第一話 悪夢の始まり(8)
イリダータ・アカデミーの昼食は、食堂と購買の二つがある。
二つの違いをあげるとすれば、食堂が『定番』メニューであるのに対し、購買はアルコイリスからの出張店舗でまかなわれているため、その店その店独特のメニューが売りとなっている。
ソラが今回、購買で選んだのはサンドウィッチのセットだった。
大きな白い箱にぎっしりと詰め込まれた色とりどりのサンドウィッチを見て、好きなものをつまめるということもあり、これに決定した。
「あら、ソラ」
購買の出張店舗が展開されているエントランスを出たところで、他の生徒とは違う、圧倒的な存在感を放つ赤毛の女性が壁を背に立っていた。
「カームさん」
「今日は購買なのね」
「はい、みんなで東屋の方で食べようって話になりまして」
「そうなのね」
カームが微笑む。
それは優雅で、上品で、とても絵になっていた。
「カームさんは、今から購買まで買いに行くんですか?」
そう言って、自分が来た方向へ顔を向ける。
「いいえ、私は待ってるのよ」
「え? 誰を――」
待っているんですか? と訊こうとしたところに、
「ちょっと、カーム」
ふっくらと膨らんだ紙袋を二つ手に持ったフィリスが駆け寄ってきた。
「フィリスさん」
「あら、ソラ。あなたも購買だったのね」
「はい」
「私とカームもよ。これから上のカフェテラスで食事をするの」
「フィリスさんも、ボクと同じで買い出しだったんですね」
ソラの発言に、フィリスが「ぐっ」と唸る。
「勝負に負けたのよ」
そう言ったのはカームで、その表情はどこか勝ち誇っているように見えた。
「ちなみに何の勝負――」
「聞かないでちょうだい!」
言葉を遮るようにフィリスが声を荒げる。
「は、はぁ……」
「その勝負っていうのは――」
何となく追求しない方がいいだろうと思っていたソラに、カームが耳元に口を寄せる。
その何でもないような行為に、しかしソラはドキッと胸を高鳴らせた。
すぐ目の前にあるカームの表情――勝ち気な目に、笑みを浮かべる唇、白い肌、それらすべてがソラの胸をざわつかせる。
ソラの三人の母親とはまた違う雰囲気。
ソラにとって、同じ年上でも、楓にアビー、そしてミュールも女性ではあるが、それ以前に母親なのだ。
それに対して、カームやフィリスは女性――つまりは異性であることを意識してしまう時がある。
「やめなさい、カーム」
フィリスが慌てた様子で肩を押し、ソラからカームを引き離す。
「さぁ、早く行くわよ。席が埋まってしまうわ」
そのまま背中を押して歩いて行くフィリスに、カームが肩越しに振り返り、手を振ってくれた。
手を振って返すソラは、耳に残ったカームの微かな吐息のくすぐったさを思い出し、無意識に耳たぶを触っていた。
※
指先を、下唇に触れさせる。
(あのときのソラ……)
ついさっきのことをカームは思い出していた。
何も考えずに、冗談で耳打ちしようとソラの小さくて色白の耳に唇を寄せた瞬間、少年が目を見開き、顔を赤らめたのだ。
それを見たカームもまた、自分がしていることに改めて再認識させられることになったのだが、何よりも驚いたのが――
(私を……意識、した?)
カームは、ソラのことをどこか無垢な少年のように感じていた。
いや、カーム自身が、ソラのことを子どものように見ていたのだ。
だけど、ソラはちゃんと男の子だった。
そして何よりも、ソラは自分に対して顔を赤くしてくれた。
そのことが、カームは嬉しく感じた。
入学してから三年と二ヶ月。
周りから見られている自分がどんな人間かは分かっている。
そこに、カームを女として見る者はいない。
だけどそれ以上に、カームは自分を女として認識することができなかったのだ。
その原因が、体に焼き付いた火傷の痕。
火傷は、カームの胸部の皮膚を爛れさせ、成長しても乳房が膨らむことはなく、それがカームには醜いものに感じ、女であることを意識することがなくなったのだ。
ただひたすらに火のエレメントをマスターすることに明け暮れ、養父の期待に応えることだけを目標としてきた。
だけど今、カームは自分を女と自覚するようになっている。
全身の火傷痕が嘘のように消え、真っ白な肌が甦った。
そして、一生自分には縁のないものと思っていた胸に膨らみができていた。
それはすべて、ソラのおかげだ。
少年からもらった大切なこと、そして【深淵】に呑み込まれかけたソラを救いたい一心が、カームを火使いとして極致へと昇華させた。
この体は、ソラから与えられたようなものだ。
それからは服装も変えた。
それまでは一切肌を晒さないようにしていたが、今では襟のないものや半袖なども選べるようになった。
もうすぐ季節は夏になる。
それが、カームには初めての体験で、密かな楽しみでもあった。
その時は、ソラに見てもらいたい。
少年は、何と言ってくれるだろうか。
「カーム?」
名前を呼ばれ、カームはハッと我に返った。
カフェテラスのバルコニーにあるテーブル席のひとつ。
そのテーブルを挟んだ向こう側で、フィリスが怪訝な表情をしていた。
「なんでもないわ。ちょっと考えごとをしていただけ」
そう言って、カームはずっと手に持っていたカップを持ち上げ、ひと口含んだ。
「考えごとって?」
「だから、なんでもない」
少し赤くなってしまった顔を隠すように、カームはカップを口に触れさせたままにしていた。
※
箱詰めされたサンドウィッチを、三人が座っている東屋の木製のテーブルの上に置いたソラは、蓋を開いて見せ、ひと通り具材の説明をした。
「じゃあ、俺はこれな」
「こら、レディーファーストでしょ」
早速手を伸ばすレイの手の甲を、エラが軽く叩く。
「ちぇ、こんなときばっかりずるいぜ」
わざとらしく叩かれた手の甲をさするレイ。
「クリスはどれがいい?」
「私はあとでいいよ。先にエラが選んで」
遠慮がちに呟くクリス。
本来ならばここでエラは引き下がらないだろうが、クリスの性格を理解しているからか、エラは「じゃあ、私はこれ」とすぐにひとつ選んで手に取った。
「クリスは何が好きなの?」
「私は……これ、かな……」
ソラやレイを気にしながらも、ひとつ手に取るクリス。
「へぇ、サーモンとエビと……これはアボカドかしら……クリスは魚介類が好きなの?」
「うん。私の故郷、内陸部だったから、新鮮な魚、とか、食べられなくて……」
「それも美味しそうね。ちなみに私のは、鶏の照り焼きとタマゴのサンドよ」
「エラのも、美味しそう……」
「じゃあ、半分こ、しよっか」
「……うん」
テーブルの向かいで女子が二人、和気藹々とサンドイッチを手でちぎって半分にしている。
だが、パンの生地が硬く、具もたくさん詰め込まれているため、二人ともパンをちぎるために押してしまい、具が飛び出してしまっていた。
それでも、エラは心の底から楽しそうに笑い、クリスも遠慮がちだが、笑顔を見せてくれていた。
そんな微笑ましい光景を見ながら、ソラとレイは残ったサンドイッチを選び、黙々と食べていた。
クリス・ロックハート――エラと寮が同室でなければ、あの廊下での出会いがあっても、一緒に授業を受けたり、昼食を共にすることもなかったかもしれない。
クリスは引っ込み思案で、積極性に欠ける。
すべてが受け身で、エラに話しかけられる形でしか、言葉を口にしない。
自分の意思がないわけではないが、表現するには奥手なのだろう。
それでも、こうやって笑顔を見せてくれていると言うことは、エラという存在が、彼女にとっては特別で、大きなものなのだろう。
なんとか半分にし、ようやくサンドイッチを食べ始める二人。
エラは傷が染みるのか、我慢するように咀嚼していたが、それをクリスに見られていることに気づくと、すぐに「どうってことないわよ」と言って、大きくかぶりついて見せた。
エラは、相手の心にとても機敏なところがある。
思いやる気持ちが大きいのだ。
気の合わない人間には徹底して冷たい印象を与えるが、気を許した相手には、とことん親身になる。
クリスに頬を叩かれたとき、口内を切ったエラは、口の中を血で真っ赤にしていた。
それでも心配かけまいと健気に振る舞い、罪悪感を与えないようにしている。
最初は、謝ってばかりのクリスだったが、さすがにエラの気持ちに気づいたのか、今は心配そうに見つめはするものの、謝罪の言葉を口にすることはなかった。
「クリスって、地の国出身なんだよね?」
ソラの問いに、クリスは頷いて見せた。
それは、クリスの首下にあるループタイの石の色で分かる。
「地の国って、どんなところなの?」
「……地の国は……砂漠だらけ、かな……」
「サバク?」
「うん。土と砂、あとは岩だけ……空気は乾燥してて、雨も降らない。それに暑い、かな」
「へぇ~そうなんだぁ~。一度、行ってみたいなぁ」
そんなソラの感想に、クリスが目を見開いた。
「そんな、いい場所じゃない」
クリスが顔を伏せる。
「う~ん、いいとか悪いとかじゃなくて。ボクは、色んな場所に行ってみたいんだ。だから、卒業したら、世界を巡りたいって思ってる」
「もうそんな先のこと考えてのか」
感心するレイ。
「じゃあ、水の国に来たら、俺の故郷にも来いよな」
「うん、絶対に行くよ」
「だったら私は風の国を案内してあげる。ソラ、東の果ての島にも興味があるんじゃない? ソラの名前の語源でもあるし、あの東雲楓の故郷だもの」
「楓の故郷かぁ。うん、見てみたい!」
想像するだけで、楽しくなってしまう。
今すぐにでも行きたいくらいだ。
だけど、ここイリダータでの生活も楽しい。
今はここで四年間を過ごし、みんなともっと仲を深めていきたい。
クリスのような出会いもある。
まだ入学して二ヶ月。
これから先、もっと出会いがあるかもしれない。
「火の国は、もちろんカーマイン先輩とだよな?」
意味深な視線を向けてくるレイ。
そうだ。
ソラにとっては四年間の学生生活でも、カームとの時間は、一年もないのだ。
カームは四年生で、次の年には卒業してしまっている。
別れまでは、そう長くはない。
それまでに、何としてでもカームを【虹使い】にしてあげたい。
マスターできなかったとしても、そこに至るまでの道はつくってあげたい。
「ソラは――」
とクリスに声をかけられ、ソラは思考を中断した。
「ソラは、あの人と、知り合い、なんだよね」
「カームさんのこと?」
クリスが頷く。
「そうだよ」
「すごい、よね」
ぽつりと、クリスが呟く。
「あの人も、ソラも、すごい、エレメントが使えて……それに比べて、私は……」
クリスは言葉を切り、俯く。
何となく暗くなってしまった空気を、レイとエラが慌てて取り繕う。
「馬鹿ね、クリス。ソラもカーマイン先輩も、規格外なのよ」
「そうそう。俺もエラも、全然だしな。エラなんてこの前――」
「ちょっ、何を言う気よ!」
「いや、ここはエラの失敗談を語って、クリスを元気づけようかと」
「失敗なら、あんたの方が多いでしょうが! 聞いてよクリス、こいつったら」
「よせ、やめろ。失敗が多すぎて、何を言われようとしているのかすら分からん」
そんな二人のやりとりに、ソラはまたいつものだと呆れ、クリスは笑っていた。
「ありがとう、二人とも。でもね、私は……本当に、才能がないの……」
「そんなこと――」
「だって……」
エラが言おうとしたことを、クリスが被せるようにして続けた。
そして、その言葉は、ソラにとって衝撃的なものだった。
「私は、エレメントの制御ができないから……」
※
クリスの記憶は、六歳のころから始まる。
最初の記憶は、故郷である砂漠地帯につくられた無数の墓石。
墓石といっても大小様々で、形も無骨だ。
乾いた風が吹くたびに、砂が地表を流れ、砂の粒子が舞い上がる。
クリスは、砂から身を守るために外套をまとい、舞い上がる砂の粒子を吸わないように布で口を覆っていた。
無数にある墓石のうち、他よりも少し大きい二つの墓石を前に、クリスはじっと佇んでいた。
その二つの墓石の下には、両親が眠っている――そう、クリスは訊いていた。
だけど、実感がない。
なぜなら、クリスには、今よりも前の記憶がないからだ。
両親の顔も思い出せず、この無数に広がる墓石の理由も知らない。
この墓石が両親のものというのも、訊いたからだ。
「行きましょうか」
その声に、クリスは右手を握ってくれている隣に立つ女性を見上げた。
その女性は、ロングヘアーの金髪で、とても穏やかな表情をしていた。
彼女は、記憶を失った状態で目を覚ましたクリスの視界に、最初にいてくれた人だった。
何もない、何も知らないクリスは、ただ彼女の言うことに従った。
振り返り、歩き出す。
「どこに、行くんですか?」
訊ねるクリスに、彼女は微笑み、
「安全なところよ」
言っている意味が分からず、クリスは首を傾げた。
そうして、しっかりと手を握り合い、クリスは彼女と歩く。
それは十六年前の、朧気な記憶。
翌年、大陸全土を巻き込んだ闇の勢力と四大国同盟による全面戦争が勃発したのだった。
そして四大国同盟の勝利で終戦を迎え、それからクリスは悪夢を見るようになったのだった。




