第四話 大地狂騒(2)
「邪魔……しないで、ソラ……」
「クリス……」
訴えかけるクリスに、ソラが悲しそうに顔を伏せる。
「私は……行かないと、いけないの……」
「クリスは、どこに行きたいの?」
あくまで穏やかな口調で問うソラに、クリスが答える。
「その……裂け目の底……」
「その底に、何があるの?」
「……みんなが……待ってるの……お母さんが……お父さんが……村のみんなが……」
「クリス……この先には誰もいないよ」
「ううん。いるの。待ってるの。私を、呼んでるの。だから、行かないと」
クリスが一歩前に踏み出す。
「駄目だよ」
その行動を制するように、ソラがひと言だけ発する。
「お願い、行かせて……ソラ。声が止まらないの。ずっと聞こえるの。もうこんなの耐えられないの。闇が、ずっと頭の中で囁くの。私を助けてくれるって。全部、忘れさせてくれるって。そのために、このオーラに触れろって」
夜空に天高く昇る、禍々しいまでに闇を綯い交ぜにした黄のオーラ。
大地そのものが発しているかのような、裂け目から噴き出し続けるオーラに、クリスが焦がれるように手を伸ばす。
「クリス、惑わされちゃ駄目だよ。自分をしっかり持って。この闇に触れれば、体を奪われて、一生、闇に彷徨い続けるんだよ」
「でも、こんなのもう耐えられないの!」
クリスが頭を抱え、頭を振る。
「ソラには分からない。みんなが私を責めるの。私が、みんなを殺した。力を制御できないせいで、私がみんなを殺したの!」
「違うよ!」
クリスの叫びを、ソラはそれよりも大きな声で否定した。
「クリスは誰も殺してない。闇に惑わされてるだけなんだ。ちゃんと、自分で自分の記憶を思い出すんだ、クリス!」
「……もういい。誰も分かってくれない」
クリスが顔を伏せ、恐ろしく低い声で呟く。
「そうだよ。制御する必要なんてないんだよ。抑えようとしてたから、暴走しちゃうんだ。だったら、思うままに、好きなように、力を使えばいいんだ」
「クリス……」
ソラは手をぎゅっと握り込み、顔を伏せるクリスを見やった。
「悪いけど、ソラ……私、本気で行くよ」
顔を上げるクリスに、ソラは臆することなく対峙した。
「ここから先は、絶対に行かせないよ」
その直後、二人の体から荒れ狂うような勢いで黄のオーラが発生した。
そして、二人の足下から広がっていく地のエレメントがぶつかりあったのだ。
押せると思っていたのか、拮抗する力に、クリスが目を見開く。
「ボクを侮らない方がいいよ。だってボクは、アビゲイル・ワイゼンスキーの弟子だから」
その言葉に勢いが乗るように、ソラのエレメントがクリスの支配域を押していく。
「ソラの方こそ、私を侮らない方がいいよ。だって私には――」
クリスの体から発せられる黄のオーラが濃く――いや、暗くなっていく。
「闇の力があるから」
そして、爆発するように噴き出したエレメントに、ソラの足下まで支配域が広がったのだった。
※
校舎を出たエラは、呼吸しずらくなった喉を手でおさえながら、駆け足で外に出た。
向かう先は、黄のオーラが見えた場所。
そこには、クリスがいるはず。
大きく呼吸ができないため、全力疾走ができない。
そのことがもどかしく、早く、早く――と自分の足を叱咤し、森林地帯に入る。
体はこうして動いているのに、頭の中は混乱している。
どうしてクリスがあんなことを……。
眠る前までは、一緒に隣り合って話していたのに。
でも、なんとなく分かる。
あれはクリスだった――だけど、クリスじゃない。
自分の首を絞めているときのクリスは、表情というもの――そもそも感情が伴っていなかった。
まるで、クリスではない誰かが、彼女の体を動かしているような――そんな奇妙なズレを感じたのだ。
あれは、クリスの意思じゃない。
クリスはあんなことを絶対にしない。誰よりも臆病で、誰よりも優しくて、そして――誰よりもあの子は強い。
あの悪夢が、闇によるものならば、クリスはそれに一ヶ月も耐えたことになる。
それどころか幼い頃から、程度の大小はあれど、ずっと見続けていたと言うのだ。
悪夢を見るのが怖い。
だから眠れない。
それに耐え、それでも眠ってしまって、悪夢にうなされ、飛び起きるようにして目を覚ます。
そんなことを一ヶ月も、だ。
自分ならば到底、耐えられない。
すぐに心が折れてしまっている。
それを、クリスは耐えている。
今も、だ。
首を絞められたとき、感じていた。
その手が、かすかに震えていることに。
あれは、クリスが抵抗していたからではないか。
闇に呑まれても尚、クリスは完全には支配されていない。
クリスの心が、最後まで抵抗していたのだ。
もちろん、これはエラの想像だ。
だけど、絶対にそうに違いない。
だから、エラは走った。
クリスの元へ。
森林地帯を抜ける。
その瞬間、まるで突風のようなものがエラの全身を撫でた。
それが、更地の見開きのいい場所によって遠くに見える、二人から発せられる巨大なオーラがぶつかり合ったものだと分かった。
最初、目の前で起きていることが信じられなかった。
相対するのは、ソラとクリス。
どうしてここにソラがいるのか、そんな疑問など吹っ飛んでいた。
二人から溢れ出る黄のオーラは、見たこともないほどに大きく、まさに空を昇っているようだった。
二人は立ったまま。
動こうともしない。
だがエラは、それがエレメントでの押し合いだと理解していた。
趣味である読書――そのなかで、大戦時の記録や、戦争体験を綴った自伝などを読んだことのあるエラは、地使いの戦いも知識として持ち合わせていた。
それが、現実として、目の前で繰り広げられている。
しかも、地使い同士であるため、力と力の押し合いという形になっているのだ。
四大戦争は、国同士の戦いであり、同じ属性のエレメンタラーが戦うことはない。
常に死と隣り合わせで、倫理も道徳も通用しない戦場でも、敵は常に自分とは違う属性のエレメンタラーであることだけは一貫していた。
だから、目の前で繰り広げられる同じ属性のエレメンタラーによる戦いというのは、そもそも戦争体験者でも、そうそうあることではない。
それはつまり前例がないことであり、ゆえに経験や知識もない。
そんな状態での戦いとは、つまりどうなってしまうのか。
エラは、森林地帯と更地との境界を踏み出せず、木の幹に隠れるようにして様子を窺っていた。
そしてエラは、クリスのオーラに、闇が混じるのを見た。
その瞬間、やっぱりクリスは闇に囚われてしまっていただけなんだと、どこかホッとした。
それでも、安心はできない。
そのクリスが今、ソラを殺そうとしているのだ。
ソラは、背後にある大地の裂け目から間欠泉のように湧き出る闇にほとんど塗りつぶされている黄のオーラを守るようにして立っている。
おそらく、あれがクリスの――そのなかにいる闇の目的なのだ。
そして、二人が動いた。
そうして始まった規格外とも言える二人の地使いの戦いを、エラだけが目撃するのだった。




