第二話 目覚める力(6)
「ここのオススメはね、『店長の今日のオススメ』なのよ」
目の前に広げられていたメニューを見いていたクリスは、思わず顔を上げ、丸テーブルの左側に座るエラを見やった。
「それはお前のオススメじゃなくて、店長のオススメだろ?」
クリスの右側に座るレイが、目の前まで持ち上げていたメニューを下ろしてエラを見やる。
「違うわよ。私のオススメが、『店長の今日のオススメ』って言ってるの」
「で、結局のところ、お前のオススメは、店長のオススメだから、それはつまり店長のオススメってことだろ」
「違うって言ってるじゃない!」
身を乗り出す勢いで噛みつくエラに、レイが飄々とかわす。
自分の間で繰り広げられるやりとりに、思わずくすりと笑ってしまう。
二人が自分を元気づけようとしていることが、痛いほどに伝わってくる。
だけど、今のクリスには、あらゆる出来事において、心の底から笑うことはできない。
保健室で聞いた、この身に起きていることが、いまだに信じられない。
それでも、少しでも大丈夫な風に見せるように、クリスは呟いた。
「二人は、仲がいいけど、付き合って――」
「「ないから!」」
息の合った返しに、クリスは思わず表情を綻ばせた。
このひと時が、クリスの心をほんの少しだけ癒やしてくれる。
エラと、そしていつも彼女の隣にいるレイの気遣いに、感謝してもしきれない。
こんな自分に時間を費やしてくれている。
もっとやりたいこともあるだろうに、傍にいてくれる。
元気づけようとしてくれている。
だから、どうしても言葉にして伝えたかった。
「ありがとう」
「ん? なんのことだ?」
「さぁ?」
知らぬふりをするレイとエラ。
まるで、こうして一緒にいることが当然だと言うように。
これも、二人ならではの気遣いなのだと思い知らされる。
「さっ、早く注文しましょ」
エラが席を寄せ、一緒にメニューを見ようと顔を寄せる。
そんなエラに、クリスは少しだけ悪戯したくなり、そのエラの耳元に口を寄せ、
「――」
エラにしか聞き取れない声で呟いた。
「っ!」
その瞬間、エラは顔を引いて目をまん丸に見開き、口をぱくぱくしながらクリスを見やり、頬だけでなく顔全体どころか耳まで真っ赤にして、喘ぐように息をしていた。
「なっ、ちょっ、あっ、ク、クリス――あなたっ!」
ぐっと顔を寄せて、額と額とがぶつかる寸前まで近づけるエラに、それでもクリスは笑顔を浮かべ、
「私、応援してるから……」
エラにだけ聞こえるように呟くクリス。
「だ、だからっ!」
「困ったことがあったら、相談にも乗るからね……私でよければ、だけど……」
「だ、だから……」
エラが顔を伏せ、声をしぼませる。
顔が赤くなりすぎて、体中が火照って、今にも頭から湯気が出そうなエラ。
「そ、そのときは……よろしく」
「うん」
素直になったエラに、クリスが頷いて見せる。
そんな二人のやりとりなど露知らず、レイは「てんちょー! 『店長の今日のオススメ』を三つ」と勝手に注文していた。
そんなレイの行動を仕方ないと言った風に見つめるエラの表情は、やっぱり女の子だとクリスは思った。
注文から少し待つと、店長が『店長の今日のオススメ』を三つ運んできた。
「はい、おまちどーさま」
カフェテラスの店長は三十代の女性だった。
長い黒髪を三角巾でまとめ、白のティーシャツに黒のズボン。
その上に膝丈の黒いエプロンをまとっている。
「『店長の今日のオススメ』は、蜂蜜たっぷりのパンケーキ三枚重ねとカフェラテになります。ごゆっくり~」
各々の前に、メニューの説明をしながら品を置き、説明を終えると同時に最後の品を置き終えると、笑顔で去って行った。
「わぁ~おいしそ~」
フォークとナイフを手に、エラがうっとりする。
「でも、本当にいいのかな?」
クリスは、今さらながら遠慮がちになっていた。
「あのカーマイン先輩のおごりなんだ、遠慮しちゃ罰が当たるってもんだ」
実際、レイは遠慮していないのだろう。
すでにパンケーキにかぶりついていた。
「あいつほどがっつく必要はないけど、遠慮する必要もないと思うわ」
「エラ……」
「与えられたものは、いつか何らかの形で返せばいいのよ」
「そう……だね」
「そうよ」
「うん」
そうして、クリスもパンケーキを切り分け、思い切り頬ばった。
蜂蜜のとろりとした甘さに、パンケーキのふわりとした食感。
パンケーキに染みこんだ蜂蜜は格別で、本当にほっぺたが落ちそうだった。
お口直しに飲むカフェラテも、コーヒーのような苦みもなく、だけどミルクで割っているから甘くもないという、絶妙な加減だった。
さすがは『店長の今日のオススメ』だ。
こんなにオススメされては、来る度にオススメを選んでしまう。
とは言っても、このカフェテラスは決して安くはない。
おそらく、エラとレイ、そしてソラと付き合っていくのならば、このカフェテラスには滅多に足を運ぶこともないだろう。
むしろ、ここが似合うのは、三人にここで待つように言った張本人――カーマイン・ロードナイトだろう。
よく一緒にいるフィリス・アークエットもお似合いだ。
二人がバルコニーで優雅に紅茶を嗜んでいる姿など、容易に想像できてしまう。
「あーうまかったぁー!」
一足先に完食したレイが背もたれに背中を預け、お腹をさする。
「もぉ、口の周りが蜂蜜でテカってるわよ」
「げっ、マジか」
「ほら、これ」
「おっ、さんきゅーな」
濡れた手ぬぐいを投げ渡すエラに、それを受け取って口を拭くレイ。
これじゃあまるで、付き合っていると言うよりも、むしろ――
「ふふっ、二人ともまるで夫婦みたいね」
凜とした声に、場の空気が変わる。
三人が一同に視線を向けた先に立つ女性。
まっすぐに伸びる赤毛の長髪。
立っているだけで気品に溢れ、その堂々とした立ち振る舞いは、まさに女性の鑑。
カーマイン・ロードナイトが、そこに立っていた。
「カ、カーマイン先輩、冗談はやめてください。な、なんでこんな奴と、よ、よりにもよって、ふ、夫婦なんかに」
「その意見には同意だな。お前と結婚なんかしたら、俺の人生、お先真っ暗だよ」
「はぁ? それってどういうことよ!」
「言ったとおりの意味だ」
「まぁまぁ二人とも」
カームの横から小さな影が前に出て二人を仲裁する。
ソラだ。
カームと並ぶと、その背の低さが目立つ。
それでも、口元に常に笑みをたたえるソラの雰囲気に、二人も矛をおさめる。
「ソラ、もういいのか?」
レイの言葉に、ソラが「うん」と頷く。
「ソラ、飲みたいものがあったら言って」
「あ、いえ、ボクは……」
やんわりと断るソラに、カームがハッと気づいたような表情をし、
「分かったわ」
そう言って、カームが椅子を引いて、そのままカウンターの方へ向かって行った。
その間に、カームが引いた席にソラが腰を下ろす。
席は、クリスの向かい側で、少しレイ側に寄っているのは、カームが座るための場所を空けておくためだろう。
「クリス、少しは落ち着いた?」
「う、うん。二人のおかげで」
そう言ってエラとレイを交互に見やると、二人ともどこか照れくさそうにしていた。
「でも、これからどうしたらいいのか……」
おそるおそる呟くクリスに、ソラが向かい合う。
その隣に、コーヒーを淹れたカップを手に持ったカームがソラの隣に座る。
「ねぇ、クリスの小さい頃って、どんなだったの?」
ソラの問いに、クリスが「え……」と少し戸惑い、それから少し顔を伏せ、
「よく、覚えていないの。覚えているのは、生まれ故郷のみんなが流行病で亡くなったこと。生き残ったのは、私と、女性の人が一人だけ。私はその人に町まで連れていてもらって、そこで孤児院に預けられたの」
「そう、だったのね」
エラが申し訳なさそうに呟く。
それに対し、クリスは気にしていないと言う風に笑んで見せた。
「クリスの両親も、その流行病で……?」
「お母さんはそうだって聞いてるけど、お父さんは四大戦争で出征してたから、村にはいなかった。私を孤児院に預けてくれた女性の人が、父を探しに行くと言って、それっきりで……」
「大変、だったんだね」
そんな言葉しか紡げない自分に、ソラは胸が苦しくなるのを感じていた。
「じゃあ、イリダータに入学しようと思ったのは、どうして?」
「孤児院に預けられてからなの……悪夢を見るようになったのは。悪夢って言っても、ちょっと嫌なことがあったりとか、そんな内容だったけど、それが今日までずっと続いてるの。ちょうど終戦した年だから、もう十五年も見続けてることになるのかな。今じゃそれが当たり前になって、悪夢を悪夢とも思えなくなってるの」
苦笑するクリス。
だが、彼女以外の誰も、何も言えなかった。
例え、誰かを殺したり、自分が死んだりするような悪夢でなくとも、殴られたりするような夢でも、目覚めは悪い。
それを、クリスは十五年間も見続けていたのだ。
ここにいる誰もが、クリスが見た目以上に壮絶な人生を送ってきたのだと実感した。
「その夢のせいか、毎日が怠くて、いつも眠かった。当時の私はまだ、エレメントが使えても、全然うまく扱えなくて、孤児院の中でもよくからかわれてたの。それがある日、エレメントを使ってる最中に寝ぼけてしまったのか、記憶にないんだけど、その間に、エレメントを暴走させてしまって、他の子たちを傷つけてしまったの。それを危惧した大人の人たちが、私をイリダータに入学できるよう推薦したの。ここでなら、エレメントを暴走させないよう、制御する術を学べるからって」
「でも、それって……」
エラがあえて言葉を切る。
その先は、誰もが分かっていることだ。
何よりも、クリスは申し訳なさそうに、だけどそれが当然だと言わんばかりに、また笑って見せていた。
「分かってるの。厄介払いされてることは。でも、私自身も、私の記憶にないところでまたエレメントを暴走させてしまったらと思うと怖くて、だから、これは私が望んだことでもあるの」
それにね、とクリスは続けて言い、
「ここに来て、みんなに会えた。私はそれだけで、ここに来てよかったと、本当に思っているの。なによりもエラ――あなたに出会えたことが、私にとって一番の幸いなの」
クリスの手が伸び、エラの手をそっと掴む。
「……クリス」
クリスが笑む。
その笑顔は、心からのものだった。
それを感じたから、エラもまた、笑顔を返したのだった。
そんな微笑ましい二人を、ソラとカームはお互いに顔を見合わせ、笑んで見せたのだった。




