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空使いとアルカンシェル  作者: 天瀬 智
第十章 闇の少年と虹の少女
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エピローグ 約束(5)

 予選トーナメントが終わった日の夜。

 アルディエンテは夜も賑わっていた。

 むしろ、食事に酒の注文が絶えず、テーブルを道の脇にまで出し、そこで酒を酌み交わし、大いに語り合い、談笑が絶えず夜空に響いた。

「ふぅ……」

 各国が代表選手のために貸切にした宿――から少し離れたひとまわり小さな宿の個室に備え付けられている浴室から出たカームは、外に面する壁ごしに聞こえる一階の酒場から聞こえる賑やかな声に、表情を和らげた。

 終戦後に開催されることになった、平和の祝典。

 戦争の道具として使用してきたエレメントを、殺すためではなく、競技として戦うために使用し、その勝者を決める。

 穿った見方をすれば、また争い合うのかという人もいる。

 だが、カームは違うと思う。

 二つの間にある決定的な違い――人の命を奪うことが前提の行為なのか否か。

 そして何よりも、この都市全体を覆う活気こそが、戦争で亡くなった人たちが望んでいたものなのだ。

 だから、みんなは酔いつぶれるまで酒を飲み、語り合う。

 国の垣根を越え、他国の者を認め、手を取り合う。

 多くの命と血の涙と――そして生き残った者たちの、二度と同じ過ちを犯さないという想いが、この平和を現実へと導いたのだ。

 だけど、まだだ。

 まだ、この世界には救われなければいけない者がいる。

 そのために、カームはアルカンシェル杯に向け、血の滲む努力を継続した。

 浴室から出たカームの正面に立っているのは、もうひとりの私。

 鏡に映ったカーマイン・ロードナイト。

 その身を鏡に映すことを忌諱し、映ってしまった自分の姿を見たくなくて、拳を叩きつけて鏡を割ったことすらあった。

 そんな、火傷で爛れ、醜い姿となった自分。

 それを、あの子が癒してくれた。

 カームは身も心も救われ、まるで生まれ変わったような感じがした。

 誰に恥じることもなく、堂々と胸を張れるようになった。

 だから、今度は自分の番だ。

 正面の鏡に映る自分に、カームは言った。

「いよいよ明日よ、カーム」

 そう言い聞かせ、頷いて見せる。

 それからネグリジェを着こみ、髪を乾かして浴室を出ると、ベッドに腰かけ、瞼を閉じた。

 明日のことを考えれば、すぐにでも寝るべきかもしれないが、頭が冴えて眠れそうにない。

 こんなとき、ハーブティーでも淹れれば落ち着くこともできるかもしれないが、生憎とカームは得意ではない。

 それでも、無理やりにでも眠らなければ、明日に支障が出てしまう。

 そう思い、カームはロウソクの火を消そうと立ち上がった。

 コンコン――と控えめなノックの音。

 その音の強さ、鳴らす感覚、そして何よりも気遣うような音に、カームは引っ張られるようにしてドアへと歩き、誰と訊ねることもせず、ドアを開けた。

「夜のお茶会はいかが?」

 そう言って、ドアの向こう――廊下に立つフィリスが、ティーセットを載せたトレイを手に、立っているのだった。


「久しぶりね」

 ドアを開けたまま体を避けると、フィリスが部屋に入る。

「ええ、観客席にいたのは見えていたわ」

「エラなんて、大喜びしていたわ」

「見えてた。相変わらずで安心したわ」

 エラの姿を思い出し、ドアを閉めたカームは小さく笑った。

 部屋の奥——ベッドと窓の間にある丸テーブルと向かい合う二脚の椅子。

「思ったよりも質素な部屋ね」

 お湯を沸かす作業に入りながら、フィリスが部屋を見渡す。

「ここは私が自分で借りた部屋だからよ」

「なるほどね」

 カームは火の国出身であるにも関わらず、火の国代表ではなく、個人枠で参加している。

 だから、国からの援助が受けられないのだ。

 いや、水や風、地の国ならば当然だが、火の国に関して言えば、ほんの少しの嫌がらせもあるのだろう。

 だが、むしろ他の選手と顔を合わせなくて済むため、結果的には良かったとカームは捉えていた。

 こうして、友も訪ねられたのだから。

「そういえば、見慣れない顔が三人いたけど、あれはもしかして――」

「ええ、エラとレイ、クリスのパートナーになった子たちよ」

「本当に……懐かしいわね」

「……そうね」

 しみじみとした声が出てしまう。

 それも仕方のないことだ。

 カームやフィリスにとって、四年生での一年は、あまりにも濃密で激動の年だった。

 そのときの一年生だった子たちが、今ではもう四年生となり、教える立場となったのだから、懐かしむなと言う方が無理な話だ。

「あなたは今、何をしているの?」

「私は教職に就くための勉強をしているわ」

「狙いはリダータの学長の座?」

「さすがはカームね」

 お互いに笑みを浮かべ合う。

「お父様も、あなたが後継者になってくれるなら、安心できるでしょうね」

「まだまだ先の話よ。まずはイリダータの教員に採用されないとね」

「あなたを雇わない理由が、私には検討もつかないのだけれど?」

「そういってくれると心強いわ」

 そうして他愛のない話をしている間に、ほのかにハーブの香りが漂ってきた。

 その懐かしい香りに、胸がホッと安らぐ。

 フィリスがティーポットからカップへと注ぐ。

 その様になった動きは優雅で、フィリスのますます大人びた姿に、改め思い知らされた。

 もう、自分たちは立派な大人なのだと。

 イリダータでも卒業時には二十歳になっていたが、それでも学生という立場が、カームたち生徒を大人にさせきれない、自分たちはまだ子どもでいいんだという免罪符を与えていたのかもしれない。

 卒業して、その先の未来を自分で決めなければならなくなって、一気に自覚し始めた。

 自分たちはもうとっくに大人で、だから、自分の道は自分で決めるのだと。

「はい」

 ソーサーに乗せたカップが手渡される。

「ありがとう」

 それを受け取り、ソーサーを片手に、カップを持ち上げる。

 口にカップを近づけると、ハーブティの香りが鼻をくすぐった。

 思わずそこで手を止め、香りを堪能する。

 それに満足すると、カップを傾け、そっと口に含んだ。

「はぁ……」

 至福の溜息が漏れる。

 その様を見ていたフィリスが、満足そうに笑み、それから自分もハーブティを飲んだ。

「緊張してる?」

「……当然よ」

 強がることもなく、素直な気持ちを吐露する。

 それは、ハーブティーのせいか、相手がフィリスだからなのか――いや、両方だ。

 フィリスが淹れたハーブティを飲んだからこそ、こうして気持ちが落ち着き、今の自分の状態と向き合うことができた。

 そう、自分は緊張しているのだ。

 だから眠れなかった。

「あの子と約束したのよ」

 その言葉に、フィリスはカップをソーサーに置き、耳を傾けた。

「いつ、どこで、どんな状態でも、帰るべき場所が分かるように、私が灯火でいる」

「だから、アルカンシェル杯に出たの?」

 大陸にその名を轟かせるならば、なんでもいい、一番になることだ。

 そして、カームにはエレメントでの戦闘に対する適性がある。

 ならば、アルカンシェル杯に出ない選択肢はない。

 そこで優勝すれば、大陸中に名が広まり、あの子の目と耳に入るはず。

 そうすれば、自分の下へ帰ることができる。

「そんなの、あなたらしくないわよ」

「え?」

 いつの間にか伏せていた顔を上げると、フィリスは怒るわけでもなく、むしろ諭すように柔らかい笑みを浮かべていた。

「あなたは誰? あなたは、あのカーマイン・ロードナイトよ」

 当然のことを言われているはずなのに、それが胸に響く。

 他の誰でもない、フィリス・アークエットの言葉だからだ。

「誰よりも自信家で、誰よりも自分勝手で、誰よりも気高くて……あなたはいつも自分のために自分を磨いてきた。だから、自分のために、あなた自身を輝かせるためにやるのよ」

「私……自身の、ため……」

 両手で保持するカップを見下ろす。

 ハーブティーに映る自分。

 誰かのためじゃない、自分のため。

「自分を輝かせれば、あなた自身が灯火になれば、その光は大陸中に届く」

 ずっと、心のどこかで、あの子のためにと頑張って来た。

 だけど、違う。

 違わないけど、間違っていた。

 あの子のために灯すのではない。

 私自身が光り輝けば、あの子が見つけてくれる。

 だから、輝こう。

 アルカンシェルという、栄光を――。

 カームはカップを口へと近づけ、そこから仰ぐようにして一気飲みした。

「はぁ……おいしかったわ」

「それはなにより」

 フィリスが空になったカップを載せたソーサーを回収し、立ち上がる。

 そしてトレイを手に持つと、ドアへと向かった。

「そろそろお暇するわ」

「本当に……ありがとう」

「私はただ、今日の試合を見て、あなたがあなたらしくないと思って、お節介をしにきただけ」

「本当に……フィリスが相部屋になってくれてよかったわ」

「なに? いまさら?」

 少し照れたようにはにかむフィリス。

「あれが、私にとっての最初の転機だったのね」

「カーム……」

 トレイを持っているため、抱き合うことはできない。

 だけど、ふらりの間に、そんな馴れ合いは必要ない。

 私たちは友であり、ライバルでもあるのだから。

「優勝以外認めないわよ」

「ええ、勝つわ」

 勝ち気な笑みでフィリスを送り出したカームは、ひとりになり、ベッドに腰を下ろした。

 そこから横になると、すぐに眠気がおとずれた。

 夜が更け、カームは自分でも気づかぬ間に眠りに就く。

 そして、夜が明け、目を覚ましたカームは確信した。

 間違いなく最高の目覚めで、今日は最高のコンディションで挑めると。

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