第二話 目覚める力(2)
午後の授業の実技が始まった。
順番を待っている間、クリスは眠気に耐え、それと同時に、迫り来る恐怖にも耐えていた。
夜の屋上で聞いた声。
まるで自分の内から聞こえてきた声に、クリスは底知れぬ恐怖を抱いていた。
自分の中に、自分ではないナニかがいる。
そんな気がしてならない。
そして、それは自分に害を成す存在で、こうしてクリスを苦しめている。
もしそれが、姿形を持って自分の目の前にいる存在ならば、どうにかできるのかもしれない。
だが、これは声であり、そして自身の内に巣くっている。
そんな常識外の存在を、どうにかできるはずもなく、だが耳を塞いでも何をしても、声を消すことはできない。
自分で自分を追い詰め、心が磨り減っていく。
「次、クリス・ロックハート」
実技担当の教師に呼ばれ、我に返る。
また、嫌な方へ嫌な方へと考え込むうちに、意識が朦朧としてしまっていた。
生徒たちの間を抜け、開けた空間に出る。
そこから前へ進み、踵を返す。
前方に見えるクラスメイトたち。
エラが心配げに見つめ、その隣にはレイがついている。
エラを見ていると、不安になる。
彼女はとても優しい。
悪夢にうなされるようになってから、彼女には毎晩迷惑をかけている。
それでも、エラは嫌な顔ひとつせず、むしろ心配してくれる。
だけど、それが逆にクリスの心を苦しめた。
いっそうのこと怒鳴りでもしてくれれば、クリスも申し訳ない気持ちでいられたのに、優しくされたら、甘えてしまう。
悪夢を見るようになってから、エラという存在がどんどん大きくなっている。
彼女はどんなことがあっても自分を助けてくれる。
傍にいてくれる。
見捨てたりなんてしない。
必ず手を伸ばしてくれる。
そんな彼女の心の優しさに甘え、クリスはそれを拠り所にしてしまっていた。
もし、こんな状態の自分がエラを失えば、どうなってしまうだろうか。
教師の合図で、クリスは片膝を地面につき、両手を地面に添えた。
クラスメイトの前で、月に一度おこなわれる実力の披露。
前回のクリスは、それこそ地面の表面にある砂を少し動かす程度で終わった。
他の地使いからは失笑されていたが、自分自身のデキの悪さなど自分が一番よく知っている。
だから、笑われようが蔑まされようが、まったく気にならなかった。
そんなときでも、寮に戻ると、エラに「どんまい」と声をかけられ、「次にほんの少しでもよくなってれば、それでいいのよ」と励ましてくれた。
そんなエラが見ていると思うと、ほんの少しだけ気合いを入れて挑みたい気持ちが芽生える。
だけど、やっぱり自分の力なんて大したことなくて、それを再認識させてしまうことが、少し恥ずかしくて……
――汝の力はそんなものか?
(え?)
心臓がドキッと高鳴る。
また、頭に声が響いた。
だが、クリスが驚いたのは、その声が、自分の思っていたことに対しての問いかけだったからだ。
――否、汝の力は矮小にあらず。なぜ、力を抑える?
(抑える? そもそも私に力なんて――)
――否、汝の力は最強なり。それを、見せてみよ。
(見せる? ……私に力なんてない……)
――汝は忘れているだけ。思い出せ。己の力を。
(……忘れてる? 私が……何を……)
――では、思い出させてやろう。汝がしたことを。
頭の中で、手の形をした闇が迫り、自分の頭を掴んだ。
(私が――)
その瞬間、脳内に失われたはずの記憶が鮮明に浮かび上がった。
まだ幼い頃の自分。
その自分に、誰かが抱きついていた。
ぎゅっと抱きしめ、そして力が抜け、その人物が離れるようにして仰向けに倒れた。
あらわになった顔は、母親だった。
口から血を吐き出したのか、口周りが赤黒く血で汚れていた。
そして、胸の部分もまた真っ赤に染まり、それが今まさにじわっと服に染み広がっている。
クリスは自分の顔が濡れていることに気づき、小さな手で顔を撫で、そしてその手を見た。
その手は、真っ赤に染まっていた。
粘性のある赤い液体――それは血だった。
(あ……ああ……)
眼前に広がる、赤く染まった自分の手のひら。
その手が震え、それが全身に伝播し、立っていられなくなる。
(私……)
――これが汝が封じた記憶。
(私が……?)
――そう、汝が殺したのだ。
その瞬間、地面に触れていた手から黄のオーラが溢れ出した。
それは、自分の制御下を外れ、それどころか、自分の体が自分のものではない奇妙な感覚に、クリスは恐怖した。
(な、なに……?!)
目の前の視界を覆い尽くすほどの黄のオーラが溢れ出し、その一部に黒が混じっているのを見た瞬間、クリスの意識は途切れた。
※
クリスの様子がおかしい。
地面に片膝をつき、手を地面に添えたところで、動きが止まったのだ。
クラスメイトたちがざわつき、エレメントが弱いことで有名になってしまっているクリスを蔑む言葉が飛び交う。
エラはそれが我慢できず、クリスの様子を窺おうと前に出た。
その瞬間、クリスの両腕からまるで爆発したかのような勢いで黄のオーラが文字どおり噴出した。
「なっ!」
驚きで足が止まり、背後でレイの息を呑む声が聞こえた。
クリスの手元からこっちに向かって地面が割れていったのだ。
迫り来る地割れ。
だが、同時にその地割れによる地震が生徒たちを足止めした。
体験したことがないほどの揺れに、バランスを崩した生徒たちが立っていられず、しゃがみ込み、無理して立とうしていた者は、尻餅をついていた。
「きゃっ!」
一番前にいたエラもまた尻餅をついてしまい、そして今まさに自分に向かって迫ろうとする地割れに、為す術もなく、ただ見ていることしかできなかった。
「エラッ!」
真横からレイの声がした。
それと同時に衝撃がエラを襲い、横へと倒れた。
よく見ると、レイが覆い被さるようにしてエラを抱きしめていたのだ。
その直後、すぐ横を地割れが通過していった。
もし、その場にいたら、今頃エラは地割れによる裂け目に落ちていたかもしれない。
「大丈夫か、エラ」
「あ、ありがとう、レイ」
レイが体を離すようにして起き上がり、エラは仰向けになった状態で今だに進行を止めない地割れを見やった。
その地割れの進む先には、イリダータの校舎があり、そこに到達したが最後、大惨事になってしまう。
全身がゾッとし、だけど見ていることしかできない自分。
そんなエラの感覚が、自分と同じ風のエレメントを感じ取った。
「えっ?」
瞬間、地割れの先にソラが緑のオーラをまとって現れたのだ。
「ハッ!」
気合いの叫びと同時、その小さな背中から溢れ出ていた緑のオーラが黄へと変わり、両手を地面に叩きつけた。
そして、迫り来る地割れを、直前で受け止めたのだ。
「ソラ……」
あまりの出来事に、名前を呼ぶ。
そう、まるで瞬間移動のように現れたソラ。
緑のオーラをまとっていたと言うことは、高速移動で駆けつけてくれたのだ。
ソラのエレメンタラーとしての素質はずば抜けており、こうして目の前で見える黄のオーラの巨大さは、すでに【ジオマスター】級で、あの【破断】のアビゲイル・ワイゼンスキーにも引けをとらない。
だが、それを言えば、この地割れを発生させているクリスのオーラも、大きさで言えば、ソラのそれを凌駕している。
現に、地割れはソラによって抑えられているものの、抑えているだけで止めることができないでいる。
むしろ、ソラの表情は耐えるのに精一杯で、余裕などなかった。
一体、どうしてクリスがこんなことを?
ソラのおかげで揺れがおさまっていることに気づいたエラは、立ち上がり、クリスの様子を窺った。
クリスは体勢をそのままで、微動たりしていなかった。
まるでクリス自分の意思が感じられなかった。
クリスはそこにいるのに、彼女を感じられない。
そう思った瞬間、エラは怖くなり、堪らず叫んだ。
「クリスーーーッ!」
口の周りを両手で覆い、地鳴りに負けないように声を上げる。
切れた口角の傷が広がろうとも構わない。
喉が潰れようとも構わない。
この声を、クリスに届けなければならない。
そう思った。
「目を覚ましてーーー!」
「目を覚ませーーー!」
隣に立つレイが、同じように力の限り叫ぶ。
驚いたエラがレイを見上げると、レイはニッと笑みを浮かべ、そして再びクリスの方を向いた。
その意味を理解し、エラはすぅ――と息を吸い、そしてレイと同時に声を上げた。
「クリスーーー! 起きろぉぉぉ!」
その声に呼応するように、ソラの黄のオーラが膨れ上がった。
まるで、その声を力とするように、ソラもまた叫び、割れていく大地を押しとどめ、さらに押し戻す勢いでオーラを爆発させた。
その圧力に、弾かれるようにしてクリスが後ろに吹き飛ばされた。
「クリス!」
すぐに駆け出すエラ。
「大丈夫か、ソラ」
レイはソラに駆け寄り、肩で息をするソラに付き添った。
それを傍目で見やり、エラはそのままクリスの下へ走った。
クリスは仰向けに倒れ、気絶しているのか、眠っていた。
「クリス、目を覚まして!」
肩を揺するが、クリスが目を覚ます気配もない。
「エラ・グリーン」
フルネームで呼ばれたこと、そして、そこの声の主が、このアカデミーにおけるトップであることに、エラは思わず振り返った。
そこには、イリダータ・アカデミーの学長であり、水使いの最高位【水龍】を冠する四英雄のひとり――ミュール・ミラーが立っていた。
「彼女をすぐに保健室へ。レイ・バーネット、一緒に運んであげなさい」
「は、はい」
ミュールの指示に、ソラに付き添っていたレイが立ち上がり、クリスの下へを駆け寄る。
その間に、レイと入れ替わるようにしてミュールがソラの前まで歩み寄り、手を差し伸ばす。
「ソラ、立てる?」
「うん。ありがとう、ミュール」
そう言って、ソラがひとりで立ち上がる。
「ソラも保健室へ。そこで事情を訊くわ」
「うん。分かった」
レイの背中にクリスを背負わせる手伝いをしながらエラは、学長を相手に対等に振る舞うソラを見やる。
その体は小さいが、その存在は、誰よりも大きく見えた。




