第一話 悪夢の始まり(5)
食堂に到着したソラとレイは、トレイを手に取り、バイキング形式で並べられた料理をトングで掴みながら大皿に盛りつけていった。
イリダータは四大国が出資してつくられたアカデミーであり、他国の文化を知ることもひとつの目的としている。
そのため、食堂の料理も四大国それぞれの郷土料理などが並べられており、イリダータでの食事が生徒の間でも人気となっている。
トレイいっぱいに皿を並べたソラとレイは、そのまま席の方へと体を向け 、目的の人物を探した。
「おっ、いた」
レイが声を上げ、その方向へと進んでいく。
ソラもその背中を追い、テーブルの間を通っていく。
そして辿り着いたテーブルには、二人の女性が座っていた。
「やっと来たわね」
そう言って少し睨むような目つきを見せるのは、ソラとレイの同級生であるエラ・グリーンだった。
淡い金髪のセミロングで、毛先が軽くウェーブがかかっている。ループタイの石は緑――つまり風の国出身の風使いだ。
「なんで俺を睨むんだよ。俺はソラを待っていただけだ。お前が遅れたって非難するなら、それはソラのせいだな」
そう言いながらエラの隣に腰を下ろすレイ。
ムッとするエラに、ソラは苦笑しながらレイの向かい側に座った。
「おはようございます、フィリスさん」
「おはよう、ソラ」
ソラの隣には、ひとり分の間を空けて四年生のフィリスが座っていた。
「今日も朝練、お疲れさま」
「いえ、フィリスさんも」
毎日朝練に勤しむレイとカームだが、フィリスもまた朝練をしているひとりだった。
水使いであるフィリスは、その実力からイリダータでも最強と呼ばれている。
「ふぅ」
そんなフィリスが小さく溜息をつく。
「ソラはいいのよ。ぎりぎりまで朝練をしているから。それに比べてレイはぎりぎりまで寝てるだけなんだから、たまにはあなたがテーブルを確保するために早く出てきなさいよ」
「だから、俺はソラが戻ってきた時にひとりだと寂しいだろうから待っててやってるんだよ。お前こそ早起きで朝練もしてないし、ぼっちなんだから適任だろ」
「――ッ! 私はぼっちじゃなくて、ひとりが好きなの! 一緒にしないで!」
「どこが違うんだよ」
「全然違うわよ!」
向かいに座るレイとエラはまだ言い合っているのか、フィリスの溜息に気づいていない様子だった。
「フィリスさん、どうかしたんですか?」
沈むフィリスの顔を横から覗き込むようにして見つめるソラに、
「何でもない……とは言えないわね」
そう言って、フィリスが無理やりつくった笑みを浮かべる。
「ねぇ、ソラ」
「はい」
「キミは、水龍を何頭呼び出せる?」
「水龍、ですか……」
水使いが、その実力を示すひとつの指標に水龍と呼ばれる技があるのだが、これは龍を模した水柱をつくりだし、それを何頭まで呼び出すことができるか、というものだ。
「ちなみに、フィリスさんは……?」
恐るおそると言った様子で訊ねるソラ。
「……」
フィリスがしばし無言を貫く。
「あんただって、ソラ以外に友達いないじゃない!」
「俺は、クラス全員と浅い付き合いをするよりも、二、三人でもいいから心を許せるような、それこそ親友って呼び合えるような存在がいればそれでいいんだよ」
「えっ……それって……」
「……何だ?」
「う、ううん、なんでもない……」
沈黙している間を保ってくれていたレイとエラの会話が止まる。
少し気まずさを感じ、何か言わなければと思ったソラが口を開いた瞬間、フィリスが静かに呟いた。
「私は、まだ五頭しか呼び出せない」
そう言って、横目にソラを見据えるフィリス。
「で……キミは?」
「……な、七頭です」
「七頭かぁ……」
フィリスが頭を垂らす。
フィリスは五頭まで水龍をつくり出すことができる。
ちなみに、イリダータの生徒では、フィリス以外に五頭つくり出せる生徒はいない。
参考までに、水使いであるレイは一頭つくるだけで精一杯で、それを龍の如く動かすまでには至れていない。
つまり、五頭を呼び出せる時点で、フィリスはその実力を如実に示している。
それでも、彼女の表情はあまりに悔しそうだった。
「あの時、実演で見せた時にはすでに適応していたのね」
恐ろしい、とフィリスが独りごちる。
エレメントは土地柄や環境に依存、左右される。
そしてイリダータ・アカデミーがある土地は、闇の大戦における決戦の場であり、それまでは未踏の地として固有のエレメントを有さない土地だった。
そのため、自国からイリダータに来た新入生は最初、うまくエレメントを扱えず、苦戦するらしい。
これは、ルイスの授業で習ったことのひとつだ。
「私はね、三年の時にやっと五頭まで使役することができるようになったの」
「それは、凄いことだと思います」
ソラは素直にそう思った。だから、それを正直に口にした。
「ありがと」
フィリスがふっと笑みを浮かべる。
「でも、そこまで。どうしても六頭目を使役することができない」
「……」
ソラは何も言えなかった。
「学長は私に期待してくれている。いち生徒の私にアドバイスも与えてくれた。私は学長の期待に応えたい。私の目標は、学長と同じ九頭龍だから」
気がつけば、レイとエラも口を閉ざし、食事の手も止めて聞き入っていた。
「一度だけ、学長が水使いの生徒たちの前で見せてくれたの――【九龍の舞姫】を」
大陸最強の水使いであるイリダータの学長――ミュール・ミラーは、九頭の龍をつくり出し、自在に操ることができる。
水面に佇むミュールを中心に九頭の水龍を飛び交うその姿は圧巻であり、四大戦争時には【九龍の舞姫】と呼ばれ、恐れられていた。
四英雄の四人は、四大戦争時代においても他国に名を轟かせる存在だった。
イリダータに在籍する若い世代には、最高位の称号が有名となっているが、四大戦争時代を知っている世代には、自国にとっては英雄を祭り上げるため、他国にとっては畏怖される存在を周知させるため、異名が広まったのだ。
そのミュールの異名が【九龍の舞姫】なのだ。
「その舞に、私は魅入られた。水の国にいた時には、どこか怖いと感じていたの。確かに英雄だけど、戦争は恐ろしいものだって聞かされていたから、イリダータに来た時も、学長がどこか恐ろしい人に見えた」
勿論、今ではまったくそんな風には思っていないけどね、とソラに向かって微笑んで見せた。
それは、ミュールがソラにとっては母親の一人であることを考慮してくれてのことだろう。
「でも、今の私じゃ全然届かない。でも、これ以上、どうしたらいいのか分からない。あまりに壁が高すぎて、越えることはおろか、その先を見ることすらできない。それが――」
悔しい、と呟きが聞こえた気がした。
ソラも、レイもエラも、何も声をかけることができない。
頑張ってください、先輩ならできますよ、まだまだこれからです――どの言葉も、今のフィリスには届かない。
いや、大事なのは言葉ではない。
『誰が』が大事なのだ。
ソラも水使いとしての能力ならばフィリスよりも上で、助言でもできるだろうが、今のフィリスに必要なのは、どうすれば六頭目を呼び出せるのかではなく、折れかけている気持ちを奮い立たせる言葉なのだ。
そして、フィリスを奮い立たせる言葉をかけられるのは、一人だけ。
「そんなの、やるしかないじゃない」
ドンッ、とトレイがテーブルに置かれる。
ソラとフィリスの間に、赤毛の長い髪が零れ落ちる。
二人の間――元々カームのために空けておいた席に座った彼女は、先ほどの発言などなかったかのように朝食を取り始めた。
「カ、カームさん?」
困惑するソラに、カームは喉を鳴らして呑み込むと、
「成せないのであれば、成せるまで成せ」
そう言って、ひたすらに食べ続ける。
誰もが声をかけられず、黙々と食べ続けるカームを見ていることしかできなかった。
やおら、食べ終わったカームが、空になった皿の底をスプーンで小突く。
「そうすれば、必ず終わりが見える」
見つめ合う、カームとフィリス。
対面に座るレイとエラがごくりと唾を飲み込む。
やおら、フィリスが破顔し、
「励ましが下手ね」
「励ましてるつもりなんてないわ。でも、あなたは私に一年の頃にライバル宣言した。なら、弱音なんて許さない。私をカームと呼ぶことを許している理由、忘れないことね」
そう言って、食後のコーヒーを口に含むカーム。
「フィリスさん」
カームを挟む形で、ソラが声をかける。
「カームさんが言った言葉は、四英雄がよく使っていた言葉なんです。ボクも、アビーや楓からエレメントを学んでいたときに何回も言われました」
「私も養父から何度も言われたわ。それはもう、聞くのが嫌になるほどにね。結局、限界を決めるのは自分自身。ここまでと思ったら最後、それ以上の向上はない。壁をつくるのは自分の心。だから、その壁を越えるのもまた、自分自身にしかできないことなのよ。それに、越えられないなら叩き壊せばいいだけよ」
「カームさん、それはいくら何でも……」
「それくらいの気概がなければ頂点は目指せないってことよ」
先行くわね、とカームが早々にトレイを持って席を立った。
フィリスはじっとテーブルに視線を落とす。
「そうよね」
呟くと同時、フィリスは瞼を閉じ、一度大きく深呼吸すると、ゆっくりと瞼を開いた。
その瞳には気力が湧いているのが見て取れた。
「ここはまだ私の限界じゃない。そんなの私自身が認めない」
「お、お姉さま、私もできることなら何でもします! だから――」
身を乗り出す勢いで声を上げるエラに、フィリスが微笑み、
「ありがとう、エラ。その言葉だけで十分よ」
立ち上がったフィリスは、そのままエラへと手を伸ばし、その頭を撫でた。
くすぐったそうにエラが破顔し、頬を赤く染める。
「ソラも、ありがとう」
「いえ、ボクにもできることがあれば言ってください」
「ええ、頼りにしてるわね」
そう言ってテーブルから去って行くフィリスの背中は、まっすぐに伸び、堂々としていた。
「ああ~、やっぱりフィリスお姉さまは素敵すぎるぅ~」
エラが両手を頬に添え、くねくねを体を左右に揺らす。
「確かに、今の状態でも俺たち水使いにとっては雲の上の存在なのに、そんな人たちがあんだけ悩んでる姿を見たら、俺なんて……って思っちまうよなぁ」
そう言うレイだが、その瞳は諦めよりも、むしろやる気に満ちているように見えた。
レイと語ったあの夜――レイ・バーネットという男には、目標がある。
彼には彼なりの、彼だけの目標がある。
高みを目指すだけが全てではない。
レイはそれが分かっている。
だから、彼は腐らない。
圧倒的な光を放つ存在を前にしても、むしろそれを客観的に観察し、吸収しようとする。
「何だ?」
「いや、何でもないよ」
ついつい微笑ましくレイを見てしまっていたソラは、おどけた様子で笑って誤魔化した。
「俺たちも行こうぜ」
レイが立ち上がり、トレイを持って歩いて行く。
ソラも席を離れ、後を追おうとしたが、忘れもの気づき、踵を返した。
「エラ……エラ~」
いつまでも蕩けた様子のエラの肩を揺すると、ハッとエラが戻ってきた。
「遅刻するよ」
そう言って先を歩くソラに、
「ま、待って、置いてかないでよ~」
と置いてけぼりにされた子どものような声をあげてエラが追うのだった。
※
食堂を出てイリダータの校舎に向かうカームは、背後から駆け寄ってくる足音を聞いていた。
その足音が、カームと肩を並べたところで止まり、隣を歩く。
「カーム」
その隣を歩くフィリスが、正面を向きながら名前を呼ぶ。
「今はまだ、私はあなたの隣を歩くだけで精一杯よ。だけど――」
一歩――大きく踏み込んだその一歩分、フィリスが前を歩く。
「いつか、あなたの前を歩いてみせる」
歩きながら肩越しに振り返ったフィリスの表情は、煽るような、それでいて挑むような目つきでカームを見据えていた。
「その時は、私の背中を見てせいぜい悔しがることね」
そう言って正面を向いて堂々を歩くフィリスに、カームはふっと鼻で笑い、同じようにして大きく前へ踏み込んだ。
肩と肩とが並び、再び隣り合う。
「もし私の前を歩くことになっても、すぐに追いついてあげるわよ」
「頼もしいわね」
互いに横目で見つめ合い、口元に笑みを浮かべる。
そのまま、二人は並び合いながら校舎へと向かっていった。




