4まものの親子
休憩を終えた一行は、再び勇者の拠点へ向けて歩き出した。
森の道は少しずつ広くなり、木々の密度も薄くなってきている。枝葉の隙間から落ちる光は、さっきよりも明るい。
けれど空気は、まだ湿っていた。
ゼドは先ほどよりも足取りを取り戻していた。
白い外套の裾を揺らし、ケンサクたちより少し前を歩いている。
リテナはその背中を見ながら、小さく息を吐いた。
「少し元気になったみたいでよかったね」
「本人は認めないだろうけどな」
ケンサクが答えると、肩の上のホタルがふわりと浮かび上がり、光った。
「ケンサク〜!私も少し元気になったよ!ほら、みて!」
「じゃあここからは自分で飛んで移動できるな」
「あれ〜、なんだか力がはいらない気がする〜」
ケンサクはホタルをつまみ、呆れた顔で肩の上に戻した。
そんなやり取りをしていると、前を歩いていたゼドがぴたりと足を止めた。
「静かに」
その声に、三人もすぐに立ち止まる。
ゼドは少しだけ顔を上げ、森の奥へ視線を向けていた。
リテナが小声で尋ねる。
「どうしたの?」
「声がする」
ゼドが短く答えた直後、森の向こうから悲鳴が聞こえた。
「だ、誰か!助けてくれ!」
男の声だった。
リテナの表情が変わる。
「行こう!」
言い終えるより早く、リテナは駆け出していた。
ケンサクも後を追う。
ホタルが肩から浮き上がり、ゼドはそれより少し早く、白い外套を翻して前へ出た。
木々の間を抜けると、荷馬車が一台、道の途中で止まっていた。
馬は怯えて鼻を鳴らし、御者台の男が手綱を握ったまま震えている。荷台には布袋や木箱が積まれ、その影にもう一人、若い女性が身を縮めていた。
積荷を運ぶ商人のようだった。
そして荷馬車の周囲には、小型の魔物が数匹いた。
犬ほどの大きさで、丸い背中に硬い毛が生えている。鼻先は長く、土を掘るのに向いた鋭い爪を持っていた。
低く唸りながら、荷馬車の下や車輪の周囲を行ったり来たりしている。
「魔物……!」
リテナが息を呑む。
ゼドは一歩前へ出た。
「下がってろ、この辺りにはよく出る魔物だ」
ゼドの指先に光が灯る。
次の瞬間、荷馬車の周りに薄い輪のような光が走った。
魔物たちの足元に、淡い円が浮かぶ。
踏み出そうとした一匹が、その光に触れた瞬間、びくりと身を引いた。
さらにゼドが手を振ると、風が細い壁のように立ち上がる。
魔物たちは逃げ道を失い、唸り声を強めた。
けれど、ゼドは攻撃しない。
光の輪で距離を制御し、風で近づけないようにしているだけだった。
魔物を傷つけず、荷馬車にも当てず、狭い範囲だけをきれいに区切っている。
ゼドは振り返らずに言った。
「見てないで、あの人たちを下げて」
「わかった!」
リテナがすぐに御者台へ向かう。
男は震えた声で叫んだ。
「た、助かった……!魔法使い様、どうかその魔物を退治してください!
荷台の下にまで入り込んで……!」
「退治はしない」
ゼドは即答した。
男が目を見開く。
「え……?」
「攻撃は勇者様の役割だ。僕は止めるだけ」
ゼドの声は揺れない。
「お前たちが逃げる間くらいは足止めできる。馬車や荷物は、魔物が去った後で取りに来ればいい」
魔物たちは光の輪の中で落ち着きなく動いていた。
「し、しかし…、積荷がないと生活が…」
「魔物に襲われるよりもましでしょ」
一匹が地面を掘るように爪を立て、別の一匹が荷馬車の下を覗き込もうとしている。風の壁に弾かれ、また低く唸る。
ケンサクはその様子をじっと見ていた。
(……妙だな)
魔物たちは人間を見ていない。
御者にも、荷台の女性にも、リテナにも向かっていない。
視線が向いているのは、荷馬車の下だ。
「ゼド」
「なに」
「少しだけ、風を弱められるか」
ゼドが眉を寄せた。
「何のために?」
「確認したいことがある」
「危ないだろ」
「たぶん、あいつらは襲ってるんじゃない」
ゼドが小さく鼻を鳴らす。
「魔物が荷馬車を囲んでる。十分危ない」
「囲んでるんじゃない」
ケンサクは荷台の下へ視線を向けた。
「見てる方向が、人間じゃない」
ゼドは黙った。
ケンサクはしゃがみ込み、地面を見た。
荷馬車の周りの土には、魔物の足跡がいくつも残っている。
だが、その足跡は人間へ向かう形ではなく、荷台の下を中心に行ったり来たりしていた。
さらに、車輪のすぐ横に小さな引っかき跡がある。
大人の魔物よりも、ずっと小さい爪の跡だった。
「リテナ」
「なに?」
「荷台の下、見えるか。小さい何かがいるかもしれない」
リテナは目を丸くし、そっと荷馬車の反対側へ回った。
「気をつけて」
ケンサクが言うと、リテナは頷く。
「うん」
ゼドは不満そうに光の輪を保っている。
「そんなところを覗いたら、魔物が暴れるぞ」
「お前が止めてくれている」
「……僕が手を離したらどうする」
「お前はそんなことしないだろ」
ゼドは一瞬目を丸くしたが、魔法は緩めなかった。
リテナが荷台の下を覗き込む。
しばらくして、息を呑む声が聞こえた。
「……いた」
「何が?」
「小さい魔物……たぶん、子ども」
御者の男が青ざめた。
「こ、子ども?まさか、荷台の下に入り込んでいたのか……!」
荷馬車の下から、小さな鳴き声が聞こえた。
きゅう、と細く震えるような声。
その瞬間、周囲の魔物たちが一斉に反応した。
「グルル……!」
光の輪の中で、親らしい一匹が強く身を乗り出す。風の壁にぶつかり、毛を逆立てた。
リテナが慌てて言う。
「この子、車輪のところに足が挟まってる! 動けないんだ!」
ケンサクはすぐに荷馬車の構造を見た。
右後ろの車輪。
その内側に、折れた木箱の板が入り込み、小さな魔物の足を押さえているらしい。
「なるほど……」
ケンサクは小さく息を吐いた。
「荷台に入り込んだ子を助けようとして、親が離れられなかったんだ」
ゼドの顔がわずかに動く。
「親……?」
「たぶんな」
ケンサクは荷馬車の男に向き直った。
「積み荷の中に、匂いの強いものは?」
「え、ええ……干し肉と、木の実を少し……途中で袋が破れてしまって……」
「それに子魔物が寄った。親が追いかけてきた。人間を襲いに来たわけじゃない」
商人たちはまだ納得していない顔をしていた。
「でも、魔物は魔物でしょう……? 放っておいていいんですか……?」
「そうだな、襲ってくるようなら、そうかも知れない」
ケンサクは否定しない。
「でも今回は、倒す必要がない」
ケンサクはリテナを見る。
「リテナ、その子を出せそうか?」
「足が挟まってるから、このまま引っ張るのは危ないと思う」
「じゃあ板をずらす。ゼド、親魔物が暴れないように抑えたまま、風の壁に隙間を作れるか」
「命令するな」
「頼んでる」
ゼドは不機嫌そうに目を細めた。
けれど、指先の光が少し動く。
風の壁が、荷馬車の反対側だけ薄くなった。
「少しだけだ。変な動きをしたら、すぐ閉じる」
「十分だ」
ホタルがケンサクの肩で不安そうに光った。
「ねえ、ケンサク……今回は私を投げる流れじゃないよね?」
「今回は投げない」
「ほんと?」
「たぶん」
「たぶん!?」
ケンサクは返事をせず、荷馬車の下へ回る。
リテナが膝をつき、小さな魔物に声をかけていた。
「大丈夫。今出してあげるからね。怖くないよ」
小さな魔物は震えながら、丸い体を縮めている。足元に折れた板が噛み、抜けなくなっていた。
「リテナ、押さえててくれ。暴れたら足を痛める」
「うん」
ケンサクは折れた板の位置を確認した。
力任せに引けば、足を傷つける。だが、板は車輪の支えに浅く噛んでいるだけだ。
「てこの原理で少し浮かせる。棒か何か……」
「これ使える?」
リテナが近くに落ちていた木の枝を差し出す。
「助かる」
ケンサクは枝を板の下へ差し込み、ゆっくり力をかけた。
ぎし、と木が鳴る。
小さな魔物が怯えて鳴いた。
同時に、外の親魔物が光の輪にぶつかる。
ゼドの声が飛んだ。
「早くしろ!もうあまり、抑えられない!」
「わかってる」
ケンサクは角度を変えた。
力を入れる場所を少しずらす。枝がしなり、板がわずかに浮いた。
「今だ、リテナ」
「うん!」
リテナがそっと子魔物の足を抜く。
小さな体が自由になった瞬間、子魔物はよろめきながら荷馬車の下から出てきた。
その姿を見た親魔物が、低く鳴いた。
さっきまでの威嚇とは違う声だった。
子魔物も、きゅう、と返す。
リテナは子魔物を抱え上げるように支え、風の壁の隙間へそっと近づけた。
「ゼド、少しだけ開けて!」
「わかってる!」
ゼドが片手を振る。
光の輪の一部がほどけ、風の壁に小さな出口ができた。
親魔物が飛び出そうとする。
だが、ケンサクが短く言った。
「待て」
不思議なことに、魔物は一瞬だけ動きを止めた。
いや、ケンサクの言葉を理解したわけではない。
リテナの腕の中にいる小さな魔物を見て、飛びかかるのをためらったのだ。
リテナはゆっくりその子を地面に下ろす。
「ほら、歩ける?」
小さな魔物は少し足を引きずりながら、親たちの方へ進んだ。
魔物はすぐに近づき、子どもの体を鼻先で確かめる。
それから、もう一度だけ人間たちを見た。
赤い目。
鋭い爪。
間違いなく魔物だった。
けれど、その姿はただ子を守る生き物にも見えた。
やがて親子は、森の奥へ向かった。
他の魔物たちもそれに続く。
ゼドは最後まで光の輪を保っていたが、魔物たちが完全に離れると、ようやく指先の光を消した。
森に、静けさが戻った。
御者の男は腰が抜けたようにその場に座り込んだ。
「た、助かった……本当に……」
荷台の女性も震えながら頭を下げる。
「ありがとうございます……てっきり襲われるものだと……」
リテナはほっとしたように笑った。
「誰も怪我しなくてよかったね」
ホタルも大きく光る。
「私も今回は投げられなくてよかった!」
「そこか」
ケンサクが呆れると、ホタルは点滅しながら訴える。
「最近の私の扱いひどかったからね!」
ゼドは黙っていた。
ただ、魔物たちが消えた森の奥を見つめている。
ケンサクは彼の横に立った。
「魔法ってすごいんだな。あれだけ正確に止められるものなのか?」
「その分、魔力を多く消費することになるけどな」
「それで誰も傷つかずに済んだ。ありがとう、ゼド」
ケンサクからの感謝の言葉に戸惑うゼドの顔をリテナが覗き込む。
「ゼド、また魔法を使って疲れたんじゃない?少し休む?」
「……子ども扱いするな」
ゼドは少しむっとした顔のまま、視線をそらし、森の奥を見た。
さっき魔物たちが消えていった方角だった。
「魔物は、平和を乱すものだ。勇者様がいたら、退治してた」
ケンサクはすぐには答えなかった。
「まあ、そういう時もある」
「今回は違うって言うの?」
「今回は、子どもを助けようとしてただけだ。
退治できる力があるかどうかじゃない。倒す必要がなかった」
ゼドは何も言わなかった。
その顔に、納得はなかった。
けれど、否定もできないようだった。
結果として、誰も傷つかなかったから。
荷馬車の男が、破れた干し肉の袋を慌てて結び直している。
リテナがそれを手伝い、ホタルが横から「もっと固く結んだ方がいいよ!」と偉そうに口を出していた。
「倒す必要がないなら、倒さない方がいい……か」
ゼドはぽつりと呟く。
ゼドは小さく息を吐き、また歩き出す。
「行くぞ。拠点までは、まだある」
その背中はいつも通り少し偉そうで、白い外套もまっすぐだった。
けれどケンサクには、その足取りがほんの少しだけ遅くなったように見えた。




