第一章アフター 初めてのお買い物(2)
ここ一週間、カームを悩ませていた二つの問題。
そのうちのひとつが、ブラジャーだ。
これまでずっと胸に火傷の痕を抱えていたため、そんなものは必要なかった。
だが、ここに来て、まさか必要な時が来るとは思わなかった。
ここ一週間――ブラジャーのない生活を送っていたが、どうにも落ち着かず、文字どおり違和感を胸に抱えたまま過ごしてきた。
歩く度に揺れるし、寝ているときも引っ張られるような感覚に最初は寝付けなかった。それに服に擦れて痛い。
そして一週間が経過し、休息日が訪れると同時に我慢も限界を向かえ、こうしてブラジャーを買いに行くことを決意したのだ。
そして、もうひとつの悩み。
それが、ブラジャーを買うために手助けが必要であり、その思い当たる相手がフィリスしかいなかったということだ。
別に恥ずかしいことではないが、カームには友達といえる相手がいない。
同学年で話をする(というよりも話しかけてくる)相手はフィリスだけであり、彼女も友達というよりは、互いを高め合うライバルのような存在に近い。
それに何よりも、同室であり、それでいてフィリスの人格を信用して、絶対に他人に漏らさないだろうと判断したからだ。
「私が貸したやつ、結局使わなかったのね」
「あなたのは……大きすぎなのよ」
「それは……悪いことをしたわね」
正午前。
アルコイリスを東西に分ける一本の大きな道。
休息日ともあり、大通りは行き交う人々で賑わっていた。
アルコイリスに住む人々に加え、イリダータの生徒たちも私服姿で外出を楽しんでいる。
大通りに面した土地は一等地であり、各国で有名な店舗が名を連ねているのだ。
その大通りを歩く、カームとフィリス。
胸を張って堂々と歩くフィリスに対し、並んで歩いても遜色ないカームだが、今回は胸の前で腕を組むようにして背中を丸めぎみで歩いているため、どこか釣り合いが取れていないように見えた。
一週間前にこの悩みに直面した時、察しのいいフィリスは何も言わずに自分のものを貸してくれたのだが、いかんせんサイズが合わなかった。
それでも使えばよかったのだが、なんだか敗北感が増さり、結局使わずじまいとなった。
「それにしても、よく私がこのことで悩んでいるって分かったわね」
「……カーム――あなた、一週間ずっとそうやって歩いていたのよ」
「え?」
指をさされ、自分を見下ろす。
胸を隠すように腕を組んで歩くその姿を見て、咄嗟に腕を離した。
「うそ……」
「無意識だったのね……」
ハァとフィリスが溜息をつく。
「でも、こうしていないと落ち着かないのよ。揺れるし、見られてるんじゃないかって思うと恥ずかしいし」
それは自意識過剰のようであってそうではない。
カームほどイリダータで有名な生徒はおらず、その容姿や立ち振る舞いと相まって、かなり目立つ存在なのだ。
同学年からはどちらかというと近寄りがたい存在として避けられているが、下級生からは尊敬や憧れの眼差しで見られることが多い。
なので、実際にカームへの視線は常に向けられている状態であるといっても過言ではないのだ。
「まぁ、気持ちは分からないではないけど……今日でそれも終わるんだし、いいんじゃない」
そう言われ、再び胸の前で腕を組むカーム。
「ほら、ここよ」
そう言って、フィリスが立ち止まる。
そこは、大通りに面した店舗だった。
「ここって……高くないかしら?」
「高いわね」
と間髪いれずフィリスが応える。
「でも、下着は直接肌に触れるものだから、安物だと生地も硬いくて肌に擦れたりして痛むし、使いたくなくなってしまうものなの」
「へぇ」
「だから、多少値が張っても、高いものを買った方が、長い目で見れば絶対に良かったよ思えるわよ」
「確かに」
火使いは、エレメントを使用する際、発火を促すための特殊な素材でつくられた黒い手袋を使用する。
これが店の数だけ品物があり、多種多様なのだ。
安ければサイズは、小、中、大と大まかにつくられている一方で、オーダーメイドで一本一本の指の長さや太さなどを測ってハンドメイドで製作してくれる店もある。
当然その分、値段は張る。
だが、カームはそのフィッティングの重要性を理解しており、だからこそ、それに見合う金額を支払うことも厭わない。
つまり、今回もそういうことなのだ。
この手の買い物の経験がないカームには分からないことを、フィリスは知っている。
そのフィリスが言っているのだ。
だったら、ここは従おう。
「ここでいい?」
「ええ。あなたが選んだ店だもの、任せるわ」
そして、二人はランジェリーショップへと赴くのだった。
※
「さぁ、行きましょうか。ソラ」
ミラー邸を出て、太陽に向かって腕を上げて伸びをするミュール。
「いい天気だね」
「ええ、絶好の買い物日和ね」
アルコイリスは、商業区、観光区、工業区、住宅区と大きく四つに分けられている。
東西に分かつようにまっすぐに伸びる大通り。
その通り沿いに、各国の有名店が並ぶ商業区や、観光地や宿泊施設を兼ねた観光区が並んでいる。
大通りから見て、その奥には工業区があり、外縁部に住宅区が集まっているのだ。
住宅区も、区画によって一等地から三等地まである。
ちなみに、ミュールの邸宅は、イリダータの学長の威厳を示すため、一等地に建てられている。
一等地は土地が広く、邸宅自体も大きい。
裏庭だって、もう一軒入るほどだ。
ミュールは当時、こんな大きな邸宅は必要ないと断固抗議していたが、すでに邸宅は建て終わっており、このままでは無駄になってしまうと説得され、しぶしぶ了承したと言っていた。
今では慣れた様子だが、住み始めた当時は、どこか他人の家に住んでいるようで落ち着かなかったらしい。
ミュールと並んで歩くソラの格好は、楓の手製だ。
個人がつくったものにしてはよくできてはいるが、やはり商品に比べてどこか見窄らしく感じてしまう。
そう思ったミュールは、それは部屋着として寮で使用するように説得し、こうやってアルコイリスを歩いたりする外出用の服を選ぼうと言ったのだ。
こうやってソラと並んで歩くと、本当に息子のようだ。
ソラの育児に携わったのは、最初のほんの数年だけ。
実際に、ここまでソラを育てたのはアビーであり、楓である。
二人は、本当にソラをまっすぐに育ててくれた。
それに関われなかったのは残念でならないが、ミュールには今のソラの成長を見守ることが出来る。
アビーは亡くなり、楓も秘境の地に留まっている。
一緒に来てもよかったものの、おそらくはミュールに対する配慮だろう。
これまでソラと接することが出来なかった自分へ、大いに甘やかすがよい――と。
ソラはまっすぐに育った。
だが、育った環境ゆえに、純真すぎるのが問題だ。
いや、それはそれでソラの魅力なのだが、これからイリダータ・アカデミーで異性と接するのならば、このままではいけない気がする。
特に、ミュールはひとりの四年生にソラを託したばかりなのだ。
――カーマイン・ロードナイト。
今年から最上級生である四年生となった火使いの彼女の成績は申し分ない。
まず、自分と同じ四英雄のひとり――ルカ・ロードナイトの養子であり、入学当初から火使いとして【パイロマスター】級の腕をもっていた。それを証明するように、一年にしてエレメンタル・トーナメントで火の部門【ガーネット】で優勝し、それから二年、三年と前人未踏の三連覇を果たした。
四年生は、卒業試験のひとつに、一年生とパートナーを組み、自分の得意とするエレメントを習得させる課題がある。
そのパートナーに選ばれたのが、カームなのだ。
ソラの異性に対する意識のなさは、初日のソラの行動で把握した。
これは、楓のずぼらさがもたらしたことが大きいと見て間違いない。
一緒にお風呂に入ろうとしたり、同じベッドで眠ろうとしたりなど、ソラには女性に対する壁――遠慮というものがないのだ。
楓とアビーはソラを息子同然に、そしてソラもそんな二人を母親として接していたため、仕方がないと言えば仕方がない(むしろそのおかげで、ミュールに対してもソラが遠慮なく甘えてくれるわけで)――のだが、これと同じ態度でカームやフィリス、同学年で仲の良いエラと接したならば、問題が起きてしまうかもしれない。
そうなれば、ソラが嫌われてしまうかもしれない。
ソラがそんなことをするような子ではないと理解されているはずだが、過ちというものは、長年積み上げてきた信頼さえも簡単に崩しかねないほどに危険な行為なのだ。
特に異性との過ちなど、一生修復不可能な関係になってもおかしくはない。
だから、こうしてソラに教えるのだ――異性に対する《《恥ずかしさ》》というものを。
ソラにはもっともっと甘えてほしいし、ミュール自身だってソラをもっともっと甘やかしたい。
だが、楓とアビーがソラを立派に育てたように、ミュールにもまた、母親のひとりとしての責任がある。
楓とアビー、そしてなによりも、ノアに顔向けできない。
ソラもいつか、『男の子』から『男』になる日が来るのだ。
カームとの関係を見ていると、二人が運命によって出会った相手なんだと思ってしまう。
なにせ、ノアの息子とルカの娘なのだ。
これが運命と言わず、なんと言おうか。
今はまだ空っぽで純真な心も、イリダータで過ごすうちに、色んなものでいっぱいになるだろう。
そのとき、ソラがどんな子に育つかは、ソラ次第であり、まわりの環境次第だ。
だから、ミュールは見守る存在であろうと思う。
今はまだ……。
だけど、いつか託せるときが来たら、託そう。
だからどうか、その時までは、今だけは、ソラを独り占めしても罰は当たらないだろう。
「手を繋ぎましょうか、ソラ」
「うん」
嬉しそうに手を伸ばすソラ。
その小さく、でも力強く掴んでくる手を、ミュールは微笑ましく思うのだった。




