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空使いとアルカンシェル  作者: 天瀬 智
短編 虹色の日々Ⅱ
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第二章アフター 二人のお世話がかり(6)

 イリダータ・アカデミーの男子寮および女子寮には、公共用の大浴場が設けられている。

 寮部屋の浴室にあるのはシャワーのみで、公共用の大浴場にあるのは風呂――温泉なのだ。

 地下深くから湧き出ている温水を大浴場まで引いているため、一日を通していつでも入ることができる。

 当初は、ある程度の利用者を予想していたが、寮室にシャワーがあることと、住んでいた国や地域によって、そもそも風呂に入るという習慣がない生徒もいること、そして何よりも、公共の場であるため他人に裸体を見せることへの抵抗感――そういった要素が重なり、利用者する生徒がほとんどいない結果となった。

 毎日利用するという感覚よりも、特別なときに入るということが生徒たちの間で広まり、そういった観念が植え付けられてしまったのだ。

 そんな背景を聞いたソラは、誰もいない大浴場で温泉に浸かりながらレイを待っていた。

 裸であるソラは、両腕の包帯を外しており、石膏をむき出しの状態にしていた。その状態で石膏を温泉に浸けることに抵抗を感じていたソラは、水のエレメントで石膏の表面を撥水させることで、お湯のなかに石膏で固めた腕を入れていても濡れない状態を保つようにしていた。

「寮にこんな場所があるなんて知らなかったなぁ~」

 寮部屋にはシャワーしかなく、かつて暮らしていたログハウスでは、楓が絶対に風呂がいると言い、木製の浴槽が設置されていた。

 そんな生活を送って来たために、ソラも風呂が当たり前となっており、寮に入ってからシャワーしかないことに驚かされた。

 レイに使い方を聞いたときの表情は、今でも忘れられない。

 もう風呂には入れないのだろうかと思っていたが、こうしてまた風呂に入ることができて、ソラは嬉しかった。

 服を脱がせてもらってから、レイはちょっとトイレと言って、ソラを先に大浴場へ入れた。

 レイを待つ間に温泉に浸かり、後で体を洗ってもらう手はずになっている。

 それにしても、とソラは思う。

 いくら男同士、そして相部屋であっても、レイの献身には頭が上がらない。

 それを聞けば、友達だから当たり前だろ、という返事が返ってくることは分かる。

 だって、もし逆の立場だったら、ソラ自身がそう思うから。

 男友達はレイだけだが、ソラは、レイがいるならば他には望まない――そう思えるほどに、レイは情に厚く、面白く、最高の友達なのだ。


 体がぽかぽかになり、少しのぼせたせいか、ドアの開く音がしても、ソラはすぐに反応できなかった。

「ソラ」

 自分を呼ぶ声が、どこかレイにしては女性っぽく聞こえた。

 眠ってしまう寸前だったのか、重くなっていた瞼を起こすと――

「……クリス?」

 そこには、タオルを体に巻いたクリスが立っていたのだった。


            ※


 椅子に座り、背中を向けるソラに、クリスは顔を赤くしっぱなしだった。

 自分でも大胆だとは思っているが、それでもソラのためにとこうしてタオル一枚で浴場に入ったのだが、いざソラを前にすると、恥ずかしさが全身から溢れ出し、肌が紅潮し、風呂に浸かったわけでもないのに、汗が止まらなかった。

「ありがとう、クリス」

 背中越しに言うソラに、

「う、ううん。お礼なんていらないよ。私がやりたくてお願いしたことだから」

 本当ならレイがソラの手伝いをすることになっていたが、そこをクリスが無理を言ってお願いしたのだ。

 後ろにカームもいて、レイがやたらとカームの方を見ていたのは気になったが、それでもレイは首を縦に振ってくれた。

 しかも、利用する生徒が普段からほとんどいないとは言え、万が一に備えて出入口の前で歩哨に立ってくれている。

 さすがに、これを毎日するわけにはいかないので、今日限りの奉仕だ。

「じゃあ、背中から洗うね」

「うん」

 クリスは、石鹸を手に取って泡立てると、その手でソラの背中を撫で、そっと優しく洗った。

 それにしても、ソラは本当に無垢な存在だ。

 こうして恥ずかしがっている自分が、恥ずかしい。

 ソラはただ純粋に、体を洗うためにクリスがここに来てくれたのだと思っている。

 それは間違いではないのだが、男女が裸(お互いに隠すところは隠している)で同じ空間にいれば、否が応でも想像してしまうというもの。

 クリスは、見てくれは小さいが、年齢はカームやフィリスよりも上だ。

 すでに成人しており、女性としての性徴も終えている。

 この体型のせいで、出るところは出ず――なのだが、それでも体は大人なのだ。

 それに比べ、ソラはまだ十四だ。

 クリスからすれば、子どもであり、弟のような気持ちに思ってしまうこともある。

「お湯、かけるね」

「うん」

 桶でお湯をすくい、背中にかける。

「あっ……」

 その肌を改めて見ると、クリスは思わず手を止めてしまった。

 桶を置き、空になった手を、ソラの背中にゆっくりと伸ばす。

 そして、その指がソラの背中に――傷痕に触れると、それをなぞるようにゆっくりと動かした。

「ク、クリス、くすぐったいんだけど……」

「あっ、ごめんね」

 すぐに手を引っ込めると、ソラの背中全体が目に入る。

 そこには、数えきれないほどの傷があった。

「ソラ……この傷って……」

 触れていい話題か分からなかったが、聞かずにはいられなかった。

「傷? ああ、背中の傷のこと?」

「うん」

 まるで、今思い出したかのような口調で話すソラ。

「それは、アビーと楓から特訓を受けたときについた傷なんだ」

「でも、こんな……」

 どうしたらこんなにも多くの、痕が残るほどの傷や痣を受けるのか、クリスは不思議で、それでいて恐ろしく感じていた。

「アビーの特訓は本当に厳しくて、当時のボクは毎日泣いてたんだ。痛かったのもそうだけど、あのアビーが厳しく接することも、傷のせいでお風呂でも痛みに我慢して、夜もなかなか寝付けなかった」

「そんなのは特訓なんて……言わないと思う」

 相手は、あの四英雄。

 エレメントの扱いにかけては大陸一で、その人物が行う特訓ならば、まず間違いはなく、最短で最大の能力向上が約束されるだろう。

 だが、そんなアビゲイル・ワイゼンスキーが、それほどまでに厳しく指導する理由が、クリスには分からなかった。

 その理由を、ソラが訥々《とつとつ》と語ってくれた。

 アビーが己の命の終わりを察し、残りの短い生で、たとえ嫌われてでもソラに地のエレメントをマスターさせるために、厳しく指導していたということを。

「ボクも最初は嫌で堪らなくて、アビーのことが大好きなのに、嫌いになりかけてた。でもね、アビーがボクのことを何よりも一番に考えてやってくれてたことなんだって知って、それが分かってからは、すべて自分のためなんだって思えたから、痛いのにも耐えられたんだ。絶対に一人前になって、アビーを安心させてあげたいって」

「そう、なんだ」

 もう一度、指を近づける。

「ソラ、触っても平気?」

「うん」

 今度は許可をもらい、指先を傷痕に触れさせ、それから手のひら全体で傷痕に触れた。

 もう片方の手も背中に触れさせ、やさしく撫でる。

「ソラは凄い」

 そして、顔を横にして、そっと背中に頬を押し当てた。

「クリス……」

「ソラは頑張ったよ。偉いよ。こんなになってまで、アビーさんのために、頑張ったんだよね。偉い、偉いよ、ソラ」

「アビーは、喜んでくれてたかな……」

「うん。絶対に喜んでるよ。私には分かる。こうやって、ソラが体を張って応えてくれたんだから」

「うん。ありがとう、クリス」

「ううん」

「もう少しだけ、そうしててくれる?」

「いいよ。ソラの気が済むまで」

 そうして、心身ともに温かくなったソラとクリスは、二人だけの時間を、静かにゆっくりと過ごすのだった。


            ※


「遅い。いつまでかかってるんだ。こっちは気が気じゃないってのに」

 そんなこととはつゆ知らず、門番を任されていたレイは、愚直にも待ち続けるのだった。

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