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空使いとアルカンシェル  作者: 天瀬 智
第二章 大地の呼び声
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第一話 悪夢の始まり(4)

「あら、今日はいつもより遅かったわね」

 寮室に戻ったカームが室内に入ると、制服に着替え中のフィリスと対面した。

 フィリス・アークエット。

 カームと同じ四年生で、水の国出身の水使いだ。

 彼女もまた、イリダータ・アカデミーにおける、最強の水使いと呼ばれている。

 カームやフィリスが『最強』と呼ばれているのは、アカデミー主催で開催されている、エレメントによる対戦を目的とした大会――エレメンタル・トーナメントで優勝しているからだ。

 カームは一年から三年まで三連覇を成し遂げ、フィリスもまた三年の時に初出場し、優勝を勝ち取ったのである。

 しかし、今年の火の部門【ガーネット】は、本戦出場者の生徒がエレメントを暴走させてしまい、無期限の延期となってしまっていた。

 これによって、誰もが期待していたであろうカームの前人未踏の四連覇は先送りとなってしまったのだ。

 次の月に行われるのは、地の部門【トパーズ】で、そのひと月後に風の部門【ペリドット】、さらにひと月後に水の部門【アクアマリン】が開催される。

 フィリスもまた出場し、本戦に残るだろう。

 四年生となった今、一年生にソラと同等の逸材でもいない限り、彼女の優勝で間違いない。

 フィリスは飛び抜けて才能があるわけではない。

 それでも、彼女は修練を積み、確実に実力を身につけている。

 フィリス・アークエットという同学生を、カームは唯一のライバルと認めている。

 彼女もまた、カームをそういう風に捉えており、互いに肩を並べ、共に上を目指しているのだ。

「まぁ、ね」

 フィリスは、真っ白でしわひとつないワイシャツのボタンを首下まで留めると、襟にループタイを通し、最後に青い石がはめられた留め具を首下まで引っ張り上げた。

 朝日を背中に受ける彼女の姿は、普段の立ち振る舞いや口調から、どこか気品を感じさせ、同じ女でありながら、ハッと息を呑んでしまいそうになる。

「そろそろ食堂が開く頃……ぷっ」

 そんな彼女の表情が一変、吹き出すようにして笑った。

 すぐに手で口を上品に隠すも、目が笑っていては台無しだった。

「なに?」

 睨むようにしてフィリスを見やるカーム。

 他の生徒ならば、カームに一瞥されるだけで腰が抜けてしまうものだが、フィリスだけはこれまでずっと、何度も睨んでは拒絶しても、ずっと話しかけてきた。

「カーム――あなた、鏡を見た方がいいわよ」

「はぁ?」

 露骨に眉を寄せるカームを前に、それでもフィリスは笑いを堪えるようとはするも、止めはしなかった。

「まぁ、その顔で講義に出るのも止めはしないけど……それはそれで、あなたに対する周りの態度が少しは変わるかもしれないわね。ふふふっ」

 笑いながら、フィリスはブレザーを羽織りながら部屋を出て行った。

「まったく、何なのよ」

 静かになった部屋で、独りごちるカーム。

 そのまま洗面室に入り、運動着を脱ぎ、続けて下着も脱いでいく。

 朝食の時間が減ってしまうだろうが、どちらにしろシャワーは浴びるつもりだ。土まみれになった格好で、少年の前に顔を出すことなど――

(……まさかっ!)

 ハッと思い至り、脱ぎ終わったカームは浴室に駆け込むや否や、取り付けられている鏡を見やった。

「うそ……」

 まさか、こんな顔をフィリスに見られていたなんて……。

(迂闊だったわ)

 鏡に映るカームの顔は、細かい砂の粒子で、文字どおり土色の肌になっていた。

 砂粒は手で防いでいたものの、霧状となった砂の粒子までは防ぐことができず、露出した肌――つまりは顔にまんべんなく付着してしまっていたのだ。

 カームはすぐにシャワーの水を出し、全身にそれを浴びた。

 自慢の赤毛がしっとりとし、肌に張り付く。

 顔を何度も手でこすり、念入りに確認する。

「……」

 カームの目の前には今、鏡がある。

 その鏡に映る自分の裸体。

 女性の象徴でもある、胸の膨らみ。

 喉元に指先を触れさせ、そのまま鎖骨の間を抜けて下へとなぞるように這わせ、胸の間で止める。

 そのままゆっくりと、確かめるような手つきで自分の胸にそっと触れる。

 手のひらに感じる柔らかさ。

 女性ならば誰でも持っているこの柔らかさを、しかしカームはたった一ヶ月前まで、自分にとっては無縁のものとして感じていた。

 カームが幼少期に負った大火傷は、胸を中心に首下や腹部、腕にまで至り、歪となった皮膚はカームから女性らしさを奪い取ったのだ。

 それまで肌を露出させるような服を着たこともなく、夏の暑さでも長袖を着て、服のボタンも首下まで締め、絶対に肌を見せようとはしなかった。

 恥ずかしいからではない。

 あまりにも、醜かったからだ。

 だけど今、カームが目の前にしている鏡越しの自分自身からは、火傷の痕がきれいに消えていた。

 それどころか肌には染みや痣もなく真っ白で、まるで作りもの、もしくは生まれ変わったかのような完璧さだった。

 そう、カームはある意味で生まれ変わったのだ。

 一ヶ月前の【ガーネット】が行われた円形闘技場コロッセウムでの事件――表向きは生徒のエレメントが暴走したことが原因となっているが、その実は【深淵しんえん】と呼ばれる存在が関係しており、その結果、カームは火のエレメントにおいて極致とも言える領域に踏み込み、自分自身の肉体を炎と化したのだ。

 ソラの同年生のエラという少女によれば、まるで伝説に登場する不死鳥フェニックスのようだと言い、もしカームが最高位を得るようなことがあれば、これを名乗るべきですね、とも言われた。

 最高位はともかく、不死鳥フェニックスとは、言い得て妙だと思った。

 元々はソラを【深淵しんえん】の闇から救うための行動が、副次的にカームをも救ったことになったのだ。

 一年の時に、醜い自分の姿に嫌悪、そして怒りに身を任せ、鏡を殴り、割ってしまった。

 あの時のことを思い出すと、今でも右手に痛みが走るのだった。

 かつて右手には、無数の傷痕があった。

 だが、それも今は綺麗に消えている。

 この身に宿る、火のエレメント。

 かつて誰も見たことのない、ミュールですら知識外のこと。

 養父ちちのルカに訊けば、なにか分かるかもしれない。

 養父ちちは、この身に宿る不死鳥の存在を知っていたのだろうか。

 だから、あれほどまでに厳しい特訓を強いてまで、カームに火のエレメントをマスターさせたのだろうか。

 分からない。

 自分のことも。

 そして、養父ちちのことも。

 これ以上考えていても埒があかない。

 そう思い、カームは浴室を出るのだった。


            ※


 寮の部屋に戻って授業に出るための準備を終えたソラは、待っていてくれたレイと一緒に朝食のために食堂へと向かった。

「今日は何の練習をしたんだ?」

 男子寮を出たところで、レイが話題を振ってくる。

 ソラとレイは同じ一年生だが年齢は違う。

 ソラは十四歳に対し、レイは十六歳と年上なのだが、彼はソラを年下のように扱わず、それでいてレイ自身も年上のようにも振る舞わない。

 同じ一年として、同じ学舎で学ぶ同級生。

 そんな風に振る舞ってくれるレイを、ソラはとても好ましく思っていた。

 実際に友達思いで、気さくで、誰とでもすぐに打ち解ける。

 そんな彼が自分のような変わり者と一緒に行動してくれる幸運に感謝しつつ、ソラもまた、レイに対し、歳を気にせず対等な口調で話すようにしている。

「今日は、地のエレメントかな」

「地……かぁ」

 並び歩くレイが顔を上げ、どこか遠い目をする。

「そういえば、レイは地のエレメントを教わってるんだったね」

「ああ、これが難しいのなんのって」

 そう言って肩をすくめてみせるレイに、ソラは笑って見せた。

「何て言うか、水の国にいたころには当たり前のように水のエレメントが使えてたから何とも思っていなかったけど、こうやって国から離れて他のエレメントを使って見ろって言われて、嫌になるほどに身に染みたよ」

「そうだね。ボクもイリダータに来たときには、どこか違和感があったから、慣れるまで時間がかかったかなぁ」

「本当か? それであの実演って……おそろしい奴」

「そうかな?」

 首を傾げて見せるソラに、

「そうだよ」

 と言って、レイが肩を軽くぶつけてきた。

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