第四話 大地狂騒(1)
「えっ……?」
最初、それが何なのか、フィリスには理解できなかった。
いや、理解したくなかった。
ミュールと共に校舎裏の自然区に出て奥へと走っていたフィリスは、森林地帯を抜け、更地となっている場所に出た――途端、それが目に入ったのだ。
思わず足を止め、それを見下ろす。
動揺するフィリスの横を、ミュールが通り過ぎ、それを前に、しゃがみ込む。
「……カーマイン」
悲痛で、悔しさを隠そうとしない、学長の声。
うつ伏せに、最後まで顔を上げ続けていたのか、表情は見える。
だが、その表情がぴくりとも動かず、まるで絵のように、硬直していたのだ。
全身に砂が被さっており、カームを中心とした大地も砂状になっていた。
そして、カームに被さっている部分の砂が、夜の視界で一見して分かりにくいが、赤黒くなっていた。それは間違いなく、血だった。
「嘘……」
そう呟くだけで、顎が震えた。
「全身を潰されている。息も……してないわ」
フィリスが、半開きになったカームの口元に手を近づけ、呼吸していないことを確かめる。
「……一体……なにが……どうしたら……こんな……こんな……」
こんな残虐なことができるのだろうか。
「これは、おそらく【恒河沙】よ」
「【恒河沙】?」
聞いたことのない名前だ。
「東雲楓が、風使いでも刀を使う独自の流派の一族であることは知ってるわね?」
「……はい」
それは有名すぎて、逆に知らない者はいない。
「それの地使いにあたるのが、【恒河沙】と呼ばれる一族なの」
「その一族は、何を……?」
「【恒河沙】は、代々、先天的に膨大なエレメント量を有した人材を輩出してきた。それは、優秀なエレメンタラー同士を意図的に交配させていたから。優秀なエレメンタラーを生み出すためならば、近親交配さえ厭わなかった、と聞いたわ」
思わず口を手で覆い隠すフィリス。
「誰から、聞いたんですか?」
「……アビーよ」
「――ッ!」
「あの子も、【恒河沙】の一族。そして、クリスも、その末裔なのよ」
クリスに関することをエラから聞いていることを、ここにくるまでの間にミュールには話しておいた。
「クリスも……じゃあ、カームをこんな目に遭わせたのは……」
「ええ、おそらく……」
そう言って、フィリスが地面の砂をひと掴みする。
「【恒河沙】は、その圧倒的なエレメントによって、特出した能力を発揮する。アビーは大地さえ割ることができ、そして、クリスは――」
掴んだ砂を少しずつ地面へとこぼすフィリス。
「砂を自在に操ることができるの」
「砂を……?」
それは、それとなく聞けば、難しいことではない。
砂一粒程度ならば、フィリスでもできる。
だが、クリスは違う。
「ええ、私が水龍を操るような要領で、クリスは砂を自在に操れるのよ。水と違って、砂は一粒一粒が独立している。それをすべて制御下におくのは、並大抵――いえ、アビーでさえ難しいことなのよ」
あの、四英雄にして最強の地使いでさえも容易ではないと、ミュールは断言した。
「水の場合、水球や水龍をつくる場合でも、それを一つのものとして考えられる。だから、形作ること自体は、そこまで難しくはない。だけど、砂はその比じゃないの。砂で球をつくろうとすれば、そのために必要な砂すべてにエレメントを行き渡らせ、制御しなければならない。こればかりは、後天的な要因ではどうにもできない。まさに、天の才。だから、【恒河沙】の一族は血脈を重んじ、とても閉鎖的で、存在自体を秘匿しているの。純血を守り、他者の血を拒む」
「カームは……クリスに……こ……」
胸がつかえる。
だけど、言わなければならない。
いつまでも、目を背けてはいられない。
「――殺されたんですか?」
本当ならば、気持ちが色々と溢れ出てどうにかなってしまってもおかしくないのに、頭はむしろ冷静だった。
「大戦時にも、砂をある程度扱える地使いがいたわ。砂で相手の足を《《掴み》》、そのまま大地の使って押し潰すの。地使いとの戦闘での基本は、自分の足場を、相手の地使いの制御下におかせないこと。エレメントでの押し合いね。それに負ければ、あとはない。楓並の風使いならば、宙に浮くこともできるかもしれないけど、相手が【恒河沙】なら、そのまま砂を使って追尾させて、引きずり込まれる。そして、蟻地獄のように砂状の大地に呑み込まれて、その中で圧殺される」
聞けば聞くほど、信じられないことばかりだ。
今がこんなに平和だというのに、十五年前には、それが日常だったのだ。
ずっと戦争が続いていたことは、歴史の授業で知っている。
だが、こんな話は聞いたこともない。
ミュールは、四大戦争を生き抜き、そして戦争が最も混迷を極めた闇との大戦を、しかも闇の使徒と戦い、生き延びた。
今はこうして学長として、イリダータ・アカデミーを運営しているが、そんなミュールも、大戦時には、血に塗れていたのだろうか。
「カーマインも、それでやられたのね。ごめんなさい。私が、もっと――」
ミュールが、そう呟き、砂にまみれたカームの頬に手を添える。
学長のせいではない。
そう言いたいのに、言えなかった。
言ったところで、もうカームは戻らない。
泣きたいとほどに胸が苦しいのに、泣けばカームに笑われてしまうと想像すると、それに抗いたくなり、必死に涙を堪えた。
「……え?」
唐突に、ミュールが声を上げた。
顔を伏せていたフィリスは、反射的に面を上げる。
「……熱?」
そう、ミュールが口にした。
一瞬、言っている意味が分からなかった。
「それに……」
「学長?」
ミュールは思案しているのか、フィリスの言葉が聞こえていないようだった。
「この瞳……どうして、この子が……」
その言葉に、フィリスの視線がカームの目に向けられる。
夜の暗闇と、カームの死というショックでよく見ていなかったカームの顔。
その目を見やると、左と右で色の濃さが違った。
それをじっと見ていると、右目の瞳が、いや、血走っているのか、白目の部分まで赤いことに気づいた。
その目尻から頬にかけて、血の流れたあとも残っている。
一体、カームに何があったのか。
「……まさか、本当に不死――」
ミュールが言いかけたところで、言葉を切る。
いや、言葉を失ったのだ――目の前のカームに起きている現象に。
それは最初、カームの体から発せられる赤のオーラだと思った。
だが、違う。
オーラというより、これは霧だ。
熱によって蒸発した水のような、靄がかかった感じ。
だが、赤であることは間違っていない。
つまり、赤い蒸気がカームから出ていることになる。
そして、ミュールが咄嗟にカームから距離を取るように後ずさり、
「離れて」
そう言って、フィリスを後ろへと押した。
そのフィリスの顔に、熱風が吹いたのだ。
ミュールも腕で顔を隠しながら、さらに後ろに下がっていく。
ようやく熱を感じなくなったところまで下げると、次から次へとカームに不可思議な現象が発生していた。
赤い蒸気――それは、つまり血が蒸発しているということ。
この熱がカームから発せられているというのならば、納得せざるを得ない。
その赤い蒸気が濃度を増し、カームを覆い隠していく。
「カーム!」
思わず前に出ようとした体を、横から伸びたフィリスの腕によって遮られる。
「大丈夫よ。見ていなさい」
そう言って、フィリスが一瞬たりとも見逃さないと言わんばかりに、カームを見据えていた。
そう言われ、ミュールもまた、カームを様子を窺う。
やおら、赤い塊――まるで卵のような形を形成した赤い霧が、燃えだしたのだ。
血の赤から、炎のオレンジへ。
熱量が増し、その余波で熱風が皮膚を撫で、汗が噴き出す。
それでも、ミュールの言われるまま、いや、言われずとも、今のフィリスにはどうすることもできず、ただ目の前の状況を見ていることしかできなかった。
そして、オレンジ色の炎が、猛々しく天へと伸びた。
そのとき形作られた炎は、巨大な火ノ鳥だった。
天へ嘴を伸ばして咆哮するように、そして左右にはまるで翼をめいっぱい広げるように。
フィリスにはそれが、まるで炎の卵から孵った不死鳥のように見えたのだった。
その不死鳥が、実際には鳴くはずがないのに、フィリスの耳には天高く鳴いているように聞こえ、そして、そのまま炎が薄れていくようにして夜空へと消えていった。
あまりの現実離れした現象に呆けていたフィリスだったが、すぐにカームへと視線を下ろした。
そこには、まるで大量の灰が降り積もったかのように、白と黒の燃え滓が降り積もり、カームの全身を覆い隠していた。
「カーム!」
フィリスは駆け寄ると、膝を付いて、手を伸ばそうとした。その手が灰に触れる寸前、灰が動いたのだ。
「――ッ!」
そして、灰が盛り上がると、そこからカームが姿を現したのだ。
「……カーム?」
だが、どこか異様な雰囲気に、フィリスは手を伸ばせなかった。
上体を起こしたカームは裸体だが、まっすぐで長い赤毛がまるで肌を守るように覆い隠している。
脚は灰で埋もれたまま。
だが、何よりも驚かせたのは、全身を潰されたはずの肉体が、再生していたことだった。
「……カーム、なのよね?」
フィリスは思わず訊いてしまった。
カームは、こっちの存在に気づいていないかのように、夜空を見上げていた。
右目の瞳はいまだに、深く紅い色をしている。
その、あまりに神秘的な光景に、フィリスは時が止まったかのような感覚に陥り、声をかけることすらできなかった。
だが――その静寂を破るように、遠くで轟音がした。
ハッとし、フィリス、そしてミュールも顔を上げる。
その方向では、砂埃が舞い上がり、それから立て続けに轟音が響き渡り、そして大地が揺れた。
「まさか、ソラとクリスが……?」
そんなフィリスの呟きに、カームが反応を示した。
「ソラ……」
ぽつりとカームが呟き、灰を落ちしながら立ち上がる。
そして、その真っ白い肌の背中から、炎で形成された一対の翼を生やしたのだった。




