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神「賢者が魔法を使えるなんて、誰が決めた?」  作者: 源泉
第五章:検索結果が一致しません

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7荷車のなぞ



夜が深まり、宿の食堂から人の気配が少しずつ減っていったころだった。


ケンサクたちは二階の部屋へ戻ろうとしていた。


廊下には磨かれた木の匂いがあり、窓の外には整然と並ぶ村の灯りが見えている。

食堂で感じた息苦しさは、廊下に出てもまだ胸の奥に残っていた。


そのとき――。


がたん、と裏手の方から大きな音がした。


自分の部屋へ入ろうとしていたリテナが肩を跳ねさせる。


「今の音は……?」


続いて、抑えきれないような声が聞こえた。


「だから、俺じゃないって言ってるだろ!」


「またそうやって言い逃れするつもりか!」


宿の裏手から、言い争う声が響いている。


ゼドの部屋の扉が開いた。


白い外套こそ脱いでいたが、ゼドはすでに外へ向かう顔をしていた。


リテナもすぐに後を追う。


「行こう、ケンサク!」


「ああ」


ホタルがケンサクの肩で小さく光る。


「……なんか嫌な空気だね」


三人と一匹が宿の裏手へ向かうと、そこには数人の村人が集まり始めていた。


宿の裏手には、昼間ケンサクが見たばかりの新しい柵がある。


その一部が、また外れかけていた。


新しく打ち直された木材が斜めにずれ、釘が半分抜けかかっている。

完全に壊れたわけではないが、無理に押せば倒れてしまいそうだった。


その前で、二人の若い男が言い争っていた。


一人は宿の手伝いらしい青年。もう一人は、荷運びをしているらしい男で、そばには小さな荷車が置かれている。


宿の手伝いが、怒りを抑えきれない声で言った。


「前もそうだっただろ! 掲示板を壊したときも、お前は知らないって言った!」


荷運びの男は顔を真っ赤にして言い返す。


「だから、あれも俺じゃない!今回だって、普通に荷車を通しただけだ!」


「普通に通して、柵が勝手に壊れるわけないだろ!」


周囲の村人たちは青ざめていた。


誰かが小さく呟く。


「ゼド様がいらっしゃる日に、なんてことを……」


別の誰かが、声を低くする。


「また揉め事だなんて……」


宿の主人は顔色を悪くし、二人の間に入ろうとしていたが、うまく止められていない。


「おやめなさい。今は……今は、ゼド様がいらっしゃるのですから」


その言葉で、言い争っていた二人がはっと振り返った。


ゼドが前に出る。


「静かにしろ」


子どもの声なのに、その場の空気がすぐに縮まった。


荷運びの男も、宿の手伝いも、口を閉ざす。


ゼドは外れかけた柵を見たあと、二人へ視線を向けた。


「誰が壊した?」


その問いに、宿の手伝いがすぐに荷運びの男を指した。


「こいつです。前の掲示板の時も、この荷車を押していたのはこいつでした」


「違う!俺はぶつけてない!」


荷運びの男が叫ぶ。


ゼドの目が少し細くなった。


「前にも同じことがあったのか」


宿の主人が慌てて口を挟む。


「い、いえ。たいしたことでは……掲示板の木枠が少し傷んだだけで、すぐに直しました」


「傷んだだけ?」


ゼドの声が低くなる。


宿の主人は言葉に詰まった。


周囲の村人たちが、さらに息を詰める。


ゼドは淡々と続けた。


「同じことが繰り返されているなら、報告する必要がある」


「報告……」


荷運びの男の顔から血の気が引いた。


宿の手伝いも、勢いを失う。


リテナが慌てて前に出た。


「待って、ゼド。このくらいでそこまで……」


ゼドはリテナを見た。

その目は冷たくはない。


けれど、揺らいでもいなかった。


「柵や掲示板が壊れたこと自体が、平和を乱すわけじゃない」


リテナは少し安心しかける。


だが、ゼドは続けた。


「でも、村人たちが互いを疑っている。罪を認めない者がいる。言い争いが続いている」


ゼドの視線が、荷運びの男と宿の手伝いへ向く。


「それが問題だ」


場がさらに静まった。


荷運びの男が唇を震わせる。


「俺は……本当にやってないんだ」


「でも、疑われる理由があるんだろ」


ゼドは淡々と言う。


「なら、確認する。必要なら勇者様に報告する」


「勇者様に……」


宿の主人が小さく息を呑む。


どちらが悪いにせよ、争いがあるなら正さなければならない。

ゼドの目は、そう言っているように見えた。


ケンサクはその様子を見ていた。


誰も、柵を見ていない。

誰も、荷車を見ていない。


皆が見ているのは、ゼドの顔と、互いの表情だけだった。


ケンサクは一歩前に出る。


「待て。まだ判断するには早い」


ゼドが振り返る。


「また?」


以前の件を思い出したのか、ゼドの声には少し不満が混じっていた。


ケンサクは頷く。


「まただ」


リテナがほっとしたようにケンサクを見る。


ホタルは小さく光を揺らしただけで、口を挟まなかった。


ゼドは眉を寄せる。


「今度は人間同士の話だ。魔物とは違う」


「だから余計に、早く決めつけない方がいい」


ケンサクは外れかけた柵の前にしゃがんだ。


「誰が悪いかを決める前に、何が起きたかを見る必要があるだろう」


ゼドは何か言いたそうにしたが、黙った。


ケンサクは柵の木材に触れないよう、近づいて観察する。


新しい木材の表面に、斜めの擦れ跡があった。


爪でも、刃物でもない。


何か硬いものが、横からではなく斜めに引っかかってこすれた跡。


釘はまっすぐ抜けたのではなく、同じ方向へ少しだけねじれている。


地面には車輪の轍があった。


荷車の通った跡だ。


ただし、その轍はまっすぐではない。


宿の裏手を抜ける細い通路の途中で、片側だけが外へふくらむように曲がっていた。


ケンサクは荷車を見る。


「この荷車、少し動かしてもいいか?」


荷運びの男は戸惑いながら頷いた。


「あ、ああ……」


ケンサクは荷車の後ろへ回る。


リテナが近づいた。


「手伝う?」


「いや、まず動きを見る」


ケンサクは荷車を少しだけ押した。


荷車は前へ進む。


一見、問題はない。


だが、曲がり角に差しかかると、後ろの荷台だけがわずかに外側へ振れた。


ケンサクはそこで止める。


もう一度、今度は少し角度を変えて押す。


やはり、後ろが外へ流れる。


荷車を押している本人からは見えにくい。


前を見て進めば、まっすぐ押しているつもりになる。


けれど実際には、後ろの角が外側へ振れて、柵に触れる。


ケンサクは荷台の角を指差した。


「ここだ」


宿の手伝いが眉をひそめる。


「そこが何だっていうんですか」


「柵の擦れ跡と高さが同じだ」


ケンサクは柵を示す。


「柵は殴られたわけじゃない。強く蹴られたわけでもない。斜めに何かが引っかかって、釘が抜けかけた」


荷運びの男が目を見開く。


「じゃあ……」


「荷車の後ろが当たったんだと思う」


宿の手伝いがすぐに言った。


「ほら、やっぱりこいつが!」


「違う」


ケンサクは静かに遮る。


「本人がぶつけた自覚がないのも、おそらく本当だ」


「え……?」


「押している場所からだと、後ろの角は見えにくい。特に夜なら、なおさらだ。

しかもこの荷車、曲がるときに後ろだけ外へ振れる」


ケンサクは車輪にしゃがみ込んだ。


車軸の片側が、わずかに歪んでいる。


古い傷があり、木の輪も片側だけ減っていた。


「車輪か車軸が歪んでる。まっすぐ押しているつもりでも、曲がる時に後ろが余計に振れる」


周囲の村人たちがざわついた。


ケンサクは続ける。


「掲示板も同じだ」


宿の主人がびくりと肩を揺らす。


「なぜ、それを……」


「広場で見た。掲示板の下の木枠だけ新しかった」


ケンサクは荷台の角を見る。


「たぶん、同じ高さに擦れ跡があったんじゃないか。荷車が通る場所に掲示板があって、同じように後ろが当たった」


宿の主人は口を閉ざした。


それが答えだった。


荷運びの男は、力が抜けたようにその場に座り込みかける。


「だから言っただろ……俺は、わざとやったんじゃないって……」


宿の手伝いは気まずそうに視線を落とした。


「でも、荷車を押してたのはお前だったし……前も今回も……」


「責任がないわけじゃない」


ケンサクは言った。


荷運びの男が顔を上げる。


ケンサクは荷車を指す。


「でも、悪意でも、乱暴でもない。荷車の不具合だ。気づかないまま使い続ければ、また壊れる」


ゼドが静かに言う。


「壊したのは事実だ」


「ああ。だから直せばいい」


ケンサクは即答した。


「荷車の車軸を直す。それまではこの裏道を通らない。荷物は一度に積みすぎない。柵の角には当て木をつけた方がいい。掲示板も、荷車の通る場所から少しずらせるならずらす」


宿の主人が呆然と聞いていた。


ケンサクはさらに続ける。


「報告が必要なら、こう報告すればいい」


ゼドがケンサクを見る。


「平和を乱した人間がいた、じゃない。壊れやすい荷車と、狭い通り道があった。

報告するなら、そっちだ」


ゼドは黙った。


その言葉は、すぐには飲み込めないようだった。


リテナが小さく息を吐く。


宿の主人は、深く頭を下げた。


「申し訳ありません……掲示板の時も、些細なことと思い、拠点へは……」


言葉の途中で、主人は唇を噛んだ。


「勇者様のお手を煩わせるほどではないと、思いまして」


ケンサクは主人を責めなかった。


ただ、静かに言う。


「些細なことでも、隠すと大きくなる。

ちゃんと見て、話していれば、ここまで疑い合わずに済んだはずだ」


ケンサクは、外れかけた柵を見る。


「平和を乱さないようにしていたのに、そのせいで話せなくなってたんじゃないか」


主人の肩が小さく震えた。


荷運びの男と宿の手伝いは、互いに気まずそうに顔を見合わせた。


先に頭を下げたのは、宿の手伝いだった。


「……疑って、悪かった」


荷運びの男は、少しだけ唇を曲げる。


「俺も……ちゃんと荷車を見てなかった。すまん」


完全に晴れたわけではない。


けれど、さっきまで張りつめていた空気が、少しだけほどけた。


ゼドはその様子を見ていた。


静かな目だった。


ケンサクが外れかけた柵を見る。


「壊れたものは、直せばいい」


ゼドが小さく言った。


「……人も?」


ケンサクはすぐには答えなかった。


その問いが、ゼド自身のことを指しているようにも聞こえたからだ。


白金の髪。


救われた証し。


攻撃を失った魔法使い。


ケンサクは少しだけ考え、答えた。


「直せることもある。少なくとも、壊れた理由は見た方がいい」


ゼドは何も言わなかった。


ただ、外れかけた柵と、荷車と、謝り合った二人の村人を順に見た。


宿の裏手に、夜の冷たい風が流れる。


村は平和だった。


少なくとも、そう見えるように整えられていた。


けれど、壊れたものを隠し、疑いを飲み込み、誰かを責めることで保たれる平和なら――それは本当に平和なのだろうか。


ケンサクは、宿の窓に映る白い旗を見上げた。


勇者の影は、静かな村の夜にも落ちていた。

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