第四話 標の光(6)
もはや何も考えられなかった。
ただ目の前の男を倒す。それだけだった。
「まずは小手調べといきましょうか」
男が下ろしていた刀を振り上げる。
常人には不可視――だが、ソラには見える。
禍々しい黒を含んだ緑色のオーラで形作られた風の刃が、超速で飛来する。
それを、ソラは伸ばした右手で弾いたのだ。
ソラの右手は、男の刀から発せられるオーラと同じくらい――いや、それ以上の黒と緑の混じり合ったオーラを発していた。
風の刃は防げない。
だが、同じエレメント量をぶつければ、相殺はできる。
「素晴らしい」
男は自らの攻撃を防がれたというのに、嬉々としていた。
「では、次は少々本気を――」
男の言葉は最後まで続かなかった。
男は、ソラが自分と同じ刀使いであることを知らなかった。
楓がソラに叩き込んだ風のエレメントは特殊で、風を使い、自身の身体能力を高めることにあった。
体の挙動を風によって促す――追い風を使うのだ。
その操作が精密に、そして強さを増すほど、まるで人間離れした動きを可能とする。
これと刀を用いた抜刀術を組み合わせ、目にも止まらぬ速さで相手の懐に跳び込むと同時に刀を抜き、相手に斬られたことすら感じさせない間に命を絶つ。
今のソラは刀を持っていない。
それでも目にも止まらぬ速さで動くことはできる。
ジズと名乗る男は同じ刀使いであり、その身体能力も、そしてそれに対する動体視力も超人の域に達していた。
だが――気づけば男は、ソラの小さな手を胸に押し当てられていた。
厳密には、ソラの手は男の胸に密着してはおらず、わずかに隙間が空いていた。
そしてその隙間には、集めに集めた風が限界まで圧縮されており、そして――解き放たれた。
不可視の爆発――解放された風が、男を形作っていた闇を切り裂き、一瞬にして霧散させた。
「これは、なんと――」
遅れて聞こえた男の声が、空気に溶けるようにして消えた。
「ジズが――」
レヴィが、消えたジズの方を見やる。
代わりに立っているのは、背中を向けるソラ。
「不完全ね。だったら!」
レヴィが、ミュールに向けていた水龍を方向転換させ、ソラへと向ける。
「ソラ!」
観客席のミュールたちが叫ぶ。
だが、ソラは背中を向けたまま。
ぶつかれば、その圧倒的な水の質量に全身の骨が折れ、内臓が潰れ、四肢が千切れ飛ぶ。
そんな大質量の水龍が、何の動作もなくソラが呼んだ土の壁によって防がれた。
「でかい!」
レヴィが驚嘆する。
土の壁が高く高く伸びていき、止まる。
その大きさを前には、水龍もまるで水鉄砲のようだった。
圧倒的な存在感を放つ土の壁が根元から割れ、倒れる。
「ちっ!」
レヴィはゆっくりと倒れてくる土の壁を前に、後退しようとする。
だが、動こうとしたレヴィは、足がまったく動かないことに、思わず足下を見た。
そして、足を模した闇が、地面から伸びる土に呑まれていた。
(動けな――)
闇の中にいて尚、影が差したような気がした。
レヴィが顔を上げると、目の前に土の壁が迫っており、為す術のないレヴィは、口元に微かな笑みを浮かべながら、土の壁に潰されたのだった。
※
「すごい」
フィリスが呟く。
疲弊しきったミュールが、顔を強張らせる。
その後ろに守られるようにして立つレイとエラは、何もできなかった。
ただ、逃げずに見守るだけ。それだけしかできなかった。
「あと一人」
フィリスの言葉に、全員が三人目の巨漢に向けられた。
二人の陰で、一切言葉を発さない寡黙な大男。
それが逆に、得体の知れない恐怖を醸し出す。
ソラもまた、最後の一人に体を向ける。
ソラから溢れ出る闇が、ソラ自身の姿を呑み込もうとする。
このままでは闇に完全に呑まれてしまう。
その濃度が、一人、また一人倒すたびに濃くなっていく。
二人は、まるで自らを贄にするかのように、ソラと戦い、敗れていった。
それならば、もし三人目をソラが倒したら――倒してしまったら……
ソラは、どうなってしまうのだろうか。
※
闇でできた巨体。
微動足りせず、じっと立ち尽くしたまま。
今のソラは、意識から切り離された状態に陥っている。
怒りに身を任せ、憎しみの限り力を奮い、目の前の恐怖を消そうとする。
それでも、ソラは動けなかった。
「まだ自我が残っている、か」
巨漢が低く呟く。
静かだが、その場にいた全員に響いた。
「動けないか……ならば」
巨漢が、ぐっと足を地面に踏み込ませる。
それと同時、ソラの周辺の地面から、細く先を尖らせた土が突き上がってきた。
串刺しになる寸前、風のエレメントをまとい、紙一重で避ける。
その避けた先を目がけ、また土の針が突き上がってきた。
それすらも高速で避けるソラ。
ミュールですらかろうじて動きが感じられる程度で、まず視認することは不可能だった。
先を読むような攻撃に、ソラは避けきれないと判断したものに対し、風をまとった手刀で断ち切っていった。
埒が明かないと判断したのか、ソラが巨漢との間を詰めようと、地面を蹴った。
ジズすら驚愕したソラの瞬足――だが、巨漢の地使いは、ソラが踏み込んだ瞬間、それを地面から感じ取り、まるで先を読むかのような行動を取った。
巨漢の眼前に土の壁が出現し、ソラはぶつかる寸前で止まった。
すぐに横へ回ろうとしたが、それすらも先を読まれ、左右から出現した土の壁がソラを潰そうと動いた。
闇に隠れたソラの表情が、かすかに歪む。
ソラは両手をそれぞれの壁に向かって伸ばし、潰されるのを押しとどめた。
だが、左右の壁の外側からさらにもう一枚の壁が現れ、ソラを潰そうとする壁を外側からさらに押し、圧力を増していく。
ソラの華奢な細腕が軋む。肘が曲がっていき、少しずつその幅が縮まっていく。
「やはり、我には及ばぬか」
巨漢が溜息にも似た声を漏らす。
「我を倒せるのは、あの女のみ」
ソラは足を広げ、両手両足をもって阻もうとする。
「童に、我は倒せぬ」
トドメ――そうするように、男が右手を差し伸ばし、まるで見えない何かを握り潰すかのように拳を縮めていく。
それに土の壁が呼応し、ソラをさらに押し潰していく。
そして、巨漢の拳が完全に握り潰すかのように閉じられると同時、二つの壁がぶつかり合い、轟音を響かせた。
観客席から悲鳴が漏れる。
そして静寂。
ミュールですら、動けない。
ぶつかり合った土の壁が崩れ、地面に還っていく。
そして、その場に残ったものは――なにもなかった。
巨漢が、初めて動揺に似た感情を露わにした。
いや、それは純粋な疑問。
だが、巨漢はふと感じた浮遊感にも似た妙な感覚に、納得した。
「なるほど」
巨漢の体が地面に沈んでいく。
まるで、そこだけ蟻地獄のように砂状となり、すり鉢状にへこんでいく。
そして、巨漢の背後――すり鉢の縁の外側に両手を地面に当てて片膝立ちをするソラの姿があった。
「土を砂状にして地中に潜ったか」
自らを納得させるような巨漢の呟き。
だが、地使いからすれば、土の中を移動するなど、まず発想すらできないことだった。
見る見るうちに巨漢が砂に呑まれ、そして頭の天辺まで砂に消えた。
終わった――と観客席にいたミュールたちは思った。
だが、ソラにとっては終わりではなかった。
最後に地面に広げていた手のひらを握りしめる。
その直後、砂の中で何かが爆ぜた。
圧縮された砂が、巨漢の闇を土のなかで霧散させたのだ。
地面からかすかに闇が漏れるも、そのほとんどが土のなかで消えていった。
「終わっ……た……?」
フィリスが呟く。
その言葉に、確信はない。
「いえ、むしろ――」
ミュールが青ざめた表情で唇を震わせながら、
「アレを復活させてしまった」
※
「ぐ――が、ああああああぁぁぁぁぁぁああああああっ!」
怒りや憎しみ――あらゆる負の感情の行き場をなくしたソラが吠える。
そのたびに闇が噴き出し、ソラを覆っていく。
それはソラの体を侵食し、肉体を奪い、その心さえも侵していった。
視界が少しずつ暗くなっていく。
何も考えられず、ただ壊すことだけに支配されていく。
闇が心を覆っていく。
暗い、暗い闇の底――【深淵】が呼ぶ。
その闇に、侵食されていく。為す術などない。
ソラが、ソラでなくなっていく感覚。
【深淵】と呼ばれた別のなにかに成っていく。
暗い、暗い、暗い――どっちが上で、どっちが下なのか。
右? 左? 分からない。
どこに行けばいい? どこに? どこに手を伸ばせばいい?
誰か、誰か、誰か――手を伸ばす。
その行為すら、闇に呑まれていく。
(誰か……)
わずかに残った心がひとりの存在を思い浮かべる。
オレンジ色の綺麗なロングヘアーの赤毛。
勝ち気で他人を寄せ付けない目。
自分こそが一番だと自負する態度。
だけど、誰よりも努力家で、誰よりも親切で、共に【虹使い】を目指すと約束した――
(カームさん!)
心が叫ぶ。
その瞬間、目の前に光が差した。




