋の扉を開けると、赤ワインの香りが鼻を刺す。


「遅いわね」


 リゼはソファにもたれ、グラスを指で遊ばせていた。

 ハニーブロンドの髪に、スモーキーゴールドの瞳。

 笑っているのに、温度がない。


「時間通りだ」


「そういうところ、可愛げがないのよ」


 彼女の視線が、レオンの腰に落ちる。

 そこに下げた新しい剣へ。


「あら、新しい剣ね」


 リゼは口元を吊り上げ、楽しげに笑った。


「すぐに使い物にならなくなりそうだわ。……あなた、手加減しないもの」


 レオンは返さない。

 答えの代わりに、剣の柄へ指を添える。まだ真新しい革の感触が、逆に不快だった。


「で、今日の仕事は」


「地下よ」


 リゼはグラスを揺らし、薄い笑みを深くした。


 彼女が立ち上がると、ドレスの裾が床を撫でる音がする。

 案内する背中は優雅で、道案内の先は地獄。


 階段を降りるたび、空気が冷える。


 地下の扉を開けると、椅子に縛られた男が顔を上げた。

 唇は乾き、目だけがやけに忙しい。


「違う、俺は……!」


 レオンは返事をしなかった。

 懐から細いナイフを取り出す。


「誰に流した」

 

「……え?」

 

「名前」

 

 男は首を振った。

 レオンは一歩近づき、男の片手を取った。

 逃げられない角度で、手の甲を上に向けさせる。

 指が反射で丸まる。

 

「やめ――」

 

 言葉が終わる前に、ナイフの先端が小指の爪の隙間に差し込まれた。男が息を呑む。

 

「名前」

 

「知らな……っ」

 

 爪が剥がれる音は、思ったより小さい。

 

「ぁ――ぁあああッ……!!」

 

 男が椅子ごと揺れる。背を仰け反らせ、縛られた手足が軋む。

 

「口頭か。書類か。刻印か。どこまで渡した」

「わ、わからない……覚えてない……!」

「思い出す時間はやる」

 

 レオンはナイフの腹で、今度は薬指の爪をなぞった。

 男の身体が、触れただけで跳ねる。

 

「まっ……待って、待ってくれ……!」

 

「待ってる」

 

 声に抑揚がない。

 リゼが背後でグラスを傾ける。

 

「ねえ、そういうところ。あなた、本当に仕事なのよね」

 

 レオンは男から目を逸らさない。

 沈黙が数秒。男の喉が引きつり、呼吸が乱れる。

 

「倉庫の……裏の鍵……!」

「それだけか」

「合図の刻印も……!」

 

 レオンは頷かない。

 ナイフの切っ先を、男の手の甲に軽く押し当てた。

 皮膚が白く凹む。

 

「誰に渡した」

 

「……っ、言えない……! 殺される……!」

 

「ここで死ぬのと、どっちがいい」

 

 男の目が揺れた。天秤にかけている。

 レオンはその迷いを待たなかった。

 ナイフが手の甲を深く貫いた。


「ぐっ……!!」

 

「名前」

 

 男は震えながら口を開いた。

 

「……セ、セルト……いや、違う、違う……! セルトンが……!」

 

 名前が出る。

 レオンはナイフを引いた。

 男の肩から、わずかに力が抜ける。

 

「共犯は」

 

「……いる……二人……! 運び屋と、結界師」

 

「名前」

 

「運び屋は……ドルグ……結界師は知らない、顔しか……!」

 

「特徴」

 

「左目の……傷……! 髭面の、大柄な……!」

 

 レオンはようやくナイフを下ろした。

 リゼが笑った。愉快そうに、でも冷たく。

 

「やっぱり。群れると安心するの。自分が愚かだって、気づきにくくなるから」

 

 レオンは男を見下ろし、静かに言った。

 

「これで終わりだ」


 男の顔に、助かったという表情が浮かぶ。

 尋問が終わると思ったのだ。

 レオンはそれを確認してから、動いた。

 その表情が消えるまで、時間は要らなかった。


 ナイフが一閃した。

 男は声も出さずに床に崩れた。

 黒衣の袖に、赤い飛沫が散っていた。

 頬にもそれは付いていたが、レオンは拭わなかった。


 リゼはワインを傾けたまま、こちらを眺めていた。

 レオンはナイフの血を布で拭い、鞘に収める。

 踵を返した瞬間、リゼが歩み寄ってきた。

 

「今日も、ご苦労さま」


 レオンは返さない。


「やっぱり、そういう顔の方が似合うわ。学院にいる時より、ずっと貴方らしいんじゃない」


 甘く囁くような声だった。

 その響きには薄い愉悦が混じっている。

 

 レオンはわずかに目を細めただけで、何も言わなかった。

 そのまま踵を返し、背中に追ってくる笑い声を無視して出口へ向かった。

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