会話上の最低条件
今日は、いつもより早くに目が覚めた。特段と早い時間ではないが、なんだか得をした気分になった。
せっかく時間に余裕が出来たので何かしよう…なんて思うことはあるはずもなく学校に向かった。
無論、学校でも暇をすることに変わりはない。
学校に着き教室に入ると、まだ誰の姿もなかった。
変わらないはずの教室がいつもより広く感じられた。そして、この静かな雰囲気がとても気持ちを落ち着かせた。誰かの視線に入ることもなく、音もない。何故だかずっとこのままでいたいように感じた。
なんてことを考えていると、コツコツと廊下から足音が聞こえてきた。一人分だ。こんな早くに登校して何をするのだろうか。
と、ここでこの後の展開が予想される。
教室には自分を合わせて二人。夢はいつももう少し遅いため、接点がない人というのはほぼ確定である。つまり、気まずい空気が流れる。(確定)
しかし、居心地が悪いからといってわざわざ教室を出たところで行く当てがないので、顔を机に伏せてやり過ごすことにした。
と、そう決めた矢先、
「おはよう、空木さん?」
名前を呼ばれたため、机から顔を少し浮かして声のした方向を向いた。
基本的に夢以外から名指しで挨拶をされたことがないので反応が遅れてしまった。
というかこいつ、クラスメイトの名前を把握しているのか?自分の名前も?
その中に自分が含まれているということは全員の名前を把握しているのではないか?理由は、僕の名前と顔を一致させて覚え終わるのは最後になるはずだからだ。
「ああ…おはよう」
入学してからほぼ人から話しかけられたことがない、ましてや女子に何を言われるのだろうか。正直、話すことがないし疲れるのでこの場を去っていただきたい。
そして、この場において最も深刻な問題が一つ存在した。
(いや、誰だよ)
会話をする上で相手のことを指す言葉が無いというのは非常に不便だ。だからといって、名前を尋ねるのも気が引ける。
残念なことに、人の名前を覚えられない、覚える機会のない柊にとっては、ほぼ全てのクラスメイトとの交流でこの問題が発生する。もちろん、本人に覚えようとする心意気などあるはずもない。
このままだと、相手を不快にさせるうえに会話が進まなくなる。
しょうがないのでこちらから話は出さず、完全に聞くことに徹することに決めた。まあ、どちらにしてもそうなったであろうが。
「今日は雨間さん一緒じゃないんだ」
「え?」
「いつも一緒に来てるじゃん」
突然の話題に固まった。
今更だが、特に時間を決めているわけではないのに、登校しているときに必ず夢に会う。話しかけられるため、その流れで一緒に教室に入る。端から見たら待ち合わせをして一緒に登校しているように見えるのかもしれない。もちろん、そんな事実はない。
「いや、別に一緒に登校しているわけではないから」
だから、こう説明するのには少し無理があったが、だからといって他になんて言えばいいかなんてわからないので事実をそのまま伝えるしかない。
「え、そうなの」
この瞬間も他人と目を合わせられないため、凄く愛想の悪い人だと思われているに違いない。
確かに、いくら時間が習慣化していようと毎日たまたま合うのは少しおかしい気がする。もちろん、彼女をストーカーしていて待ち伏せしているからではない。
今日はたまたま早く起きて、いつもより早く家を出る気持ちになったというだけだ。だから、登校中に夢と会うことはなかった。
「てっきり、付き合ってるから二人で登校してたのかと思ってた」
このとき始めてこの名前知らない人と目が合った。目を合わせようとしていなかったのは自分だけなので、いつでも合わせようと思えば合わせられる。ただ、今の発言には強制的に吸い込まれたようだ。
付き合ってるかと聞いてきたときのふざけたことを口走る女の顔は、ふざけているようにもからかっているようにも見えず、ただただ面白みもない真面目な顔をしていた。
(こいつ、本気で言ってんのか?)
そう思われて正直に嬉しいと思った。嬉しいと思う自分に吐き気がした。しかし、当たり前なことだが付き合っているという事実はない。ありえない。
事実はなくても、そう思われていること自体が彼女にとって悪影響だ。自分のような人間と付き合っているなどという噂が立つのは、なんというか悪いイメージな気がする。それ以前に全く釣り合っていない。彼女の隣に堂々と立てる男になる日は生涯来ないだろう。
「いや、雨間さんはただのクラスメイトだよ」
「へー」
つい、ツンデレじみたことを言ってしまった。こんな定番台詞を現実で聞く機会があるとは…それも自分の口から。
しかし、これは照れ隠しでも何でもなく、関係性を正確に言語化しただけだ。そう、彼女と知り合ってからただのクラスメイトという立ち位置は何一つ変わっていない。
彼女なら友達と言ってくれるかもしれない。それはそれで傷つくが…なんて言ってくれるかもなんて妄想している自分がいた。そんなわけはないのに。赤の他人が精々いいところ。いや、優しさで僕に関わる彼女はさながら僕の支援者とでも言うか。
無意識に上がった口角を抑えるために口元に手を当て、歯を食いしばった。
なんだか、彼女との距離が変わらない理由がわかった気がする。
段々と教室に人が入ってきて、先程までの静けさはもうそこになかった。
皆がそれぞれ誰かと話すために集まっている。教室の左側の隅には僕だけがいる状況になった。
夢は珍しく遅刻寸前で教室に入ってきた。




