第二章アフター 二人のお世話がかり(2)
「――ム……カーム!」
ハッと我に返ると、目の前の姿見に映る自分が立っていた。
「なに?」
と鏡越しに映るフィリスに目を向ける。
「ハァ? なに――じゃないわよ。さっきから呼びかけてるのに返事もない。心ここに在らずよ。……もしかして、ソラのこと?」
「……ええ」
フィリスには隠し事をしても見破られることが多いので、ごまかしがきかない。
身だしなみもままならないまま、ぼーっとしてしまうほどに、カームの心はソラに向けられていた。
「あの腕、見たでしょ? 治るまでの間、生活が大変じゃないかしら?」
「それは、レイが手伝うって言ってたでしょ」
やれやれ、とフィリスが腕を組んでみせる。
その腕に、制服越しでも膨らみが分かるほどの胸が乗っているのを見せつけられているようで、カームは無意識に自分も腕を組んで見せたが、その上には何もなかった。
「……」
「カーム? どうしたの?」
「なんでもないわよ。それよりも――」
とカームはまた悟られる前に話題を変えた。
「レイひとりじゃ大変でしょ? ソラがああなった原因には、私の不甲斐なさもあるんだから……」
「それはちょっと大げさじゃないかしら?」
「でも――」
「だいだい」
なお言葉を紡ごうとするカームに向かって、鏡越しのフィリスが人差し指をぴんと伸ばして見せる。
「世話をするって言っても、男子寮に入るわけにはいかないでしょ?」
「それなら、ご飯とか荷物持ちとか――」
「カーム――あなた……はぁ」
フィリスが額に手を当て、溜息を吐く。
「あなた……自分が何を言ってるのか分かってるの?」
「どういうこと?」
考えても分かるはずはなく、カームは眉を寄せた。
「ご飯はともかく……いえ、それもちょっとあれだけど、荷物持ちってあなた、威厳とかないの?」
「威厳? ソラは体を張って、腕があんなになるまで戦ってくれたのよ。両腕が使えない状態なんだから、荷物持ちくらい、いくらだってやるわよ」
「周りの目……は、あなたの場合、気にしないわよね」
「ええ、まったく」
溜息を吐くフィリスに、当然とばかりにカームが腕を組んで胸を張った。
「そうと決まれば、さっそく!」
制服を着て身なりを整え、髪もおかしなところがないことを確認したカームは、早速とばかりに部屋を出ていくのだった。
「……」
フィリスは、椅子から立ち上がって姿見で前髪を少し手直しすると、
「面白くなってきたわね」
と野次馬根性まるだしでカームの後を追うのだった。
※
寮を出て校舎に入ったカームは、食堂に向かっていた。
この時間帯なら、ソラはまだ食堂で一年生のみんなと朝食をとっているだろう。
今日のところはレイが世話をしていると思うが、早速お昼からでも自分が手助けしてあげる旨を伝えよう。
そう思いながら、食堂に入ったカームは、大勢の生徒の中からすぐにソラを探した。
ソラの外見は特徴的だ。
黒髪で周りよりも頭ひとつ分低い身長。
これだけでも見つけやすいのだが、ソラには独特のオーラがあるのだ。
食堂を左から右へ視線を巡らし、すぐに見つけた。
「なっ!」
――のだが、カームの視線の先で行われていたのは……
「はい、ソラ」
席を入れ替え、ソラの隣に座ったクリスが、スプーンで料理を掬い、口を開けるソラへとそっと食べさせた。
口を閉じると、クリスがやさしくそっとスプーンを引いてくれる。
「どう?」
「うん、おいしいよ」
「そうじゃないでしょ、ソラ」
満面の笑みを浮かべるソラだったが、エラに溜息を吐かれてしまった。
「クリスは、『食べやすかったか?』って聞いてるのよ」
そう言われ、クリスの方を向くと、アハハ――と苦笑いを返された。
「あっ、そうか。うん、すごく食べやすかった」
「レ、レイよりも、よかった?」
不安と期待の表情で見つめてくるクリスに、
「うん、レイよりも食べやすかった」
「おいおい」
またもや満面の笑みで言うソラに、対面に移動したレイがわざとらしく肩をすくめて見せる。
「じゃ、じゃあ、もう一回……」
今度はフォークで料理を刺してソラに向けるクリス。
そうしてレイが望んでいた男女による、いわゆる「あ~ん」を目の前にしているわけなのだが、
「なぁ、俺の食べさせ方って、食べにくそうだったか?」
「さぁ、食べてないから何とも言えないわね」
「そうか。じゃあ、ほら」
「えっ、な、なにこっちに向けてきてるのよ」
「食べてみてくれよ。で、感想をくれ」
「しょ、しょうがないわね。あ~……ん」
「どうだ?」
「お、おいしいわよ」
「いや、味の感想じゃなくてだな……」
「なにをやっているのかしら?」
仁王立ちするカームの眼下で、口を開けていたソラと、その口に料理を運ぼうとしているクリスが同時に振り返る。
「カームさん」
「カ、カーマインさん?!」
喜びの表情を浮かべるソラに対し、クリスがどこか怯えたような顔をする。
こんなときでも、ソラは裏表のない、そして自分を見て喜んでくることが、カームには嬉しくて堪らなかった――が、それはそれ、これはこれ。
今は、目の前で行われていることについて言及しなければならない。
「たしか、ソラの世話はレイがやるはずじゃなかったかしら?」
睨むように鋭い視線を向けると、レイがびくりと肩を震わせた。
「い、いえ、あの、これは、その……」
しどろもどろに言いたいことがまったく言えないレイの肩に、細く白い手が置かれた。
「こら、カーム。後輩を苛めないの」
そう言って、フィリスがレイとエラの間に立つ。
「苛めてないわ。ただ睨んだだけよ」
「あなたの睨みは、人を竦ませるのよ。自覚を持った方がいいわね」
ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向くカーム。
「フィリス先輩」
「フィリスお姉さまぁ~」
後輩二人の熱い尊敬の眼差しを受けるフィリスが、微笑みで返す。
「それで――」
とカームは話を戻すためにクリスへと視線を向けた。
「どうしてクリスがソラの世話をしているの?」
少し落ち着いたせいか、声音から圧が抜けていた。
それを感じ取ったのか、今度はクリスも普通に答えた。
「私、今回の件で、ソラにすごく迷惑をかけてしまいました。この両腕だって、私が原因みたいなものなんです。だから、ソラが両腕を使えなくなって不便な生活を送らないように、私がソラの世話をしたいって、そう思って……」
「なるほどね」
カームが腕を組み、思案する。
「ソラは問題ないの?」
「はい」
笑顔で即答するソラに、それ以上は何も言えず、カームは今回は引くことを選択した。
「それならいいのよ。でも、もし困ったことがあったら、遠慮なく私に言いなさい。クリス、なんでも一人で背負い込んでは駄目よ。無理なときは無理だと声を上げることも大事よ。自分のためじゃない。ソラのため。それだけは忘れないで」
「は、はいっ!」
クリスが背筋を伸ばし、大きな声で返事をした。
「じゃあ、私も朝食をいただこうかしら」
そう言って、カームはソラの隣に座った。
ちなみに、カームの前にはすでに朝食が置かれていたが、それは、フィリスのお願いによってレイが用意したものだ。
今のレイなら、フィリスの言うことならば大陸一周だってしそうだ。
「じゃ、じゃあ、残りも……」
「うん」
カームによって中断された食事を再開しようとするクリス――だったが、
「ソラ、こっちを向きなさい」
「え?」
とソラが振り返ると、
「はい」
とカームが箸を使って料理をソラの口元まで差し出していた。
「カームさん?」
「これ、おいしいのよ。ほら、あ~ん」
「あ~ん」
カームの言うことに疑いを持っていないというか純情というべきか、ソラはすぐに口を開けると、カームに料理を食べさせてもらった。
「どう? おいしい?」
「はい、カームさんの言った通り、おいしいです」
「そう、よかったわ。じゃあ、これも――」
「カ、カーマインさん!」
次も食べさせよとしていたカームに、クリスが待ったをかける。
「ソラには、私が食べさせてあげますので……」
「大丈夫よ、クリス。私は好きでやってるだけだから」
ニコリと微笑むカームに、クリスもムキになったのか、
「ソラ、早く食べないと冷めちゃうよ」
「そんな冷めた料理よりも、私が、フーフー、ほら、ちょうどいい温かさになったわよ。こっちの方がいいわよね」
「それじゃ舌が火傷してしまいますよ」
ソラを挟んで言い合うカームとクリス。
当の本人は、食事にありつけず、間に挟まれながらも笑顔で待っていた。
「これよこれ、これが見たかったのよ」
レイとエラの間に椅子を入れて座るフィリスが、特等席で食べさせ合いと言う名の修羅場を観戦していた。
「まさかカームがここまで自分を剥き出しにするなんてねぇ」
「クリスも、すごく積極的です」
「ってか、俺はソラの神経の図太さに尊敬の念を抱かずにはいられないんだが」
三者三様の感想を抱き、午前の座学が始まる直前まで、二人の争いは続き、結局、ソラは朝食を満足に食べられずに終わったのだった。




