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神「賢者が魔法を使えるなんて、誰が決めた?」  作者: 源泉
第五章:検索結果が一致しません

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9大きな計画



翌朝、村を出るころには、空は薄く晴れていた。


夜のあいだに冷えた空気が、まだ道の端に残っている。

宿の前では、荷運びの男と宿の手伝いが、昨日の荷車を囲んでいた。


車輪を外し、車軸を確かめている。


二人の間にまだぎこちなさは残っていたが、昨夜のような刺々しさはない。


宿の主人は、柵のそばで二人に何かを説明していた。ときどき広場の方を指差している。

おそらく掲示板の位置も含めて、荷車の通り道を見直すつもりなのだろう。


リテナはそれを見て、小さく息を吐いた。


「ちゃんと話してるね」


「ああ」


ケンサクは短く答えた。


壊れたものは、直せばいい。


そう言った。


だが、直し始めるには、まず壊れていると認めなければならない。


それだけでも、この村にとっては少し難しいことだったのかもしれない。


ゼドは少し離れたところで、その様子を黙って見ていた。


白い外套はいつも通り整えられ、表情もいつも通り少し偉そうだったが、その目は昨日より少しだけ静かだった。


宿の主人がゼドに深く頭を下げる。


「お気をつけて。勇者様にも、どうぞよろしくお伝えください」


「うん」


ゼドは短く頷いた。


「荷車はちゃんと直しておけよ。また同じことになったら意味がない」


「はい。必ず」


主人はもう一度頭を下げた。


荷運びの男と宿の手伝いも、気まずそうに、けれど並んで頭を下げる。


「その……ありがとうございました」


ケンサクは首を振った。


「俺は見ただけだ。直すのはそっちだろ」


荷運びの男は少し驚いた顔をして、それから小さく頷いた。


「……はい」


リテナが笑う。


「頑張ってね」


「はい!」


今度は宿の手伝いも、少しだけ表情を緩めた。


一行は村を出た。


白い旗が朝風に揺れている。


整った道。


きれいに並んだ家々。


昨日と同じ村なのに、朝の光の中では、少しだけ違って見えた。


それでも、勇者の印は変わらず村の入口に掲げられている。


ゼドが先頭に立つ。


「ここから拠点までは半日くらいだ。昼を少し過ぎる頃には着く」


「本当に近いんだな」


「拠点の手前の村だからな」


しばらく歩いたところで、ケンサクはふと思って口を開いた。


「なあ、ゼド」


「なに」


「ここまで来れば、お前一人でも拠点まで行けるんじゃないか?」


ゼドが振り返った。


その眉が、少しだけ不満そうに寄る。


「ここまで来たんだから、勇者様の拠点を見ていけ」


「見せたいのか?」


「別に」


ゼドはすぐに前を向いた。


けれど、その声には隠しきれない誇らしさがあった。


「でも、見れば分かる。勇者様がどれだけ世界を守っているか」


リテナが少しだけ緊張した顔になる。


「勇者様の拠点か……」


ホタルはケンサクの肩で小さく光った。


「ケンサク、どうするの?」


その声は、いつもより少し静かだった。


「……そうだな。ここまで来たんだ。見ていく」


道は森を抜け、ゆるやかな丘陵に変わっていった。


空が広い。


遠くには低い山並みが見え、草原の向こうに、白い街道が一本伸びている。

拠点に近づいているからか、道はよく整えられていた。

石は取り除かれ、ところどころに白い道標が立っている。


ケンサクは歩きながら、前を行くゼドに尋ねた。


「勇者は、何を目的に平和を守ってるんだ?」


ゼドは足を止めかけた。


それから、不思議そうに振り返る。


「目的?」


「ああ」


「変なことを聞くな」


「変か?」


「変だろ」


ゼドは少し考えるように目を伏せた。


「平和を守るために、勇者様は存在する」


迷いのない答えだった。


ケンサクはその言葉を受け止める。


「それは目的というより、役割じゃないか?」


ゼドは眉を寄せた。


「役割と目的って、そんなに違うの?」


「違う場合もある」


「じゃあ、お前は何のために生きている?」


今度はケンサクが黙った。


ゼドは前を向いたまま続ける。


「生まれたから生きている。そう答える人もいるだろ。理由なんて、後からつけるものだ」


風が草を揺らす。


ゼドの白い外套の裾も、少しだけ揺れた。


「勇者様が平和を守るのも、それと同じくらい自然なことだ」


ケンサクは返事をしなかった。


自然なこと。

生まれたから生きる。

息をする。


水が低い方へ流れる。

太陽が昇る。


それと同じくらい自然に、勇者は平和を守る。

もし本当にそうなら。


もし勇者にとって平和を守ることが、目的ではなく存在そのものなのだとしたら。


それを止めるには、どうすればいい。


ケンサクは胸の奥で、声にならない問いを立てた。


どう止める?

その前に何を止める?


答えは返ってこなかった。


前の世界の知識でも、この世界の知識でもない。

これは人の心と、役割と、存在の話だ。


ケンサクの中に、すぐ使える答えは浮かばなかった。


しばらく歩くうちに、道は少し広くなった。

ゼドとリテナが前の方で、道標の文字を見ている。


その隙に、ケンサクは肩のホタルへ小さく声をかけた。


「ホタル」


「なに?」


「勇者を止めるとして……何を、どう止めればいい?」


ホタルの光が、ほんの少しだけ揺れた。


いつものように茶化す気配はない。


「……難しいね」


「そこはもう少し具体的に言え」


「言えるなら言ってるよ」


ケンサクは目を細めた。


「お前、何か知ってるだろ」


「知ってることと、言えることは違うんだよ」


「便利な言い訳だな」


「便利じゃないよ」


ホタルの声は、珍しく軽くなかった。


「勇者は、悪意で動いてるわけじゃないから」


「それは分かってる」


「それに、勇者は……平和を守ることから降りられない」


ケンサクは歩みを少しだけ遅める。


「降りられない?」


ホタルはすぐには答えなかった。


光が、小さく揺れる。


「勇者だから」


「説明になってない」


「うん」


ホタルは短く言った。


「でも、それが一番近い」


ケンサクは前を歩くゼドの背中を見る。


勇者の従者。

信じる者。

勇者に救われた少年。


ゼドには言えない。


自分がこの世界へ来た理由が、勇者を止めることだとは。


少なくとも、今はまだ。


「世界のため、なんだろうね」


ホタルがぽつりと言った。


ケンサクは低く返す。


ケンサクは、ほとんど息だけで返した。


「世界のためなら、何をしてもいいのか?」


ホタルは黙った。

その沈黙が、答えの代わりのようだった。


「勇者様の話?」


不意に、前を歩いていたゼドが振り返った。


ケンサクは表情を変えずに顔を上げる。


聞こえていたのは、おそらく「勇者」と「世界」くらいだろう。


「まあな。拠点が近いから、どういう場所か聞いてた」


「ふうん」


ゼドは少しだけ疑うようにケンサクを見たが、すぐに胸を張った。


「見れば分かる。勇者様の拠点は、普通の場所じゃない」


「そうらしいな」


「世界中から報告が集まる。怪我人も、助けを求める人も来る。

従者たちも、礼拝堂の者たちも、みんな勇者様のために動いてる」


ゼドの声には誇りがあった。


けれど、少しだけ違うものも混じっていた。


ケンサクはそれに気づく。


「ずっと、そんな感じなのか?」


ゼドの表情が、ほんのわずかに変わった。


「ずっと?」


「ああ。勇者は忙しいんだろ」


「……忙しい」


ゼドは前を向く。


「勇者様は、最近は特に忙しそうにしている」


リテナがゼドを見る。


「前から忙しいんじゃないの?」


「前も忙しかった。でも、最近は少し違う」


ゼドは道の先を見ながら話す。


「拠点に戻っても、すぐ報告を読みに行く。

従者たちへの指示も増えた。前より細かく、いろんな場所のことを集めている」


ケンサクは黙って聞いた。

ホタルも何も言わない。


ゼドは続ける。


「礼拝堂にいる時間も長くなった。夜も、部屋の明かりが遅くまで消えない」


リテナが小さく呟く。


「そんなに……」


「勇者様は休まないから」


ゼドはそう言った。

だが、そこにあるのは誇らしさだけではなかった。


声の端に、少しだけ寂しさがあった。


「前は、見回りから戻ると、少しは話してくれた」


ゼドはすぐに口をつぐんだ。


言いすぎたと思ったのか、少しだけ不機嫌そうに眉を寄せる。


「……別に、今も話してくれるけど」


ケンサクは何も言わなかった。

リテナも、ゼドを急かさない。


ゼドは草の揺れる道を見つめながら、ぽつりと言った。


「何か大きいことをやるつもりなのかもしれない」


その言葉に、空気が少しだけ変わった。

リテナが不安そうに聞く。


「大きいこと?」


ゼドは首を振る。


「知らない。僕には、まだ話してくれない」


まだ。


その言葉が、妙に引っかかった。

話してくれない、ではない。


まだ話してくれない。


ゼドは、自分がいずれ知らされる側だと信じている。


勇者に信頼されていると信じている。

だからこそ、その言葉は少しだけ寂しく聞こえた。


けれどゼドはすぐに顔を上げる。


「でも、勇者様が決めることなら必要なことだ」


その声には、いつもの強さが戻っていた。


リテナは小さく頷いた。


「……それって、なんだろうね」


ケンサクはリテナの表情を見る。


昨夜、勇者のことを考えるとまだ怖いと言った顔を思い出す。


「まだ何も分かってない」


ケンサクは静かに言った。


リテナがこちらを見る。


「うん」


短い返事だった。

けれど、前より少しだけ落ち着いていた。


ケンサクはホタルを見る。

ホタルは何も言わない。


光だけが、いつもより弱く揺れている。


何か大きいこと。

勇者が細かく報告を集めている。

礼拝堂に長くいる。

夜遅くまで明かりが消えない。

従者たちへの指示が増えている。


条件が並ぶ。


けれど、答えはまだ見えない。

ケンサクの中に、また問いが立つ。


なにを、どう止める?


やはり、答えは返ってこなかった。

道はさらに開けていった。


丘を越えると、遠くに白い建物が見えた。

最初は、雲かと思った。


だが、違う。


丘の向こう、緩やかな高台の上に、白い壁が連なっている。

中央には細い塔が立ち、その先端に光を受けた旗が揺れていた。


建物の周囲には低い外壁があり、そこからいくつもの道が伸びている。


街というほど大きくはない。

だが、ただの屋敷や砦でもない。


訓練場らしき広場。

礼拝堂の屋根。

人の出入り。

白い旗。

整えられた道。


遠目にも、そこが特別な場所なのだと分かった。


リテナが息を呑む。


「……あれが」


ゼドは立ち止まり、誇らしげに胸を張った。


「あれが、勇者様の拠点だ」


その声は、まるで自分の宝物を見せる子どものようだった。


ケンサクは白い拠点を見つめる。


美しい。

整っている。

そして、どこか大きすぎる。


あの中に、勇者がいるのかもしれない。


あるいは、勇者が進めている何かの痕跡があるのかもしれない。


「ここまで来たんだから、ちゃんと見ていけ」


ゼドが言う。


ケンサクは短く答えた。


「ああ」


ホタルは肩の上で、ひどく静かだった。


風が吹く。

白い旗が揺れる。


何か大きいこと。

何を、どう止める?


ケンサクは、その二つの言葉を胸の奥で繰り返しながら、勇者の拠点を見上げた。

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