第11話 緑青色の暴風
券売機に500円玉を入れ、ボタンを押すとチケットと更に100円玉が2つ手に入った。
10月の土曜日。空には雲が浮かんでいる。
動物園の中に入った瞬間。人の多さに少し驚く。
土曜日に動物園へ行けばどうなるかぐらい、解かっていた。
目の前にいる人たちは、家族がいたり、恋人と一緒だったり。
これが、家族サービスか。
カップルを見る。水族館デートに比べれば、動物園は格安だからな。
独りで動物園に、きている人物は俺だけだった。
それにしても、子連れが多いな……。
昼ご飯を食べてきたから、お客が多い。
1億数千万人も、日本国内にはいる。エンセクター王国の総人口が600万人ぐらいだったことを考えると驚異的な国民数だ。
一番いいことは、モンスターがいないこと。
袈裟懸け式の鞄の紐を右手で掴み、俺は走り出す。独りでくるのは3回目だが、それでも動物が見たいから。
ライオンがいる檻まで、走って向かった。
§ § §
少し薄暗い建物の中、奥で幼児がはしゃいでいた。
「カワウソだぁー!」
母親がベビーカーを、前に少し押し答える。
「カワウソだねー」
直久は、建物に入って数歩。行き成り、足を止めた。
独りでいる彼女に、目を奪われる。
珊瑚色の髪を、少し肩に届く位に伸ばしていた。
ガラス張りの先。
カワウソの動きを見つつ、右耳に掛かっていた髪を耳の後ろへ左手でずらす。
スカイブルー色の長袖丸ヨークブラウス。ココアブラウン色のフレアスカートと言う出で立ち。
薄暗い、建物の中に撰振理高校の学生が入ってきた。
撰振理高校の洒落た制服を着ているから、誰が見ても高校生だと思う筈だ。
「子供は喜んで見ていたが、生きた鯉を食べさせるとは……」
「ペンギンのこと……。人も、何かの命に支えられているの」
「それもまた、事実……」
直久が入り口へ振り向く。
目が合う。
「おっ! 海晴」
一瞬。立ち去ろうか、とも考えた海晴は苦笑いで2人に近づいた。
「こんにちは、心山さん。川一」
独り、こっそりと立ち去ろうとした彼女の存在に心山が気づく。
「弓菜ちゃん!」
3人で心山から弓奈と呼ばれた、彼女を見た。
他に、数人の女性客。
「じしんだぁ」
「え?」
母親が疑問符を口に出す。
軽く、横に滑り込むよう揺れ。
女性の悲鳴を聞いた後に全員、体が宙に浮いた。
弓菜は直ぐに、幼児の手を優しく握った。
「こんな展開、見たことねぇ……」
さながら、無重力状態。
「どうなっている!」
直久が叫ぶ。
「結構、真っ直ぐ立つことが難しいな」
川一は、口で言いながらも真っ直ぐ浮いていた。
「この状態が永遠に続く可能性は、物理的にありえない」
川一は淡々と述べた。
他の人も、彼の真似をする。
1分、丁度に重力が復活。不思議なことに全員の体がゆっくりと降下した。
この建物にいる人たちは、誰も怪我することがなかった。
「宇宙に行ったような、気分だぜ!」
「いやいや、川一くん。絶対可笑しいでしょ。
万有引力と遠心力の関係で、重力が減るとかありえないから」
カワウソが展示されている前で、弓菜は子供の母親に感謝される。
弓菜は、心山たちの方へと向かう。
心山は2人に自己紹介を勧め、現在。
「何度か、会ったことがあるんだが。改めて、勾乃川一。宜しくな」
「初めまして、俺は直久海晴だ」
「自己紹介、ありがとうございます。私の名前は開絵弓菜です」
整った顔立ち。透明度の高い肌をより、近くで見た海晴は脈拍がわずかに上昇する。
「そうだ。これから皆、一緒にどう?」
「よくこんな、異常事態に動物を見ようと思えるな……」
風が吹いた。
ぶつかる音で、直久が床に倒れていたことに気づく。
「いってぇ……」
「どうした、海晴」
額を右手で擦りながら、膝を床に突き立ち上がった。
「嘘……。モンスター」
「えっ? 何だよ、琴咲」
川一が後ろに振り返った、瞬間。顎が落ちる。
「ハァー! ゴブリン!?」
最後に直久はゴブリンを見て、絶句した。
「何で……」
132センチメートルの体は緑青色。
右手に、殺傷能力が高いと思われるメイス。
彼らの7メートル先にゴブリン。
先端に三角形の鉄片が、放射線状に配置されていた。
「急に動かず、ゆっくり下がろう」
直久は呟きながら、後ろに右足を出す。
ゴブリンはメイスを保持したまま、微動だにせず頭を垂れていた。
「やっぱり、経験者は違うな」
ゆっくりと後ろに下がる。
「剣道と空手を昔、かじったことがあるだけだ」
4人が背中を見せず、じりじりと後退し続けた。
「襲い掛かってきたりしないよね?」
「琴、鞄は両手で持っておいた方がいいぞ」
「川一くん……」
タイル風の床の上に立っている、4人と1体。
直久は袈裟懸けの紐を掴み、鞄を肩から外す。
「誰か、ナイフ持ってないか?」
川一が振り返って、全員に訊ねた。
琴咲を除き、2人が首を横に振った。
「フルーツナイフならあるけど……」
「それでいい、貸してくれ」
琴咲は急いで、小さな鞄からフルーツナイフを取り出そうとする。
焦りで、リップクリームが鞄から零れ落ち。落下の衝撃によって、キャップが外れた。
「慌てなくていい、琴。大丈夫だから」
(川一とは、中学からの中。俺にライトノベルの面白さや楽しさを教えてくれた)
「“戦いは望まなくても、起きることがある”」
「えっ?」
弓菜が少し驚く。
「ナイフ。フルーツナイフあったよ!」
「『直球のアウトライン』の主人公、空波実知」
「えー。無視するとか、酷くない?」
「直ラ、劇場版アニメで言った言葉だな」
川一の問いかけに、直久は同意した。
「だが、こうも言った。“負ける可能性が8割以上なら、戦わない”ってな!」
川一は琴咲の右手首を掴む。
琴咲は、フルーツナイフを右手に保持したまま、驚く。
「逃げるぞ」
弓菜は動かなかった。
「弓菜さん!」
直久の呼び掛けに対し、
「……誰かくる」
直久は無言で弓菜の前に立ち、自動ドアの先を見る。
2人のカップルらしき、男女が入ってきた。
「うわっ、キモッ!」
「えー、妖精? とか、なんじゃない?」
「それに近づくな!」
「何だよ、撮影かよ。たく……他所でやれよな」
『U・S・A』と胸にプリントされた長袖のシャツを着た男が、ジーパンの右ポケットに右手を突っ込む。
スマートフォンを取り出し、ゴブリンへ向け画面操作。
シャッター音。
数秒後、ゴブリンが顔を上げた。
「うわっ、動いた!」
直久は数歩で、ゴブリンに迫る。
右足を軽く上げ溜め、回すように後ろから右へ向かって蹴りつけた。
我流の後ろ回し蹴りが、ゴブリンの頭部に直撃。
数メートル、ゴブリンが蹴り飛ばされた。
「邪魔だから、どっか行ってろ!」
叫び声を発しながら、カップルは脱兎の如く走り去った。
床にメイスを叩きつけ杖代わりにし、ゴブリンは立ち上がる。
「やりやがった」
(リヒト?)
一瞬、彼は川一たちに気をとられた。
「前を見て!」
弓菜が叫ぶ。
彼は急いで視線を戻しながら左膝を曲げつつ、床を蹴って跳躍した。
メイスが振り下ろされ、鈍く空気を裂く。
ゴブリンは体勢を立て直そうとする。
大きく距離をとった海晴は、鞄からスマートフォンを取り出しゴブリンに向ける。
数秒後にシャッター音。
「川一、受け取れ!」
手から離れたスマートフォンが宙を舞い、川一はそれをキャッチした。
「現実なのかよ……」
画面に映ったゴブリンを、見詰め続ける。
「今にも、身震いしそうだ」
「……本当かよ、海晴」
(昔みたいに、攻撃を受ければ大怪我する筈だ)
息が荒くなりつつも、彼は口を開く。
「これが、夢だとしても現実でも無傷で帰る!」
「それも、たぶん。どこかのラノベに載ってたと思うが、取り敢えず。受け取れ!」
投げられたフルーツナイフは大きく弧を描き、ゴブリンと直久の頭上を越える。
「おぃ!」
ゴブリンは、にたにたと笑いつつ、メイスを上から振り下ろす。
振り下ろされたメイスによって、床に小さな亀裂が入った。
(踏み込めない、昔なら楽勝な敵だったのに……)
余計な思考が彼の判断を遅らせる。
(くそっ! 何で怖いんだよ)
恐怖で体にキレが無くなりつつも、攻撃を躱し続けた。
「直感を信じろ!」
(何だよ、直感って……昔みたいに自己強化魔法が使えればどれほど、楽か)
直久はゴブリンの攻撃を躱し、右手で殴りつける。
「いてっ!」
右拳を左手で擦った。
(硬過ぎだろ!)
大きく跳び過ぎた直久は壁に背中をぶつける。
舌打ち後、直ぐに右へ跳びゴブリンの攻撃から逃れた。
(攻撃を少しは、予測できるようになったが……)
右に少しずつ、足を動かしゴブリンから距離を取る。
彼の背後にある自動ドアが開く。
ゴブリンは、ゆっくりと横歩きで彼の元へ向かう。
「こいよ、ゴブリン」
挑発しながら、鞄を両手で持つ。
ゴブリンの動きは、彼に読まれていた。
メイスの振り下ろしを鞄で受け止め、前蹴り。
蹴り飛ばされたゴブリンが、床に頭を打ちつけた。
鞄に鉄片が刺さり、ゴブリンの手を放させメイスを手に入れる。
見事。彼の思惑通りに進んだ。
右手にメイスを保持した直久は、持ち上げ振り下ろす。
空気を裂く音が全員の耳に届く。
「どうする?」
彼はゴブリンに訊ねた。
右手を床に突きゴブリンは、立ち上がった。まだ、ゴブリンの瞳から闘志は失われていない。
「何の為に、戦ってんだ……」
ゴブリンが彼に向かって走る。
対抗するように左腕の肘を引き、構えた。
ゴブリンが、彼の間合いに入った瞬間。力を一気に込め、左拳が放たれる。
ゴブリンの顔面に拳が減り込み、打撃音が辺りに流れる。
直久の目はわずかな、空色を認識した。
同時にゴブリンの体色が茄子紺へと変化し、仰向けで倒れた。
「……正拳突きで、決めやがった! ところで、倒せたのか?」
川一は、仰向けで倒れているゴブリンを指差す。
「たぶん、生きている……。気絶しただけだ」
「いつまでも、ここにいると警察がくるんじゃない?」
心山は、尤もらしいことを皆に投げ掛けた。
「メイスに付いた指紋。ふき取った方が、いいんじゃないか?」
「別に調べられても、適合者無しって出るだけだ。だが、一応拭いておく」
鞄からハンカチを出していた直久の拳を見た弓菜が、自分の鞄から絆創膏を取り出し口を開く。
「左拳から血が出てますよ。直久さん」
彼に絆創膏を渡す。
鞄を床に置く。絆創膏の外側にあるビニールを剥がそうとするが、絆創膏を落としてしまう。
(今頃になって、痺れ始めやがった)
「ごめんなさい、わたしが貼ります」
「ありがと」
彼は弓菜に左手を差し出す。
彼らが床に落とした物、全てを拾い上げ。動物園を出た。
帰る為のバスを待つ間、先ほどの出来事について話していた。
「ゴブリンの癖に、動きが早いよな!」
スマートフォンで撮った動画を観ながら、川一は興奮気味に言った。
「いつの間に撮ったんだ。まったく……」
(俺の動き、遅過ぎだろ)
「カップルの男がスマホでゴブを撮影してから。あのゴブリンが、動き出したよな」
「確かに、現象としては具現化しているようだったけど……」
勾乃川一と心山琴咲の2人がカップルとして成立している訳のひとつに、認め合いがある。
「『ラノベ・マンガ・ラノベ』であった、ラノベ作品の具現化に近いのかも」
心山の話で、彼は思い出す。
(『ラノベ・マンガ・ラノベ』か、作品内独自設定のラノベ作品が現実になる話だったな)
「モンスターの具現化だったり、魔法や超能力の実体化。と言うことは、魔法が使えたりするのか?」
「そもそもの魔力が、無いと無理でしょ」
赤色灯の光が、彼らの目に飛び込んでくる。
「眩っ!」
数台のパトカーが、サイレンを鳴らしながら動物園の方へ向かった。
「やっぱり。誰か、警察に通報したのか……」
直久の呟きに川一が、反応する。
「高校生が、ゴブリンを暴行していますってか」
川一が、少しふざけた言い方で言った。
「高校の制服着ているのは、お前だけどな」
「……ラノベな展開は、ラノベだけにして欲しいぜ」
弓菜が、あの。と声に出す。
「若しかしたら、髪の色が関係していたりしませんか?」
「弓菜ちゃん。ニュージェネレイションのこと?」
「はい」
「それから、黒髪が絶滅危惧種になったんだよね。でも、それは遺伝子が影響しているせい」
「髪の毛の遺伝子を、変えるほどの何かが」
言葉を遮るよう現れた燃料電池バスが、静かに目先のバス停で停車した。
「乗ろうぜ」
川一の言葉で彼女らが、バスに乗る。
最後に直久が乗り込んだ。
(今回の出来事が、最初で最後だったらいいが……)
彼らの話し合いは、バスの中では行なわれなかった。
§ § §
ここは、天神某所ビル。
スーツを着込んだ職員が忙しなく動いていた。
『福岡市内全域にM2FK素粒子力場が、発生しています。一部地域では、重力の変動を観測しました』
館内アナウンスに全員、動きを止める。
『モンスターが出現しています。警戒レベル最高位のレベル1です。特例異世界法により2016年10月15日11時を以て、全異世界物品の使用が福岡市内でのみ。可能になりました』
男が溜め息をつきながら、口を開く。
「たった98人で、どうしろってんだよ……」
【柿谷俊田】と書かれたネームプレートが、蛍光灯の光を反射した。




