第二話 目覚める力(1)
昼食を終え、一年生の実技が始まる一方、離れた場所で向かい合って立つソラとカーム。
カームの右手には黒い手袋がはめられていた。
それは火使いにとってのトレードマークでもあり、必需品でもあるものだ。
「じゃあ、まずはいつもの」
「はい」
カームが右手をあげ、ソラの目の前で止める。
そして、黒い手袋ごしに指を鳴らす動作をし、それから手のをひらを上に開いて見せた。
その手のひらの上に、炎が生まれる。
揺らぎのない、まるで止まって見えるかのような静かな炎。
出会った頃、ソラはカームの炎を見ると胸が苦しくなった。
だが、それはソラの内に潜む【深淵】が反応してのことだった。
闇は光を忌避し、そして炎は光と熱を発生させる。
故に、【深淵】は火のエレメントを嫌うのだ。
だが、今のソラの心は落ち着き、動悸が激しくなることもなければ、嫌な汗をかくこともない。
目の前の炎を嫌だと思うこともない。
むしろ、美しいとさえ感じる。
それが、カーマイン・ロードナイトの炎だ。
そして、その炎にソラはおもむろに手を伸ばした。
手のひらを下にしてゆっくりと近づける。
その手はやおら炎の先端に触れた。
「……」
「……」
お互いに見やり、だが無言を貫く。
心は平坦に、常に落ち着かせる。
ソラとカームの手のひらの間を繋ぐ炎。
ソラは手のひらをゆっくりと下ろし、カームの手のひらへと近づけていく。
そして、二人の手のひらが触れ合い、お互いに握り合う。
炎は静かに、まるでお互いの手のひらに吸い込まれたかのように消えていた。
「ふぅ」
「今日も大丈夫ね」
安堵の息を吐くソラに、カームが労いの声をかける。
一ヶ月前に行われたエレメンタル・トーナメントの火の部門【ガーネット】――その本戦が行われた円形競技場での一件以来、ソラは火使いにおける基本中の基本とされる熱の遮断を会得していたのだ。
それまでまったく進展が見られなかったことだけに、ソラもカームも驚いたのだが、ソラはそれがカームの加護のように感じていた。
あの時のことをすべて覚えているかと言われれば曖昧だが、確かにソラとカームは炎を介してひとつとなっていた。
そのことが影響しているのではないかとソラは考えているのだ。
ミュールに聞いてみると、その可能性は大きいと言っていた。
それを可能としているのが、ソラの空使いとしての特性だ。
ソラの産みの親――ノアが名付けた空使い。
空っぽ故に、何をも受け入れることができる。
だからこそ、ソラは水、風、地のエレメントをマスターできたのだ。
だが、皮肉にもその特性が、闇をも受け入れてしまったのだった。
その闇が火を嫌っていたために、ソラは火のエレメントをまったく扱うことができなかった。
それを、カームとの一体化によって心身共に炎となったために、火に対する耐性が備わったのだ。
まだ火を生み出すことはできないが、火への耐性がついたために、こうして火のエレメントがなくとも常に熱の遮断、そして火に触れても一切の火傷を負うことがなくなった。
それからはこうして毎回、確認の意味も含めて火に触れている。
「それにしても、まさかこんなことになるなんて、今でも信じられないわ」
「それはボクもです」
手を離し、その手のひらを見つめる。
「でも、嬉しいです。それに、安心します」
「安心?」
首を傾げるカームに、ソラは微笑み、
「だって、カームさんのおかげだから……守られてるように感じるんです」
「そ、そう……」
しみじみと呟くソラに、カームが顔を背ける。
その頬は、どこか赤らんで見えた。
「そういえば、カームさん、今日はボクに見せたいものがあると――」
「え、ええ、そうよ、そうだったわ」
気を取り直すようにカームが咳払いをする。
「実は、新しい技を完成させたの」
「技、ですか?」
「ええ。それをソラに一番に見てほしくてね」
「そうなんですか! 嬉しいです!」
ソラの屈託のない笑顔に、カームの表情もゆるむ。
「じゃあ、行くわよ」
カームは数歩下がると、右腕を水平に伸ばし、指を鳴らした。
その手を包むように炎を燃え上がる。
それと同時にカームの体から赤いオーラが湧き上がった。
「さぁ、飛びなさい。ファイヤーバード!」
カームが声を上げると同時に、手にまとった炎を真上――空へと投げ放った。
炎がカームの手を離れ、上空へと飛ばされる。
そして――ソラにはまるで、それが鳴いているように聞こえた。
それはまさに、カームが言ったとおり――火ノ鳥だった。
鳥と化した炎が、まるで本物のように翼を羽ばたかせ、上空を舞う。
それは何度かカームを中心に旋回すると下降し、カームが再び伸ばした右腕に止まった。
「どう?」
自信に満ち、誇らしげな表情を見せるカーム。
「すごいです! カームさん。火ノ鳥、カッコイイです!」
ソラは心の底から感動していた。
エレメントの操作は、それを何かに模すことでその難易度が格段に下がる。
ミュールの最高位の名の元となっている水龍も、龍に模させることで人の頭のなかでイメージしやすいようにし、それが結果的に水龍を形作ること、そして操作が容易にできる。
カームが目の前で見せてくれたのは、つまりそういうことなのだ。
「エラが私のことを『不死鳥』って言ってたでしょ? それで思いついたのよ」
もし今ここにエラがいれば、喜びのあまり気を失っていたかもしれない。
エラは、強い女性に惹かれる傾向がある。
ペアであるフィリスをお姉さまと呼び慕い、カームにも憧れや尊敬といった念を抱いているのだ。
「実際にやってみると、思った以上に自在に炎を操れるようになったから、これからは多種多様な動きを見せることもできるわ」
例えば、とカームが呟くと、腕に止まっていた火ノ鳥から分化するように小さな火の玉が落ちると、それもまた鳥――スズメとなった。
火の玉を生むたびに火ノ鳥は小さくなっていき、最後にはカームの肩から指の先まで、合計十匹の火でできたスズメが並ぶ光景となった。
「あはは、可愛いです」
まるで本物のスズメのような動作に、思わず指で突いてしまう。
もちろん感触はない。
「今までずっと、炎とはこうあるべき、こういうもの、っていう固定概念があったから、何だか久しぶりに新鮮な気持ちが味わえたわ」
水龍もまた、ミュールの大戦時で大衆の目に晒したことから広まったとされている。
大戦で生まれた技が、そのままミュールの異名でもある【九龍の舞姫】となり、そして【水龍】となった。
だからこそ水使いはこれを指標とするようになったのだ。
もしかすると、カームの存在が大陸全土に広まれば、この火ノ鳥も、火使いにとっての実力を示す基準となるかもしれない。
カームの腕に止まっていた火のスズメたちが、一斉に飛び立つ。
それらが見えなくなるまで、ソラはずっと空を仰いでいた。
休憩をとるために森林地帯の向こうに出ると、ちょうど一年の実技が行われていた。
そこは更地で、今日は地のエレメントの実技なのだろう。
「そういえば、今日は一人多かったのね。クラスメイト?」
その一年の方へと目を向けながら、カームが呟く。
いつもはレイとエラの二人で集っているその間に、ひとりの少女が立っているのが見えた。
「そうです。名前はクリス・ロックハート。実はちょっと……」
そう言って、ソラが表情を曇らせる。
「私にも、言えないこと?」
少しずるいかな、と思ったが、それでもソラに隠し事をされるのは、もっと嫌だった。
「いえ……」
否定するが、それでもソラはなかなか口を開かなかった。
きっと、それはクリスという少女のことを思ってのことだろう。
そういうところがまた、好感を持てるところだから可愛いのだ。
「カームさんは――」
やおらソラが口を開く。
「悪夢を見たことってありますか?」
これはまた、突拍子もない質問だと思った。
だけど、ソラの表情は真剣で、だからカームも昔のことを思い出した。
「あるわよ。ここ最近まで、ずっと……」
その言葉に、ソラが食いつく。
「最近まで、ってことは、今は……?」
「ええ、もう見なくなったわ」
「それって、どうして見なくなったんですか?」
「ソラ、ひとつ質問させて」
ぐいぐいと身を寄せてくるソラに、カームが手のひらを伸ばしてせき止める。
「それが、あの子に関係することなのね?」
カームは視線をクリスへと向けた。
「はい」
ソラは間髪いれず、答えた。
「クリス……小さい頃からずっと悪夢を見ているんです。それが、一ヶ月前から酷くなって……そのせいで眠るのが怖くて、ずっと眠れていないらしいんです。今日も、廊下で倒れそうになって、それで……」
「分かったわ」
目に見えて落ち込むソラ。
この子は感受性が高すぎるせいか、良いときも悪いときも、相手に共感してしまう。
カームは、ソラの小さな肩に手を置き、顔を上げさせた。
そのままソラを東屋の椅子に座らせ、カームもまた向かい側に腰を下ろした。
「私の悪夢は、十年ほど続いたかしら」
「十年……」
「と言っても、毎日見続けることもあったし、一ヶ月くらい見なかったときもあった。それでも、一ヶ月前までは見続けていたわ」
「カームさんにとっての悪夢って、一体どういったものなんですか?」
それが興味本位でないことくらい、カームにも分かる。
それでも、ソラ以外にはこうも簡単には教えないだろう。
そう思うと、自分の中でのソラの存在は、本当に特別なんだと実感する。
「私の悪夢は、自分が自分の炎で焼かれる夢――よ」
そう言って、胸に手を宛がう。
「前に話したでしょ。幼い頃に、エレメントの制御に失敗して、全身に大火傷を負ったって」
「はい……腕の部分を見せられて……その……」
「いいのよ。あれは私が悪いんだもの。そう、私の自業自得で、私は一生消えない傷痕を負った。悪夢を見るとね、起きたあとも、傷痕が焼けるように痛むの。夜中に体を焼かれる痛みに襲われて、ずっと耐え続けるの。だけど、それは幻の痛み。そして、朝になって、疲れ果てて眠るの。そうやって、ずっと悪夢と付き合ってきた。どうすれば悪夢を見なくなるようになるのか、なんて考えたこともなかった。だって、ね……これは、私の愚かさを認識させるために、罰だから」
思わず自嘲してしまう。
あれだけ苛まれていた痛みに、罰だと割り切った瞬間、耐えられるようになったのだから。
だが、それは、諦めによる逃げだった。
「それでも、今はもう、見なくなったんですよね?」
ソラが、おそるおそるといった感じで訊ねる。
「ええ。確信がある。もうあの悪夢は見ない、ってね。それはソラ――キミのおかげなのよ」
「ボク、がですか?」
目を丸くするソラ。
「ええ。キミが、私を受け入れて、求めてくれて、そして一つになった。そのおかげで、この火傷の痕も消えた。それからなのよ。毎日、ぐっすり眠れるようになったのは……」
「それは、カームさん自身が頑張ったからで、ボクは何も――」
「こら、謙遜しないの。遠慮がちも、度が過ぎると相手に失礼よ」
顔を伏せようとするソラの額を人差し指で小突く。
「この私が、キミに救われたと言っているの。素直に受け取りなさい」
「……はい」
ソラの返事に、カームも笑顔で返すも、すぐに神妙になり、
「クリスって子の件……学長に話した方がいいかもいれないわね」
「ミュール……学長なら、何か解決策があるかもしれませんね」
「期待はし過ぎない方がいいかもしれないけど、学長ほど頼れる人もいないだろうし」
「ボク、放課後になったらミュール……学長に話してみます」
「ソラ……私の前でくらい、『学長』抜きで呼んでもいいのよ」
「いえ、それじゃあミュール……学長のアカデミーでの威厳が――」
ソラが言葉を切る。
そして唐突に立ち上がると、カームの遥か後ろへと視線を向ける。
「どうし――」
どうしたの? と聞こうとした瞬間、叫び声が聞こえた。
それと同時――いや、それよりも早く、ソラが動いた。
全身に緑のオーラをまとい、そして――消えた。
そう思わせるほどの高速移動。
風のエレメントを使って、自身に風を付与させ、それを追い風として可能とする高速移動。
言うのは簡単かもしれないが、これはある意味で、風のエレメントのマスタークラスである【エアロマスター】ですら会得していないと聞く。
単に風に体を押させるのではなく、高速かつ自在に体を動かさなければならないのだ。
ソラはそれを指一本、関節単位で可能としており、そしてなによりも当たり前のようにこなしてしまうのだ。
だが、それもソラの育ての母の一人である四英雄の風使い――【神風】の最高位を冠する東雲楓の、二年にわたる徹底した訓練による賜なのだ。
カームも会得したい気持ちがあるが、ソラの口から語られる内容は、聞いただけで体がボロボロになってしまうほどに過酷で熾烈で、そして命懸けだった。
そうして会得した風の高速移動――それを使用しなければならないほどの事態。
振り返ったカームは、そこで巨大なオーラを見た。
そのオーラは、ソラと比較しても遜色ない――どころか、むしろ大きい。
一体、誰があれほどまで巨大なオーラを出せるのか。
その色は黄――つまり地使いだ。
オーラを辿るように視線を下げるカーム。
「あの子……」
そのオーラの発生源は、さっきまでソラと話していた少女――クリスだった。
そして、まるで地面を揺さぶるような巨大な揺れが、アカデミー全土を襲ったのだった。




