寿司
娘からの電話からさらに数日後、次の電話は思わぬ相手からだった。
「浜さん、本当に申し訳ありません…」
声の主は、高木だった。
「…syamuさんに、逃げられました」
───は?───
何を言っているのか、全く理解できなかった。
しばらく高木からの話を聞きながら、ようやく少しずつ状況が理解できて来た。
どうやら順平は高木とともに名古屋で部屋を借りてYouTube活動の拠点にしようとしたが、性懲りも無く部屋の写真をネットに公開した結果、すぐに住居を特定されてしまったらしい。
───馬鹿すぎる、何度同じことを繰り返せば気が済むのか───
更に間が悪いことに、高木に黙って他のsyamu動画視聴者とこそこそと連絡を取り合っていたらしく、女を餌にした他の代理人候補に釣られ、高木が目を離した隙にタクシーで県外逃亡して別の代理人の元に転がり込んだ、というのが事の顛末だった。
「…すいません、浜さんの言われていた通りでした。syamuさんは僕の手に負えるような存在では無かったと、今回の件で思い知らされました」
───そりゃそうだろう、誰も彼も皆インターネットの動画でしか息子の事を知らないのだ。何十年も一緒に暮らしてきた自分とは比べるまでも無い───
「…それで、オタクはどうするの?」
「自分はもうsyamuさんからは手を引こうと思います」
───勝手な事を───
「それで、実はsyamuさんには当面の生活資金として20万円ほどお金を貸してまして…お金だけじゃなく携帯電話やゲーム機も持ち逃げされてしまってですね…」
「…はぁ。それで?」
「申し訳ないんですが、息子さんの話なので浜さんから返して頂けないかと思って───」
何とか我慢しながら聞いていたが、とうとう限界を迎えた。
「自分が蒔いた種やろうがい!人様の家庭をめちゃくちゃに壊しといて、どの口がそんなふざけた事を抜かしとるんや!」
思わず声を荒げてしまう。高木は何も言えず黙り込み、二人の間で沈黙が流れる。
龍巳は受話器を手で塞ぎ、ゆっくりと深呼吸すると、出来るだけ落ち着いた口調で続けた。
「…あのな、高木さん。オタクが始めた事なんだから、オタクから順平に連絡を取って、貸したものを返してもらいなさい。大体ね、もうアイツは家を出て行ったんや、オタクに唆されて、な。ここに居ない以上、ワシらから順平に言える事なんか何も無いんよ」
数秒置いて、高木からの返事が返ってくる。
「…分かりました、申し訳ございませんでした、そうしてみます。ただ、syamuさんはきっと戻って来ますよ。僕と居た時も、気に食わなかったら自分はいつでも実家に帰るだけだぞ、って何度も脅しのように言われたので」
高木の話を聞き、思わず渇いた笑いが出てしまう。
「アレが帰ってくる?あれだけ好き勝手やらかしといて?そんな事あるわけないやろ、もし本当に帰って来たら大声で笑ってやるわい!」
そう言い残し、龍巳は受話器を置いた。
暫くして、何食わぬ顔で順平が帰ってきた。
玄関で立ち尽くす息子を見て、龍巳はこれっぽっちも笑う気分にはなれなかった。
「…どちら様ですか?」
「…タダイマ」
そう言って当たり前のように上がろうとする息子を、龍巳は鋭く制する。
「何上がろうとしとんや!」
「…」
「お前、まだこの家に住むつもりなんか?親に手を上げといて?」
「…」
順平は黙り込み、目を合わせようともしない。
「…のうのうとお前、よく帰って来れたなぁ?」
自分でも頭に血が上って行くのが分かる。靴を脱ぎかけたままの姿勢で固まっている息子を眼前に見下ろしながら、この数ヶ月の鬱憤が今にも爆発しそうだった───が、そこに妻が割り込む。
「お父さん、もう許してあげてください。ほら順平、早く上がりなさい。お腹減ってるでしょう?お父さんにはお母さんから謝っといてあげるから、ほら、早く上がって…」
妻に促されてそそくさと上がってくる息子を見ながら、龍巳は必死で怒りを抑え込んでいた。妻は順平が家を出てからずっと塞ぎ込んでいたのだ、帰って来る日をずっと待ち続けていたのだろう。
何の謝罪もなく家に戻って来るなど、自分の中では到底許せるものでは無い。許せるものでは無いが、妻の気持ちを思うと怒りに任せて息子を再び放り出すことも出来ない。
早足気味に龍巳の脇をすり抜け、台所に向かう順平。そんな息子を横目にしながら、龍巳はただただ拳を強く握りしめ、怒りを殺していた。
数日後、妻からの又聞きではあるが、順平がこの数ヶ月どのように過ごしていたかを知った。
どうやら、何人かの代理人、何ヶ所かの住居を転々としながら、“第2期syamu_game”としてYouTube活動を続けていたものの、思ったような人気を得る事が出来ず、嫌になって帰って来たらしい。
───そらそうだろ、あんな動画で人気なんて出るわけがない───
実は少し気になって、YouTubeで動画を見ていたのだが、率直に言って酷い内容だった。視聴者のコメントを見ても概ね自分と似たような感想が多く、もう素材としての価値すら残っていないことが龍巳の目から見ても明らかだった。
───これで分かっただろ、順平。インターネットで成り上がるなんて身の丈に合わない夢に逃げずに、現実をしっかり見て一つずつ積み上げていくしか無いのだ。みんな、そうやって生きているんだ───
有り体な言い方をすれば、今回順平は上京して、夢破れて帰って来たわけだ。その失敗から何かを学べたとしたら、少なくとも今回の経験には何らかの意味があったと言えるだろう。
龍巳はそう思いたかった。関わった人皆に迷惑をかけておいて、まさか何一つ学んで無いなんてこと───
と考え込んでいたところ、ちょうど息子がリビングに入って来た。片手には妻がスーパーで買って来た菓子パン。壁掛け時計を見ると15時過ぎを指しており、おやつ代わりにでも食べようと2階から降りて来たのだろう。
父からは少し離れたところに座り、パンを食べ始める息子を暫く見ていたが、口の動きが収まってきたところで、龍巳から切り出す。
「なあ、順平。向こうで色々あったって聞いたけど、どうやったんや?」
「…ウン」
「…なんか、良い事あったか?」
「…ンー…」
肯定とも否定とも分からない曖昧な返事を残し、またパンに齧り付いてはもぐもぐと咀嚼を始める。
───何かあるだろう、なあ順平───
息子がパンを飲み込むのを待って、もう一度問いかける。
「ウチから離れて暮らすのも初めてだっただろ。何も無かったんかお前?」
順平は顎に手を当てて何かを考えている様子だったが、「…アッ」と小さく呟くと顔を上げて答える。
「…スシ、タベタ」
───は?───
「オトサン、スシタベテコイッテ、イッタ」
───確かに言った、詐欺師に寿司でも奢ってもらえ、と。だがそれを言葉通り受け取って、寿司食って帰って来たのか?そんなこと、本当にあり得るのか?───
「…寿司、美味かったか」
できる限りの皮肉を込めて返す。
「ウマカッタ!」
笑顔でそう答える息子には、残念ながら父の気持ちは一切伝わって居なかった。
パンを食べ終わり、ゴミをテーブルの上に放置したまま上機嫌で2階に戻っていく息子。龍巳はゆっくりと立ち上がり、パンの袋を結んでゴミ箱に向かいながら、ある確信を得る。
───アレは、何一つ学んで無い───
ただ、寿司を食べて帰って来ただけ。
親に手を上げて家を出て行った末、YouTube活動に飽きたから帰って来ただけだった。
ゴミ箱の前で立ち尽くす龍巳の瞳に、絶望の色が広がって行く。結んだ菓子パンの袋を力無くゴミ箱に放り込んだ。
それから数ヶ月が経っても、順平は全く働こうとはしなかった。いつかの寿司でも思い出しているのだろう、歪んだ笑顔を浮かべてニチャニチャと空気を咀嚼している息子の姿を見ながら、娘からの電話を思い出す。
「ちゃんとそっちで何とかしてよね」
苛立ちの混じった娘の声とともに、親としての責務が重くのしかかって来る。
───何とかするよ、何とかする───
龍巳はただそう呟くだけだった。




