第三話 闇の声(1)
解散したのち、エラは放課後にフィリスと合流し、水のエレメントを習得するための指導を受けていた。
人工湖の水辺に立ち、手のひらを下へかざす。
目を閉じ、イメージを想起させる。
水面の水を、自分の手のひらへと吸い寄せ、柱をつくり出すイメージを……。
「エラ」
背後から呼ぶ声に、エラは目を開けた。
足下を見ると、水はただ波打つだけで、前回は半分ほど柱をつくることができていたのに、今回はまったくできていなかった。
「ごめんなさい、フィリスお姉さま」
振り返り、頭を下げるエラ。
「らしくないわね。前回よりも前に進まなければ、能力は向上しない」
「はい」
「……なにか悩みごと?」
フィリスが水辺の芝生に座り込み、その隣を手で叩く。
隣に座るように言われていることを悟ったエラは、それに従った。
二人で人工湖を前に、肩を並べる。
「実は、今日の実技で……」
「ああ、あれね。地面が割れてて……まさか、ソラの身にまた……?」
「違うんです。むしろソラは被害を食い止めてくれて……。あれは、他の生徒がやったことなんです」
「……どういうこと?」
顔を伏せるエラに、フィリスが静かに問いかける。
そして、エラはフィリスについ先ほどまでの出来事を語った。
あの場にフィリスはいなかったが、彼女自身、一ヶ月前の闘技場での当事者のひとりでもあり、ソラと【深淵】の秘密を知る存在でもある。
何よりも、尊敬するフィリスが、蚊帳の外になっているようで、それがエラの胸に棘のように刺さり、気になっていたのだ。
話を終えるまで、フィリスは口を挟まず、じっと耳を傾けてくれていた。
「そうだったのね」
エラが話し終えると、フィリスはそう言って、エラの肩を抱き、引き寄せた。
「お姉さま?」
「エラは、何かしてあげたいのね?」
「――っ!」
心の中を覗かれたのではないかとエラは思った。
それほどまでに、フィリスの言葉は、まさに核心を突いていたのだ。
「ソラも、カームも、学長も、クリスという子のために考え、それを実行しようとしてる。でもね、エラ――あなたにもできることも、あるのよ」
「私にも、できることがあるんですか?」
自分では考えても思いつかなかったことが、フィリスには分かっているというのだ。
藁にもすがる思いで、エラは恥をしのんで訊いた。
「すっごく簡単で、それでいて、エラにしかできないこと」
フィリスは、もったいぶるように意地悪な、だけどそれでいて品のある笑みを浮かべる。
「その子の、傍にいてあげることよ」
「傍に……?」
あまりに予想外の言葉に、エラは聞き返してしまった。
「ええ。寮の同室であるエラにしかできないことよ。それに、事情を知っているとはいえ、カームなんかが傍にいたら、気疲れしてしまうわ。あなたは、クリスにとって、心休まる存在でいてあげるの。同じ部屋にいて、安心できるように」
「それを、私なんかが……」
「そうやって、自分を卑下しないの。あなたは優しい子よ。それは、あなたに近しい存在なら、誰でも知ってることよ。私だって、今こうしてエラが隣にいることで、すごく心が安らいでるのよ」
「本当ですか?」
「ええ。こんなにも誰かを思って悩んでわたわたする後輩が、可愛くないわけないじゃない」
そう言って、フィリスは抱き寄せていたエラの頭を撫で回した。
「お姉さま、ちょっと、苦しい」
「あー、今日も堪能したわ」
「もう、ひどいですよ」
エラを解放すると、彼女は髪を手櫛で直しながら、頬を膨らませていた。
本人は無意識でやっていることかもしないが、こういったところが可愛いのだ。
それを言ってしまうと、やらなくなってしまうので、絶対に言わないが。
「今日はお終い。その子の傍に、ついていてあげなさい」
「ありがとうございます」
エラは立ち上がり、律儀に頭を下げ、
「フィリスお姉さま、また明日」
「ええ、また明日」
手を振りながら走り去っていくエラに、手を振って返すフィリス。
ひとりになると、途端に静かに感じる。
水面に映る自分の顔。
何とも情けない表情をしている。
後輩の前では、必死に先輩としての顔を取り繕い、大人の女性として接していた。
だけど、本当はこんなにも情けない顔をしているのだ。
またひとり、規格外な才能を持った子が現れた。
ソラが入学し、そのエレメントを披露したとき、フィリスは驚きを隠せなかった。
努力して努力して、必死になってようやく手に入れた今の実力を、まだあどけない少年が、自分以上のエレメントを使いこなしていたのだから。
そのときの感情をひと言で表すのならば、『嫉妬』だろう。
それでもカームやエラを通して付き合っていく内に、ソラ自身、自分やカームさえも比較にならないほどに今の能力を身につけるために時間を費やし、ひたすら鍛錬に明け暮れていたのだ。
だが、それは同時に、お前にはまだ努力が足りないのだと言われているようで、自分に自信を持てなくなっていた。
そんなソラの入学に加え、そして、そのソラさえも凌駕しかねない地使いが同じ一年生にいたという。
エラの話に聞いた彼女の境遇がどれだけ過酷なものか。
だが、その話を聞いていたときにフィリスが感じたのは、やはり『羨ましい』というものだった。
自分にもそんな力があれば、カームと並び立つことができるのに、と。
イリダータでは一番の水使いだと言われているフィリスだが、しかし所詮はイリダータ止まりなのだ。
ソラにしてもカームにしても、そしてクリス・ロックハートという少女にしても、その強さはイリダータの枠には収まらず、大陸レベルで通用する実力を持っている。
だが、フィリスはそこに入ることができない。
ミュールはなにかと気にかけてくれている。
あの事件以降、【水龍】を継がせると言ってくれた。
そして、何度も指導を受けている。
だが、それでもフィリスは自分の力の伸びしろが停滞しているように感じていた。
悔しい。すごく悔しい。
不謹慎かもしれない。
だけど、こう思ってしまうのだ。
闇に目をつけられると言うことは、エレメンタラーとしての能力を認められたことになるのではないか、と。
闘技場で、ミュールと対等に戦っていた闇の水使い。
闇が肉体を得ようとする際、力を発揮するためには、その器のエレメントの素質が絶対条件となる。
もし自分の元にその闇が来たならば、それは闇にとって、得たいと思うエレメントであるということ。
「――って、そんなことを考えては駄目よ」
わざわざ口に出して否定するフィリス。
そんな自分が嫌になり、溜息が漏れる。
情けなくなり、フィリスは三角座りになり、顔を膝の間に埋めた。
だから、フィリスは気づかなかった。
水面に映るフィリスの像が、変わらずその場に留まり、顔を埋めるフィリスをじっと見つめていたことに。
日が沈み、夕食を終えて寮に戻ったフィリスは、部屋に入るなり、制服のままベッドへ真っ先に飛び込んでそのまま眠ってしまった――という容易に想像できるカームの姿が目に入った。
明かりをつけると、カームの顔や制服が砂埃で汚れていることに気づいた。
カームは身の回りや身のこなしにうるさく、エレメントの特訓が終わると、必ずシャワー室へ向かっていた。
そのカームが、シャワー室ではなくベッドを選んだのだ。
おそらく、頭がまともに働いていなかったのだろう。
そうでなければ、こんな姿、よりにもよって自分にだけは見せないはずだ。
だけど、そうなるほどに今日は追い込んだと言うことになる。
そうしなければ到達できない極致が、カームにはあるのだ。
それを前にしては、フィリスの『ミュールの跡を継ぐ存在になる』という夢すらも小さく思えてしまう。
「あなたが……羨ましいわ」
カームの寝顔を前に、つい本音を漏らしてしまう。
面と向かっていたのならば、口が裂けても絶対に言わないだろう言葉が、こうして本人を前に、しかし聞いていない状況で、つい漏らしてしまった。
だめだ、とフィリスは頭を振った。
こんなことを言ってしまうようでは、本当にだめになってしまう。
言ってる暇があるならば、それすらも特訓につぎ込めと言われてしまいそうだ。
溜息ひとつ、フィリスは浴室に向かうと、シャワーを浴び、早々に就寝の準備をして、明かりを消すのだった。
その間もカームは起きる気配すら見せず、深く眠り続けているのだった。




