第四話 標の光(4)
ロマノから溢れる黒い霧と赤いオーラとが混じり合い、禍々しい気配を発する。
観客席に向かって落ちる火球を、水路を流れる水が水使いによって宙への昇り、火球に向かって伸び、ぶつかり合う。
そこから大量の霧が発生し、辺りを覆っていく。
観客席は、対応できるエレメンタラーが何とかしてくれている。
それと同時に、火球が自分に向かっても落ちてくる。
観客席に気を取られてしまっていたカームは、初撃への対応が遅れてしまった。
咄嗟に横に飛び、競技場を転がると、直前まで立っていた場所に火球が落ち、爆発する。
「ぐぅ――」
競技場を転がり、全身が叩きつけられる。
熱は遮断できていたが、物理的な衝撃までは防げない。
それでも必要以上の怪我を負わずに済んだのは、ソラとの朝練のおかげだった。
少年との朝練には、組み手も含まれており、自分よりも体格の小さいソラに何度地面に叩きつけられたことか。
そうなった場合の対応も学んでいたが、正直、役に立つことなどないと思っていた。
だが、こうして現に役に立っているし、痛みに対しても怯まず、行動できている。
転がりざま立ち上がり、次々と自分に向かって落ちてくる火球を目視した。
(避けていてもきりがない。なら――)
ありったけの火のエレメントを集める。
火の手があちこちで上がっているため、今この場には火のエレメントが多く存在していることになる。
カームは迫り来る火球へと手を伸ばした。
赤いオーラが両手に集まり、濃度を増していく。
そして――落ちる火球を真っ向から受け止めたのだった。
「――っ! 重、い……」
衝撃に、体が潰されそうになる。
それを気合いで押し返し、根性で耐える。
自分を呑み込もうとする火球を受け止め続けるカームに、追撃が加わる。
「――っ! このぉ……」
もうひとつの火球がぶつかり、重さが増したのだ。
「まだ……」
押し返すように曲がりかけた膝を伸ばし、顔を上げる。
遮断しきれない膨大な熱量に、顔中から汗が噴き出す。
髪が肌に張り付き、息苦しさに喘ぐ。
視線の先に、両腕を空に掲げ続けるロマノを見据える。
さっきよりも黒い霧が濃くなっている。
ロマノ自身の姿が次第に消えていく。
それが、まるで闇に呑み込まれているように見えた。
三つ目の火球が落ち、思わず片膝をつく。
「まだ……まだ、よ――」
声を上げながら、三つ分の巨大な炎を持ち上げていく。
地面についた膝を再びまっすぐに伸ばし、少しずつ火球の炎を取り込んでいく。
「これまでの……お礼……よ」
そう言って、自分を押し潰そうとしていた炎を自らのエレメントで操り、巨大なひとつの火球を作り出す。
「受け、取り、な、さい!」
叫ぶと同時、ずっと受け止めるために突き上げていた腕をロマノに向かって振り下ろした。
巨大な火球が、ロマノに向かって飛んでいく。
空に向かって火球を飛ばし続けていたロマノは、その火球にすぐには気づかなかった。
だが、巨大な火球の膨大な熱と光によってその存在に気づき、突き上げていた腕を防御に回した。
だが、ロマノが向けた手によって火球が止まったのは一瞬だった。
圧倒的な質量で飛ばされた火球が完全に止まることはなく、ロマノはその火球に呑み込まれるようにして吹っ飛ばされた。
「はぁ……はぁ……」
膨大な量のエレメントを消費したため、全身が疲弊していた。
これほどまでの消費量は、幼少時代に父から受けた特訓以来だ。
本当なら倒れて寝転がりたいくらいだが、それはできない。
仰向けに倒れ込んだロマノはぴくりとも動かない。
(終わった……?)
気を緩めてしまいそうになる。
だが、その直後、異変が起こった。
それまでと比べものにならないほどの黒い霧がロマノから吹き出てきたのだ。
「ぐがぁぁぁああああああっ!」
ロマノが悲鳴を上げる。
際限なく溢れ出る黒い霧が空を覆っていく。
その異様な光景に、カームもただ見ていることしかできなかった。
黒い霧は円形闘技場に蓋をするように空を覆うと、空間を真っ暗にした。
「カームさん!」
自分を呼ぶ声に、顔を上げる。
そこには、観客席の縁から身を乗り出すソラがいた。
他の観客は避難したのか、観客席にいたのはソラにフィリス、それにソラの同学生であるエラとレイ、それに学長のミュールのみ。
「ソラ、無事?」
「僕は大丈夫です。それよりも……」
そう言って、ソラが黒い霧を見上げる。
「ええ、これはもしかして……」
「カーマイン!」
観客席の階段をおりてくるミュールがソラの横に立つ。
「学長」
「そこをすぐに離れなさい! あれは――」
空を覆う黒い霧が胎動するように動いた――いや、蠢いた。
そして、黒い霧から産み落とされたかのように、黒い塊が黒煙を伴って競技場に落ちたのだ。
三つの黒い塊が、カームを囲むように三角形を成す。
「な、なにっ……?」
まるで取り囲むようにして立つ黒い塊。
その黒い塊が輪廓を成していく。
それは黒い霧で人を形作ったような、まるで黒い外套を目深に被っているように見えた。
人と分かるのは、口元のみ。
「やっと見つけたわ」
黒い霧の外套を纏った一人が呟く。
その声音は女性のそれだった。
「幾星霜、待ち続けたことやら」
二人目は長身痩躯で、口調が独特だった。
「我が主よ」
三人目の巨漢が、手を差し伸べる。
その手の差し伸べる方向――そこにいたのは、ソラだった。
当のソラは困惑したような表情で、言葉を発することができなかった。
「あなたたち……何者なの?」
巨漢の注意をソラから引こうと、カームは声を上げた。
答えたのは巨漢ではなく、長身痩躯の男だった。
「私はジズ、とでも名乗っておきましょうか。彼女は……そう、レヴィ。そしてこちらの彼はベヒモス。我々は【深淵】に仕える者――あなたたちには闇の使徒と呼ばれていましたか、はて?」
首を傾げて見せる長身痩躯の黒い霧。
態度や口調は優男のそれだが、感じる気配が普通じゃない。
「カーマイン! 今すぐ逃げなさい! ソレは、あなたが敵う相手じゃないわ!」
学長が、縁から身を乗り出す勢いで叫ぶ。
「あらあら、誰かと思えばミュールじゃない」
黒い霧の女が首だけ振り返り、ミュールに顔を向ける。
「随分老けたわね。相変わらず独り身なのかしら?」
「あんたこそ……あの時、確かに殺したはずよ」
唯一見える口元に妖艶な笑みを浮かべる女に対し、ミュールが明確な敵意をもって睨みつける。
――殺した?
そんな言葉が学長の口から出たことに、カームは驚いた。
だが、ミュールは大戦の英雄。
そして、カームたちの世代は知らない。
戦争とは、人を殺すことだと言うことを。
「ええ、文字どおり私は死んだ。あんたに肉体を滅ぼされた。だけど、この煮えたぎるような憎しみまでは消えなかった。私たちは闇そのものと化し、待ち続けた。再び【深淵】が復活する、この時を!」
女が仰々しく両手を空に掲げる。
それに応えるように、闇の濃度が増していく。
「そうはさせない。もう一度、この手で――」
「できるかしら? 光は死んだ」
「――っ!」
「もう【深淵】を消すことは誰にもできない。私たち自身も肉体を失い、闇と化したことで不死となった。もう、誰にも止められないわ。世界は再び闇に満ち、争いが跋扈することになる。嗚呼、なんて甘美なのかしら」
自分の体を抱きしめるようにして体を震わす女。
「【深淵】は目覚めた。あとは、完全なる覚醒を促すだけ」
「させないわよ!」
ミュールが右腕を水平に伸ばし、ソラを守る。
「ソラを――私たちの息子を、絶対に渡したりしない!」
ミュールの宣言に呼応するように、青いオーラが爆発的に噴き出す。
そして、守るようにして伸ばした手を女に向け、
「九頭龍!」
ミュールの叫び。
その呼び声に応えるように、競技場の水路から九つの龍を模した水龍が天に向かって昇っていった。
「これが【水龍】の九頭龍」
見上げるカームも驚愕した。
いまだミュール・ミラーのみ達することが可能と言われている九頭の水龍。
九頭つくり出すだけでも超人の域だが、それをすべて使役することは不可能とまで言われている。
故に、それを可能としているミュールは名実共に最高の水使いと言われており、その由来となる【水龍】の名を最高位として冠しているのだ。
だが――
「大戦時の私と同じだと思わないことね!」
レヴィが嬉々と叫ぶ。ミュールの前に現れた九頭龍と向かい合うように、競技場の反対側から巨大な一頭の水龍が現れた。
九頭龍の一頭分よりも太く大きい。
「闇の力を得た私は、今のあなたよりも強い! それを証明してあげる!」
ごうっ、と禍々しいオーラが女から発せられた。
水使いを表す青、そして黒。
その二つが重なるようにしてレヴィの全身から湧き上がる。
女が手のひらをミュールに向ける。
レヴィの使役する水龍が競技場の真上を通過し、九頭龍に向かって行く。
「あんたなんかに、私は負けない!」
ミュールもまた九頭龍を動かす。
全員の頭上で、圧倒的な質量を伴った水の塊がぶつかり合う。
雨にしては大粒すぎる水の塊が競技場に降り注ぎ、地面に叩きつけられる。
レヴィの水龍が、九頭龍の一頭にぶつかり、潰す。
その間に九頭龍の他の頭がレヴィの水龍の側面にかぶりつくようにぶつかり、水を四散させていく。
あたかもお互いを食い殺そうとするかのように見える戦いは、あまりに壮絶で、エレメントを戦いに使うということに対し、ほとんど経験のない世代の者たちにとっては、まさに未知の、そして恐怖すら感じさせる光景だった。
だが、これは大戦時ではむしろ日常のことで、毎日数え切れない数のエレメンタラーが命を落とし、そして命を奪っていったのだ。
それを目の前にしたカームは、唖然と見上げるだけだった。
「いやはや、相変わらず彼女は血の気が多い」
痩躯の男――ジズが、やれやれと言った口調で見上げていた。
気が抜けているのか、口がぽかんと開かれている。
(今だ!)
それは自分を奮い立たせるためでもあり、チャンスでもあった。
指を鳴らして炎を生み出し、それを両手で覆い、火球を形作ると、そのまま痩躯の男に向かって放った。
一直線に飛ぶ火球はしかし、直撃する直前で真っ二つに割れた。
「え……」
呆気にとられるカームに、ジズが顔を向ける。
「おやおや、不意打ちですか? いけませんねぇ、勝負は正々堂々でなければ」
ジズの全身から緑と黒のオーラが発せられる。
高々と空に伸ばす右手には、いつの間にか何かが握られていた。
それは、風の国の東の果てにある島国でのみ使用されている刀と呼ばれる武器だった。
(まさか、私の火球を、あの刀で……)
男から発せられるオーラも尋常ではないが、その刀から溢れ出るオーラは、控えめに言っても異常だった。
あまりにも濃すぎる。
あんなにも濃縮されたオーラなど、存在するだけで異常だ。あんな刀をひと振りでもしたら――
「カームさん!」
ソラの声。
「悪い子には――」
突き上げていた刀を、ジズが軽い動作で斜めに振り下ろす。
全身が、総毛立った。
本能が恐怖を感じ、体が防衛しようと勝手に動く。
「避けて!」
「お仕置きです」
ソラと男の声が重なり、しかしカームは炎の壁を眼前に作り出すも――
(あっ……)
目の前の炎が真っ二つに斬れた。
開けた視界の先――カームと男との間の地面が、まるで地割れを起こしたかのように割れていた。
いや、斬れていたのだ。
カームは急に膝が折れたのを感じた。
地面に膝を付き、そこで理解した。
(わ、私……)
顔を下ろし、自分の胸を見やる。
右肩から左脇に抜けるようにして切れ目の入った制服。
その線に沿うように赤い染みが広がり、カームは地面に仰向けに倒れた。
その直後、まるで思い出したかのように血が吹き出した。
(私……斬られた……んだ)
「手加減はしました。ゆっくり恐怖と絶望を味わいながら死に絶えていきなさい」
殺そうと思えば殺されていた。
死んでいた――その恐怖に、カームは震えた。
腕どころか指も動かせない。
仰向けになった顔が、空を見上げる。
闇に覆われた上空では、相変わらず水龍が喰い合っている。
(ソラ……は……)
顔を上げ、観客席をどうにか見ようとするが、顔が上がらず、どうにか視線だけを動かす。
暗くなっていく視界の端に、すぐ隣にしゃがみ込むソラが映る。
その直後、少年から、彼のものとは思えないほどの絶叫が木霊した。




