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空使いとアルカンシェル  作者: 天瀬 智
第三章 疾風の来訪者
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プロローグ 東風

 万年雪を冠する山脈の向こう、人の足が踏み入ることのない秘境の地。

 全方位を山脈に囲まれた盆地。

 特殊な地形と気候により、その場所だけは緑豊かな土地となっていた。

 雪解け水が流れる澄み切った湖。

 その湖畔に建つ、自然に満たされた場所には似つかないログハウス。

 草花が雄々しく咲き誇り、遮られることのない風が悠然と吹き抜けていく。

 その草花の中で、ひとりの女性が佇んでいた。

 着崩した浴衣姿。

 首の後ろで結んだ濡れ羽色のまっすぐに伸びた黒髪が、風にサラサラとなびく。

 一見すれば、何てことはない風景の一部だが、その女性の左腰――帯に差し込まれているモノが、異質な雰囲気を醸し出していた。

 左腰に差し込まれたそれは、刀だった。

 刀とは、大陸東部に位置する風の国――そのさらに東の果てにある島国で独自の流派を繁栄させた一族が使用する武器だった。

 そして、その一族――東雲一族の歴代最強と謳われる者こそ、彼女だった。

 東雲一族最強であり、風使い最強であり、そして大陸最強。

 あらゆる面で最強の名を冠するエレメンタラー。

 それこそが、東雲楓なのだ。

「……」

 楓は瞼を閉じ、風を感じていた。

 差した刀には手も触れず、ぶらりと垂らしながら、自然体で。

 そうしてゆっくりと瞼を開き、空を仰ぐ。

 青い空を、白い雲が流れていく。

 自分から見て、後ろから前へ。

「ああ……」

 無意識に声が漏れ、その刹那の後――

 楓は刀を抜き、まっすぐ前方へと伸ばしていた。

 そして、その刀の切っ先に、いつの間にか知らぬ少女が立っていた。

 その少女は、楓と同じ刀を抜き放ち、振り終えたような体勢を取っていた。

 そして楓は、少女の前ではなく、後ろに立ち、その首筋に刀の切っ先を触れさせていた。

 あと少しでも手元がぶれれば、それだけで皮膚を裂き、浮き出る血管を容易に切断させるだろう。

 あまりに唐突で、だが当事者の二人からすれば当然の帰結。

「くっ……」

 少女が歯噛み、悔しげに顔を歪める。

 その後方で、楓は変わらず空を仰ぎ、

「……暇だなぁ」

 と呟くのだった。


「久しぶりだなぁ、風子」

 お互いに刀を鞘におさめ、楓は振り返った少女を抱きしめた。

「お、伯母様。苦しいです」

「おお、すまんな」

 楓は、抱きしめていた少女を離すと、改めてその姿を見やった。

 少女の名は、東雲風子。

 最後に見たのは、十五年ほど前だっただろうか。

もみじは元気か?」

 楓の妹――東雲椛の一人娘。

 楓と同じ長い黒髪を、右側に寄せたポニーテールで結び、服装は一枚着である楓の浴衣と違って上下が分かれており、上は淡い桃色の道着、下は菫色の袴の装い。

「はい、元気でやってます。これも、母が」

 そう言って風子が触れてみせた、脇に差されたひと振りの刀。

「良い《《音》》だった」

 楓が笑むと、それを返すように風子も口元に笑みを浮かべる。

「それにしても、大きくなった」

「十八になります。なので、受け取りに参りました」

 風子が両手を差し伸ばす。

「あ……」

 楓はそれが意味するところを思い出し、それから誤魔化すように目を背けた。

「あれかぁ……」

「はい。母から伺っております」

 風子は微動足りせず、手を伸ばし続けている。

「そうだな」

「それに見合う実力も身につけました。今はまだ、楓伯母様の足下にも及びませんが、六歳から母の指導の下、一日たりとも鍛錬を怠らず、そしてこれからもより一層、精進しますので」

 直立不動、そして絶対の自信。

 確かに、妹の椛は、風子を立派に育てたようだ。

 先程の抜刀も、申し分ない。

「確かに、よくここまで腕を上げた。だが――」

 楓はそこで言葉を句切り、風子を見据える。

「アレは、私の愛弟子に託した」

「なっ! なんですって……!」

 当然と思っていたことが崩れ、風子の表情もまた驚愕に崩れた。

「い、一体、どこの誰なんですか!」

 斬りかからんとばかりに詰め寄る風子に、楓もさすがに申し訳なく思った。

「落ち着いて、話を聞け」

 まぁまぁと楓が宥めていると、風子はふぅふぅと息を荒くしながらも身を引いた。

「お前のことを忘れていたわけじゃない。ただ私は、私の愛弟子がアレを受け継ぐに足る力を持っていると確信したから託したんだ。それに、お前も知っているだろ? 東雲一族の後継者の決め方を」

「……はい」

 渋々といった感じで、風子が返事をする。

 つまり、託されるか、奪うか。

「自分が後継者に相応しいと思うなら、決闘を申し込んで、奪うことだ」

「……ひとつ、訊いてもいいですか?」

「いいぞ」

「……伯母様の愛弟子という人物は、私よりも速いのですか?」

「もし私が速いと答えたら、お前はどうする? 諦めるか?」

 どこか意地の悪い笑みを浮かべる楓に、風子は何も言えなかった。

「なぜ、伯母様は、血族でもない赤の他人に、アレを託したのですか! 正統な後継者ならば、私以外には――」

「最速こそが最強」

「――ッ!」

「違うか?」

「……はい」

 それは苦し紛れ以外のなにものでもなく、言っている風子自身、みっともないことだと感じていた。

 だけど、この憤りは、抑えておけるものではなかった。

「必ず……」

 楓の言葉に、風子が悔しげに歯噛み、両の手を握りしめる。

「必ず、その者から奪い返して見せます。そして、私こそが名実共に後継者に相応しいことを、証明してみせます。その暁には、東雲一族の再興を必ずや」

 頑なでまっすぐな視線が、楓に向けられる。

「お前が背負う必要はないんだぞ。もう終わったんだ。お前が、それに縛られることはない。せっかく戦争が終わったんだ。もっと自由に生きろ」

「いえ。これは、私の意志です」

 楓の言葉をもってしても、まったく揺れない風子の心。

「そうか」

 どこか哀れむような楓の声音。

「伯母様、教えてください。その者は、どこに?」

「大陸中央部、五彩都市アルコイリスの北側にあるイリダータ・アカデミーに入学している」

「その者の名は?」

 その質問に、楓を頭上に広がる蒼穹を見上げ、

「……ソラ」

 とひと言、答えるのだった。

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