第一話 刀使いの少女(4)
「あら、楽しそうね、二人とも」
その声に、エラとクリスが振り返る。
「カームさん」
「フィリスお姉さ――はうっ!」
振り返り、フィリスを見上げるなり、エラは胸を押さえて悶えだした。
知らない人が見れば何事かと思う行動も、見慣れたソラたちからすれば、またかと思うだけで、温かい目で見守るのが通例となっている。
ちなみにクリスは、あははと苦笑いを浮かべており、まだ完全にはエラの豹変に順応しきれていない様子だった。
「お姉さまの夏服姿……似合いすぎです」
「そう? ありがと」
微笑むフィリスに、エラが頬に手を当て、身をくねらせる。
フィリス・アークエットは、イリダータ・アカデミーの四年生で、水使いとしては一、二を争う実力の持ち主だ。
そして、一年生のエラにエレメントを教えるためのパートナーでもある。
そんなフィリスもまた夏服なのだが、やはり最上級生で年齢も年上ともあり、大人びてに見えた。
「エラ――あなたの夏服もとっても可愛いわよ」
「そ、そんなことありません、フィリスお姉さま。私なんて――」
「クリスもそう思うでしょ?」
「はい。エラの夏服姿、すっごく可愛いよ」
「あ、ありがとう……クリス、フィリスお姉さま」
暑さのせいではない、顔を真っ赤にするエラに、クリスが微笑み、フィリスが頭を撫でる。
その間に、カームがさっさと席へ移動する。
席はソラの隣で、カームはひと言も口を開くこともなく、ソラの隣に座るのだった。
「カームさん、おはようございます」
「おはよう、ソラ」
いつもと変わりなく挨拶をかわす。
「カームさん、見てください」
そう言って、ソラは晒された両腕を見せた。
「やっと固定具を外してもらったのね」
「はい。でも、エレメントはあと一週間、使用禁止って言われてます」
「そうなの。じゃあ、今週も指導のほどよろしくね、クリス」
「は、はい。頑張ります」
ソラが両腕を負傷し、エレメントも使用できない間、二人の間で欠かさず行っていたエレメントの鍛錬は、クリスに代わってもらうことにしていた。
カームが目指すもの――それは、四大をマスターした者にのみ与えられる称号【虹使い】になること。
火使いであるカームは、すでに火のエレメントに関しては【パイロマスター】級で、イリダータ内で右に出る者はいない。
だが、【虹使い】になるためには、あとの三つのエレメントをマスターしなければならず、それは通常ならば不可能とも言われている。
自国のエレメントですらマスターできるかできないか、できたとしても十年以上はかかると言われており、実際、カームも火のエレメントをマスターするのに十年かかった。
自国のエレメントですら十年かかったのなら、他のエレメントはそれ以上に時間を使うのが定石。
しかも、体内のエレメント量は、年齢を重ねるごとにその絶対量が減衰していく傾向にある。
常識であれば、マスターできても二つ。
三つマスターできたとしても、そこから先は絶望的なのだ。
そもそも、二つをマスターしたエレメンタラーはそこそこいるが、三つマスターしたエレメンタラーはいない。
つまり、絶望的ということになる。
その、三つですら不可能な領域のさらに向こう――極致ともいえる頂の存在。それが、【虹使い】なのだ。
「お願いするね、クリス」
そう言って、ソラが笑む。
この、まだ若干十四歳のあどけない少年。
一見すればまだ子どもで、イリダータにいること自体、少し違和感を与えるほどに純粋な存在。
だが、このソラこそが、不可能と言われている三つのエレメントをマスターしている存在なのだ。
ソラは十四歳にして、水、風、地のエレメントをマスターしている。
つまり、あと火をマスターすれば、史上初の【虹使い】が誕生することになる。
だが、それは現状ではありえないことなのだ。
それをソラも、そしてカームも理解しており、そんなソラは、カームを【虹使い】にするためにエレメントの鍛錬に付き合い、共に【虹使い】を目指そうと協力してくれているのだ。
ソラの能力は桁外れであり、その理由に、ソラ自身の素質もあるのだが、なんと言ってもソラに教示したのが、あの闇との大戦で、大陸に平和をもたらしたと言われている四英雄のうちの二人だからだ。
そんなソラに教えてもらうことは、いくら報酬をつぎ込んでも足りないくらいに贅沢なことだが、ソラはそれに見返りなど求めず、純粋にカームを思って教えてくれていた。
カームもまた、それに報おうと、【虹使い】になるため毎日奮闘した。
そこに現れたのが、クリスだ。
彼女は地使いでも特出した能力を持つ一族の末裔で、その強大なエレメントは、砂を操るという。
それは、ソラはおろか、あの四英雄のひとり――【破断】のアビゲイル・ワイゼンスキーですら容易ではないほどに難易度が高い所業なのだ。
そのクリスに、ソラが腕を使えない間、教示してもらっている。
今週も、前と変わらない。
いつもと同じことをこなすだけ。
だけど――
「カームさん、どうかしましたか?」
ソラが心配そうに覗き込んでくる。
「どうもしないわよ」
覗き込んでくる瞳から、さりげなく視線を逸らすカーム。
「そう……ですか。少し元気がないように見えたので……」
「気のせいよ」
そんな二人を、クリスが心配そうに見つめているのであった。
※
午前の座学が終わり、昼食を挟んで午後の授業が始まる。
「じゃあな、ソラ」
「また夕食でね」
「放課後にそっちに行くね」
レイとエラ、そしてクリスの三人と分かれるソラ。
三人は午後の実技の授業に出るのだが、ソラはすでに三つのエレメントをマスターしているため、実技の授業の必要性がなく、パートナーであるカームと特訓することになっているのだ。
「あっ!」
とクリスが何かを思い出したかのような声を上げ、踵を返して戻ってくる。
「どうしたの、クリス?」
「えっとね、朝食のときに気になってたことがあって」
首を傾げるソラに、クリスが耳元で周りに聞こえないように囁く。
「え?」
その言葉に、ソラはクリスと向き合った。
「絶対だよ」
珍しくクリスが強めに念を押す。
「わ、分かった」
返事をすると、クリスは、「絶対だからね」とさらに念を押しながら、レイとエラの元へと走って行った。
一体、どうしたのだろと首を捻りながら、ソラはカームが待つ場所へ向かうのだった。
※
「はぁ……」
ソラを待つ間、カームは何度目か分からない溜息を吐いた。
校舎裏の東屋で、日光を避けながら待っていたカームは、朝食のときのことを思い出し、また溜息を漏らした。
フィリスとエラのやりとりを、カームはどこか羨ましげに見ていた。
表面上はまったく気にしていない風でソラの横に座ったが、案の定、ソラはカームが求める言葉をかけてはくれなかった。
勿論、ソラは何も悪くはない。
自分が勝手に期待していただけで、この溜息も、そんなことで一喜一憂していた自分に対してのものだ。
ここ三ヶ月で、カームは自分でも驚くほど丸くなったものだと思う。
少なくとも、誰かに声をかけられて睨み付けるようなこともなくなったし、上から目線で相手を見下す傾向もなくなった。
それは、ソラと共に過ごす時間と比例しており、ソラが腕を使えない間のクリスとのやりとりは、自分でも思い出すと恥ずかしいほどに積極的な行動に出てしまった思う。
ソラと出会って三ヶ月。
そのたった三ヶ月で、ソラは確実に、自分にとって特別な存在となっていた。
だから、そんなソラの言葉に、心が揺れてしまうのだ。
「カームさん」
物思いに耽っていると、燦々と太陽が照りつけるなかを、ソラが手を振りながら走ってくるのが見えた。
そんなに焦らなくてもいいのにと内心で苦笑しつつも、そんなソラの行動を嬉しく思ってしまう自分がいる。
「お待たせしました」
「そんなに慌てなくても大丈夫よ」
東屋の屋根の下に入ったソラは汗だくで、だけど呼吸は乱れていない。
「いえ、やっぱり待たせるわけにはいきませんから」
「その心意気だけは受け取っておくから、少し休みなさい」
座るように促すカームだったが、いつも素直なソラが座らずに立ち続けていた。
「ソラ?」
そして、そのソラの表情が、どこか真剣というか、緊張しているというか、不思議な光景だった。
「あ、あの、カームさん」
ソラがまっすぐな眼差しで見つめてくる。
自分の姿を、頭から足下まで、ゆっくりと視線を下ろしながら……そして――意を決するように、
「夏服、すごく似合ってます」
「――ッ!」
突然のソラの言葉に、全身が熱くなった。
驚きに目を見開く自分と、ソラからのたったひと言でこんなにも反応してしまう自分に、さらに驚いてしまった。
ずっと欲しかった言葉。
たとえお世辞でも、社交辞令でもいい。
朝、姿見を前にフィリスにからかわれたことは事実で、この姿を、ソラに見てほしかった。
どうしてそんなことを思ってしまうのかは分からない。
イリダータに入学して三年間は、ずっと長袖で通してきた。
首下も一番上までボタンを留め、ループタイをしっかりと最後まで締めていた。
それが、周りには厳格に見えたようだが、当の本人からすれば、ただ恥ずかしかっただけ。
醜く爛れた肌を、見られたくなかった。
ただ、それだけ。
それが、四年生になって、イリダータで迎える最後の夏に、こうして夏服を着ることができた。
そう、ソラのおかげだ。
だから見てほしかった。
これが、キミがしてくれたことなんだと。
今のこの体があるのは、キミのおかげなんだと。
「カームさん?」
「な、なんでもないわ」
顔を覗き込もうとするソラに、カームは咄嗟に顔を背けた。
「さっ、今日も練習に励むわよ」
そう言って誤魔化し、立ち上がるなり東屋から飛び出した。
「カームさん、待ってくださいよー」
後ろから追いかけてくるソラ。
だけど、今だけはこの表情を見られるわけにはいかない。
気を引き締めるように自分の頬をパンッと叩いたカームは、手を離すとすぐに頬が垂れ下がるのを感じたのだった。




