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さきどり・スクェア(田中オフィス・スピンオフ)  作者: 和子


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№12_将軍世継ぎの劣等生~九文先生の白熱教室


ーー蜂ーー


江戸の空は高く晴れ渡っているというのに、幕閣の空気は湿り気を帯び、淀んでいた。


「次代の公方(くぼう)様は、なんと長福丸様で決まりだそうな」

「……お声も聞き取りづらく、お体も虚弱。あれでは家臣がついて参りませぬ。小次郎様か小五郎様のほうが、よほど英明の誉れ高い」


廊下の角を曲がるたびに、そんな密やかな囁きが聞こえてくる。

南町奉行、大岡忠相(越前守)は、胸中に広がる暗雲を払うかのように深く溜息をついた。


(吉宗公のご意向とあらば致し方なし。されど、これほどまでに異論が噴き出るとは……)


巷間に伝わる長福丸の評判は惨洓たるものだった。長するに及び、改善するどころか、言葉の不明瞭さは増し、いつもぼうっと物思いに耽っているとの噂さえある。「暗君」の二文字が、すでにその背中に張り付いていた。


---


江戸城の一角、柘榴(ざくろ)の木が鮮やかな朱色の花を落とす庭園。

その静寂の中に、長福丸はいた。


彼は座り込み、じっと己の手の甲を見つめている。

そこには、赤く腫れた痕が、生々しく、しかしどこか名残惜しげに残っていた。


「……わしは、蜂に刺された」


ぽつりと、途切れがちな声が漏れる。

傍らに控える小姓、大岡源五郎(後の側用人・大岡忠光)は、その微かな震えを拾い上げ、黙って頭を下げた。


「それ以来な……蜂が、愛おしいのだ」


長福丸の視線は、遠く空を舞う羽音を追っている。


「小さきものが、己の命を懸けて、わしを刺したのだと思うと……その一刺しに、この者のすべてが詰まっておる気がしてな……」


世情では、彼は言葉を解さぬ愚か者と蔑まれている。しかし、源五郎だけは知っていた。その不明瞭な発声の裏にある、あまりに繊細で、澄み渡った魂の在り処を。


「源五郎……わしは、……馬鹿なのだろうか?」


不意に投げかけられた問いに、源五郎は即座に畳へ膝をつき、平伏した。


「――滅相もございません。そのようなこと、断じて」


嘘ではなかった。

だが、源五郎の胸は締め付けられるように痛んだ。

強き者が尊ばれるこの武家の世で、虫けらの一刺しに命の輝きを見出すようなこの主君の慈悲深さは、あまりに脆く、あまりに美しい。


(なぜ、このお優しさが『愚か』と嘲笑われねばならぬのか……)


主従を包む午後の陽光の中で、柘榴の花がまたひとつ、音もなく土に落ちた。



ーー膳の前にてーー


漆黒の闇が江戸城を包み込む夜。

静寂が支配する奥御殿に、ことりと、箸の触れ合う音だけが響こうとしていた。


将軍の世嗣としての膳が運ばれる。

ふっくらと炊き上がった白米、立ちのぼる出汁の香りが食欲をそそる吸い物、そして脂の乗った旬の焼き魚。天下の(あるじ)に相応しい、贅を尽くした夕餉である。


しかし、長福丸(家重)は箸を取ろうとした手の動きを、ぴたりと止めた。


「……飯が、食えぬ者がいるというのに」


その声は、消え入りそうなほどに細く、震えている。

視線は、白米のひと粒ひと粒を慈しむように、あるいは恐れるように見つめていた。


「わしは、腹が満ちておる。……だが、膳が出されるたびに、涙がこぼれそうになるのだ」


この贅沢が、誰の汗と涙の上に成り立っているのか。その重みに、彼の心は常に押し潰されそうになっていた。

傍らに控える大岡源五郎は、何も言わずに深く平伏した。主君のこのあまりに潔癖な、そして脆いまでの感受性を、世の者は「暗愚」と切り捨てる。


長福丸は、ぽつりと独り言のように漏らした。


「源五郎……わしは、……頭がおかしいのだろうか」


---


世間の嘲笑は、その繊細な精神だけではなく、彼の肉体の不自由さにも向けられていた。

長福丸は、時として廊下で粗相をしてしまう。厠までその足が保たず、堪えきれずに漏らしてしまうのだ。


普段は、影のように付き従う源五郎が、主君のわずかな眉の動きや腰の浮かせ方から察し、「若君、厠へ行きたいのではございませぬか」と声をかけることで、事なきを得ていた。


しかし、長福丸が何かに深く思索を巡らせている時は、己の肉体の欲求さえ忘れてしまう。源五郎でさえ気づけぬ隙に、畳が濡れる。


「――ああ、申し訳ございませぬ! この源五郎、不覚にございました!」


膝をつき、必死に詫びる源五郎の視線の先で、長福丸はただ、情けなさに肩を震わせている。

思慮深すぎるがゆえに肉体が追いつかず、優しすぎるがゆえに己を責める。


その孤高なまでの苦悩を分かち合える者は、この広い城内でも、平伏するこの若者ただ一人であった。



ーー中奥の学問所ーー


江戸城中奥の一角。静寂が支配する学問所に、場違いな風貌の男が立っていた。


源五郎が三度(みたび)(まみ)えて、心からの説得の末にようやく招聘(しょうへい)した、孤高の学者・九文(きゅうもん)である。しかし、初登城の折、出迎えた源五郎は思わず目を見開いた。かつての襤褸(ぼろ)を纏った風来坊の姿はどこにもない。そこには、青々と髪を剃り落とし、清廉な僧衣に身を包んだ一人の坊主が立っていた。

挿絵(By みてみん)

「……九文先生、そのお姿は」


源五郎の問いに、九文は静かに口角を上げた。


「さすがに、あの旅服のまま殿中に上がるわけにはいかぬのでな。形ばかりは整えさせてもらった」


源五郎は居住まいを正し、師に対する最敬礼をもって応えた。


「当面は、私がこの中奥に出向き、先生のご指導を仰ぎます。それを私が若君へ言上する形式をとらせていただきたい。……本来なれば直接、講義を受けていただくのが筋ではございますが」


源五郎の言葉に、九文は鋭い眼光を向けた。


「若君は、お体の具合でもお悪いのか?」


その問いに、源五郎は一瞬躊躇(ためら)った後、堰を切ったように語り始めた。若君・長福丸がいかなる苦境にあるか。廊下で粗相をされるほどに尿意の制御が利かぬこと、己を刺した蜂にさえ慈悲をかけ、飯を食えぬ民を想って膳を前に涙を流されること……。


世間が「暗愚」と断じる主君の有り様を、源五郎は声を震わせながら詳らかにした。


黙って話を聞いていた九文は、やがて不意に、折れ曲がっていた背筋を竹のように真っ直ぐに伸ばした。


「――仁君、ついに徳川家に現るか」


短く、しかし地鳴りのような響きを伴った声であった。


「……先生?」


驚き顔を上げる源五郎を、九文は深く、温かい眼差しで見つめた。


「身の不自由を抱えながら、己を刺す羽虫に命の尊厳を見、見知らぬ民の飢えを我がこととして嘆く。それは『愚か』なのではない。あまりに広大なる慈悲が、その小さき御身から溢れ出しているのだ。源五郎殿、案ずるな。これこそが、真なる王の器よ」


学問所の窓から差し込む陽光が、九文の剃髪した頭と、源五郎の濡れた瞳を等しく照らしていた。


九文の言葉は、長福丸という孤独な魂の真実を射抜いていた。世の中の評価と、本質の乖離。



ーー吉宗公への進言ーー


中奥の薄暗い一室。九文は源五郎を真っ直ぐに見据え、その低い声を響かせた。


「源五郎よ、わしの教えを汝が口伝えしたところで、それは真意の抜け殻にすぎぬ。……不伝真意(ふでんしんい)。お前ほどの聡明な男であっても、魂の火は移し替えられぬものだ」


源五郎が恐縮して頭を下げると、九文はさらに驚くべき言葉を続けた。


「当面は今のやり方で凌ぐほかあるまいが、やはりわしが直接、若君に教授せねばならん。そこでだ、源五郎。お前の同属の長・大岡越前殿に頼み込み、わしを公方(くぼう)――吉宗公に拝謁できるよう取り計らってはくれぬか。わしが直接、若君の父上に願い奉る」


源五郎は息を呑んだ。一介の旅の僧、それも正体の知れぬ風来坊が、天下の将軍に目通りを願うなど、江戸開府以来、前代未聞の沙汰である。


「……先生、それはあまりに。たとえ越前守様が動かれたとしても、老中の方々が黙っておりますまい。必ずや途中で差し止められましょう」


「なあに、ただ伝えてくれるだけでよいのだ」


九文は面白そうに鼻で笑うと、悪戯っ子のような目を向けて付け加えた。


「案ずるな。もし越前殿が動けぬというなら、わしが自ら目安箱にでも願い文を放り込んでこよう。構わぬか?」


「目安箱に……!? 滅多なことをおっしゃいますな!」


源五郎は肝を冷やした。この風変わりな師であれば、冗談ではなく本当にやりかねない。もしそんな事態になれば、若君の立場すら危うくなる。


源五郎は、覚悟を決めた。


「分かりました。この源五郎、命に代えても越前守様に言上いたします」


---


翌日、南町奉行所。

大岡越前守忠相の前に平伏する源五郎の背中からは、冷や汗が流れていた。


「……何と申した。その僧を、上様に拝謁させよと?」


越前の威厳ある声が、静かな部屋に響く。

源五郎は顔を上げず、震える声を絞り出した。


「はっ。若君・長福丸様を救い奉るには、もはやこれ以外の道はございませぬ。あの九文という御仁、ただの僧にあらず。どうか、どうか越前守様のお力をもって、公方様への道筋を付けてはいただけませぬでしょうか!」


沈黙が流れる。

越前は、同属の若者の必死な訴えと、その背後にいるという九文なる学者の影を睨むように、じっと目を見開いていた。


果たして越前守はこの無謀な願いをどう受け止めるのか。物語はついに、将軍吉宗を巻き込む大きな渦へと動き出す。



ーー越前守の慧眼ーー


越前守は、しばし無言のまま中庭の白梅を見つめていた。その脳裏には、先のお裁きの白州で対峙した九文の姿が鮮烈に蘇っていた。


「……あの男か」


低く、噛み締めるような声であった。

あの日、白州に引き出された九文は、居並ぶ役人たちの威圧をものともせず、飄々としていた。越前の鋭い眼力をもってしても、その底が知れなかった。粗末な襤褸を纏いながらも、その言葉には法を司る越前自身がハッとさせられるほどの、峻烈な真理が宿っていたのだ。


(あの眼……。世の虚飾を剥ぎ取り、魂の芯だけを見据える眼であった。あれほどまでの人物が、なぜ今、源五郎の前に現れたのか)


「源五郎」


越前守は、平伏する若き同族の男に視線を戻した。


「一介の僧を上様に拝謁させるなど、本来であれば狂気の沙汰。老中たちが黙っておらぬ難事である。……だが、あの九文という男、確かにただの風来坊ではない。あやつならば、硬く閉ざされた上様の御心、ひいては幕閣の澱んだ空気を、根底から揺さぶるやもしれぬ」


越前守は膝を叩くと、決然と立ち上がった。


「よし、相分かった。この大岡越前、職を賭して上様へ言上してみよう。若君の、そしてこの国の行く末を、その『九文』という男の胆力に賭けてみる価値はありそうだ」


「越前守様……! かたじけなく存じます。この御恩、決して忘れはいたしませぬ」


源五郎は畳に額を擦りつけた。

江戸の町奉行として数々の難事件を裁いてきた越前守であったが、これほどまでに先が見えぬ、しかし震えるような高揚感を覚える「お裁き」は初めてであった。


将軍・吉宗と、謎の僧・九文。

二つの巨星が相まみえる日が、刻一刻と近づいていた。



ーー吉宗公の謁見ーー


江戸城中奥大広間。

広大な畳の海の中央に、ただ一人、九文が伏していた。

その面前には老中以下幕閣の面々が威を正して控えている。


謁見の儀とあらば、将軍は御座所に構え、拝謁する者は遥か遠く下の間よりその気配を伺うのが定め。されど、廊下を渡る足音と共に現れたのは、大岡越前守に先導された、徳川吉宗その人であった。


「九文殿、面を上げられよ」


朗々と響く声。

九文が顔を上げると、そこにはわずか一間の距離に、威風堂々たる偉容があった。天下の主が、わざわざ大広間にまで足を運び、対等に近い座に腰を下ろしたのである。


普通の者であれば、その威圧感に圧され再度平伏するところだが、九文は泰然自若として笑みを絶やさぬ。


「本日はわざわざのお越し、恐悦至極に存じ上げます」


その言葉に、吉宗は剛毅な笑みを漏らした。


「案ずるな。親が先生に呼ばれたのだ、こうして出向くのは当然のことよ」


将軍の異例な言葉に、側に控える越前守も表情を引き締める。九文は真っ直ぐに吉宗を見据え、本題を切り出した。


「本日お願いの儀、不肖九文を将軍お世継ぎ指南役として、大奥へ出向かわせていただきたく存じます。何卒、お願い奉ります」


吉宗の眼が鋭く光った。


「……長子長福丸は、病弱ゆえの気遣いか」


「いいえ。徳川将軍家が九代目にして初めて『神君』を世に出されましたゆえ」


九文は迷いなく言い切った。


「その神君をご指南申し上げる任、九文が引き受けたく存じます。併せて、王佐(おうさ)の隋臣たるべき大岡源五郎がその勤めを果たせるよう、共に教導せねばなりませぬ。ゆえに、本来男子禁制の大奥に、私の出入りをお許しいただきたいのでございます」


越前守の背に冷たいものが走った。

大奥は将軍以外の男子を拒む聖域。側用人の出入りすら容易には認められぬ。幕府の先例を根底から覆す、まさに狂気とも取れる願いであった。


しかし、九文の眼差しには、それを「正道」と言わしめる圧倒的な確信が宿っていた。


静まり返った大広間。吉宗の決断を待つ、長く重い沈黙が流れた。



ーー決死の言上ーー


静まり返った大広間に、突如として雷鳴が落ちた。


「神君は、東照大権現家康公ただお一人である! 控えよ、世迷言を申すなッ!」


吉宗の咆哮が天井を震わせる。先ほどまでの穏やかな笑みは消え失せ、その眼光は抜き身の刀のような鋭利さを帯びた。家康公を「神君」と仰ぐ徳川の世において、他の者にその名を冠することは、最大級の不敬であり、謀叛にも等しい暴言である。


吉宗が怒りに任せ、その巨躯を揺らして立ち上がろうとした、その時であった。


「――お待ちくだされ」


九文が、静かに、しかし抗いがたい力強さをもって手をかざし、将軍を制した。


傍らに控える大岡越前守の身体が反射的に強張る。主君への無礼を許さじと、その指先が鋭く刀の柄にかかった。大広間に殺気が満ち、一触即発の緊張が走る。幕閣の面々も色めき立つ。


しかし、九文は微動だにせず、真っ直ぐに吉宗を射抜いた。


「これほどまでの吉兆、まさに東照大権現様の御業(みわざ)にて候。上様、まずは、まずはお座りいただきとう存じます。不肖九文、命を賭して言上申し上げたく候」


その声には、怒りを鎮める不思議な静謐さと、真理を掴んだ者特有の重みがあった。


吉宗は、立ち上がりかけた姿勢のまま凍りついた。九文の瞳の奥に、狂気ではなく、確信に満ちた「誠」を見たからである。


「……申してみよ」


地を這うような低い声で吉宗が応じ、再び腰を下ろした。越前守もまた、かかった指を解かぬまま、九文の次なる言葉を固唾を飲んで待った。


九文は静かに口を開いた。


「上様……、世俗の者は若君を暗愚と呼び、不自由なる御身を嘲笑います。なれど、それは大きな間違いにございます。己を刺した蜂にさえ慈悲をかけ、民の飢えを想って涙を流す。その繊細にして広大なる御心……これこそが、乱世を終わらせ、泰平を真に盤石なものとするために、権現様がこの世に遣わされた『再来』に他なりませぬ」


九文の言葉が、吉宗の胸の奥底に隠されていた、親としての、そして統治者としての葛藤を激しく揺さぶり始めた。


「長福丸は優しすぎるのだ」


吉宗の声は、断腸の思いを孕んで低く響いた。


「国を司るに仁など無用。人の上に立つ者は武威を示さねば、将軍の職はつとまらぬ。治世とは、厳格なる法と揺るぎなき威によってのみ保たれるものよ」


その言葉が落ちるや否や、九文は亀裂を割るように、ゆっくりと、しかし峻烈な勢いで立ち上がった。


「――仁君主、現る」


凛と通る声に、広間の空気が一変した。居並ぶ幕閣たちも、あまりの不敵さに息を呑む。


「これこそ、麒麟が天を翔けるに等しき瑞祥(ずいしょう)にて候」


吉宗は、鼻で笑った。

「……麒麟だと? 坊主、ここは江戸の城中ぞ。夢物語も大概にせよ」


だが九文は構わず、一歩踏み出した。


「麒麟は、乱世には現れませぬ。血の臭う世を嫌い、争いの絶えた世にのみ、その影を落とすもの。……上様、威をもって民を従わせるは易きこと。恐れは速う伝わります。なれど、恐れは消えぬ怨嗟えんさを生み、いつか国を内から腐らせましょう」


「ならば、優しさごときで国が守れると申すか!」


吉宗が問い返す。その眼光は鋭く九文を射抜いた。九文は間髪入れずに即答した。


「優しさでは守れぬ。……だが、『仁』ならば守れる」


沈黙が、重く広間を支配した。


「仁とは、弱さではございませぬ。自ら痛みを知り、なお他を害さぬ強さのこと。己を刺した蜂を憎まず、その小さき命を哀れむ心。……その無垢なる魂が放つ光こそが、天下を照らすのでございます」


吉宗の胸に、何かが鋭く飛来した。それは、暗君と蔑まれる我が子の背中に、かつて自分が見落としていた「聖域」を突きつけられた衝撃であった。


九文は、静かに、噛み締めるように続けた。


「威で治めれば、民は恐れて口を閉ざしましょう。なれど、仁で治めれば、民は安んじて言葉を持ち申す。己の言葉を持つ民こそが、真に国を強くする礎となるのでございます」


吉宗と大岡越前守は、思わず顔を見合わせた。

将軍に対し命を賭して進言する九文の姿は、一瞬、憤怒の帝釈天が降臨したかのような凄まじい威厳を放っていた。


だが、九文はふっと肩の力を抜くと、元の飄々とした微笑に戻り、こう締めくくった。


「麒麟が天を翔けるとき、それを瑞祥と見るか、あるいは狂人の妄想と嗤うか。……その差こそが、この国の行く末を分かつのでございます」


広間には、もはや失笑する者は一人もいなかった。ただ、一人の僧の言葉が、徳川の未来という巨大な歯車を静かに回し始めた音だけが、吉宗の耳に届いていた。


ーー続くーー

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