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神「賢者が魔法を使えるなんて、誰が決めた?」  作者: 源泉
第五章:検索結果が一致しません

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8夜風の約束



宿の裏手で起きた騒ぎが収まると、村はまた何事もなかったように静かになった。


外れかけた柵は、とりあえず縄で固定され、荷車は明日の朝に改めて調べることになった。

荷運びの男と宿の手伝いは、ぎこちないながらも互いに頭を下げていた。


それで終わった。

少なくとも、表面上は。


宿の中へ戻ると、廊下には夜の冷えた空気が流れていた。

食堂の灯りは落とされ、二階へ続く階段も薄暗い。窓の外には、整った村の灯りが静かに並んでいる。


リテナは自分の部屋の前で、一度足を止めた。


「……じゃあ、また明日ね」


「ああ。明日は早いらしいからな」


ケンサクが答えると、リテナは小さく頷いた。


けれど、扉に手をかけたまま、すぐには中へ入らない。


その表情に、ほんの少しだけ迷いがあった。


「リテナ?」


ケンサクが声をかけると、リテナははっとしたように顔を上げた。


「あ、ごめん。なんでもないよ」


そう言って笑う。


いつものように明るく笑おうとしている。

けれど、完全には笑えていなかった。


ケンサクは少しだけ考えてから、廊下の先にある小さな窓を指した。


「少し、外の空気でも吸うか」


リテナは目を丸くする。


「え?」


「眠れそうにない顔してたから」


「……ケンサクも?」


「まあ、少しな」


そう言うと、リテナは少しだけ安心したように笑った。


二人は宿の裏手にある小さな中庭へ出た。


昼間に見た柵からは少し離れた場所で、庭と呼ぶには質素だったが、木の椅子がひとつと、水桶が置かれている。

夜風は冷たく、湿った土の匂いがした。


空には星が出ていた。


村の灯りはきれいに並んでいるのに、どこか作り物のようにも見える。


リテナはその灯りをしばらく眺めていた。


「この村、きれいだね」


「ああ」


「道もちゃんとしてるし、宿も立派だし、みんな礼儀正しいし」


「そうだな」


リテナはそこで少し黙る。


それから、ぽつりと言った。


「でも、少し怖かった」


ケンサクは横を見る。

リテナは村の方を見たままだった。


「子どもが椅子を倒しただけで、みんな固まってたでしょ。

柵のことも、誰かが悪いって決めないといけないみたいになってた」


「……ああ」


「悪いことをしないように、っていうより……悪いことに見えないようにしてる感じがした」


リテナらしい言い方だった。


理屈ではなく、空気をそのまま言葉にしている。

ケンサクは少しだけ頷いた。


「勇者に心配をかけたくない。……そう思いすぎてるのかもな」


その言葉に、リテナの肩がわずかに揺れた。


勇者。


その名前が出た途端、夜の冷たさが少しだけ増したように感じた。


リテナは自分の手を胸元で軽く握る。


「勇者様は、すごい人なんだと思う」


声は静かだった。


「魔王を倒したのも本当だし、今もたくさんの人を助けてるんだよね。

ゼドも……勇者様に救われたんだよね」


「ああ」


「ゼドが言ってたこと、嘘じゃないと思う。あの髪も、目も……ゼドにとっては本当に、救われた証しなんだと思う」


リテナはそこで言葉を切った。


夜風が、彼女の髪を少し揺らす。


「でも、あたしは……」


その声は、さっきより少し小さかった。


「勇者様のことを考えると、まだ少し怖い」


ケンサクは何も言わなかった。


リテナの中にあるものを、急いで掘り返す必要はないと思った。


両親のこと。

浄化という言葉。

炎。


勇者の存在。


それらが、リテナの奥にまだ残っていることは分かっていた。


リテナは慌てたように笑う。


「あ、でもね。勇者様が悪いって言いたいわけじゃないよ。ゼドのことも、村の人たちのことも、助けられた人たちのことも、本当なんだと思う」


「分かってる」


ケンサクが短く答えると、リテナは少しだけ表情を緩めた。


「ケンサクは、そういうところちゃんと聞いてくれるよね」


「そうか?」


「うん。決めつけないでくれる」


リテナは木の椅子にそっと腰かけた。


ケンサクはその横に立ったまま、村の灯りを見る。


少しの沈黙。


それからリテナが、ぽつりと続けた。


「あたしね、最初は冒険者に憧れてただけだったんだと思う」


ケンサクは横を見る。


リテナは自分の膝の上で指を重ねていた。


「村の外に出て、知らない場所を見て、誰かを助けて……そういうの、ずっと憧れてた」


「そう言ってたな」


「うん。ケンサクについていけば、外の世界を見られるって思った。冒険者みたいになれるって」


リテナは少しだけ笑った。


けれど、その笑顔は昼間のような明るさだけではなかった。


「でも、今は……それだけじゃない気がする」


ケンサクは何か言おうとして、言葉を選ぶ。


リテナは続けた。


「うまく言えないんだけどね。外の世界が見たいのは本当。冒険者に憧れてるのも本当。

でも、それだけだったら……たぶん、こんなに怖くなったり、嬉しくなったりしない気がする」


夜風が二人の間を通る。

リテナはケンサクを見上げた。


「ケンサクと一緒にいると、怖いこともあるけど……少しずつ、大丈夫って思えるんだ」


その言葉に、ケンサクはすぐには返せなかった。

ゼドは勇者に救われた。


救われる側でいていいと言われて、攻撃魔法を手放した。


リテナは、ケンサクとの旅の中で少しずつ、自分で歩こうとしている。


どちらも救いなのかもしれない。

けれど、その形はまるで違う。


ケンサクは、リテナの不安を軽くできればと思って口を開いた。


「無理についてくる必要はないぞ」


リテナの表情が、ほんの少し止まった。

ケンサクは気づかず続ける。


「リテナには、俺についてくる義務なんてないんだから。

危ないと思ったら、戻ってもいい。村に戻って暮らすことだって――」


「ケンサクは優しいね」


リテナが静かに言った。


その声に、ケンサクは言葉を止める。


リテナは微笑んでいた。

けれど、少しだけ寂しそうだった。


「あたしのこと、ちゃんと考えてくれてるんだよね」


「ああ。そのつもりだけど」


「うん。分かってる」


リテナは膝の上の手を、ぎゅっと握った。


「でも、あたしがついていきたいって思ってるのも、本当だよ」


ケンサクはようやく、自分の言葉が少しずれていたことに気づいた。


リテナは、行きたくないと言っているわけではない。


怖くないと言いたいわけでもない。

それでも、一緒に行きたいと言おうとしている。


ケンサクは息を吐いた。


「……追い返したいわけじゃない」


「うん」


「ただ、苦しいなら、選べるようにしておきたかった」


リテナは少しだけ目を細める。


「そういうところ、ケンサクらしいね」


「褒めてるのか?」


「うん。たぶん」


リテナが小さく笑った。


その笑顔は、さっきより少しだけ自然だった。


ケンサクは村の灯りから視線を戻し、リテナを見る。


「なら、言い方を変える」


「うん?」


「今は、一緒に来てくれると助かる」


リテナの瞳が、ほんの少し大きくなる。

ケンサクは続けた。


「俺だけじゃ気づけないこともある。リテナがいるから助かった場面も多い。

だから……無理はしてほしくないけど、来てくれるなら心強い」


リテナはしばらく黙っていた。


それから、ゆっくりと笑った。


「うん」


その声は、さっきよりずっと柔らかかった。


「任せて。あたし、ちゃんと歩くから」


「頼りにしてる」


ケンサクがそう言うと、リテナは少し照れたように視線を落とした。


夜風がまた吹く。


さっきまで冷たかった空気が、少しだけやわらいだように感じた。


リテナは立ち上がる。


「そろそろ寝るね。明日、早いんだよね」


「ああ」


「ケンサクも、ちゃんと寝てね」


「善処する」


「それ、寝ない人の返事だよ」


リテナがくすっと笑う。


「おやすみ、ケンサク」


「おやすみ、リテナ」


リテナは軽く手を振り、宿の中へ戻っていった。


その後ろ姿は、最初に外へ出た時よりも少しだけ軽く見えた。


ケンサクはしばらく中庭に残り、村の灯りを見ていた。


ゼドの言葉が頭に残っている。


人も?


壊れたものは、直せばいい。


自分はそう言った。


だが、人は柵や荷車ほど単純ではない。


壊れた理由が分かっても、すぐに直るとは限らない。


それでも、見ないよりはいい。


理由を見ないまま誰かを責めるよりは、ずっといい。


「ケンサクってさ」


不意に、肩のあたりから声がした。


ケンサクはびくりとする。


「お前、起きてたのか」


ホタルが、いつの間にかケンサクの肩の上で淡く光っていた。


さっきまで完全に気配を消していたはずだった。


「神は寝ないよ」


「さっき部屋で寝息みたいな音を立ててただろ」


「あれは神秘的な振動だよ」


「便利な振動だな」


ホタルはふよふよと浮かび、ケンサクの顔の前に回り込んだ。


そして、にやりと笑うように光を揺らした。


「ケンサクは賢いのに、女ごころは分かってないのかもね」


ケンサクは眉をひそめる。


「……女心?」


「うわあ、本当に分かってない」


「何の話だ」


「今の話だよ」


「リテナが旅についてくるかどうかの話だろ」


ホタルは大げさに光をしぼませた。


「これは重症だね」


「お前に診断されたくない」


「神は恋愛にも詳しいんだよ」


「酒と食べ物にしか興味がなさそうなのに?」


「恋と食は世界を動かすんだよ」


「雑に壮大なことを言うな」


ホタルはくすくすと笑うように光った。


それから、少しだけ声を柔らかくする。


「でも、ちゃんと言い直せたのは偉いと思うよ」


ケンサクは黙る。


ホタルは続けた。


「まあでも、リテナは嬉しそうだったよ」


「……そうか」


「うん」


ホタルはケンサクの肩へ戻る。


「だから、次からはもうちょっと言葉を選ぼうね」


「努力する」


「それも分かってない人の返事だよ」


「厳しいな」


「神だからね」


ケンサクは小さく息を吐いた。


夜の村は、まだ静かだった。


白い旗。


整った道。


息をひそめるような家々。


その中で、リテナの笑顔だけが少し温かく残っている。


ケンサクは空を見上げた。


勇者に救われたゼド。


旅の中で、少しずつ前を向こうとしているリテナ。


救いにも、いろいろな形があるのかもしれない。


そう思いかけて、ケンサクは首を振った。


まだ、答えを出すには早い。


ただ今は、明日も一緒に歩く。


それだけで十分だと思った。

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