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空使いとアルカンシェル  作者: 天瀬 智
第三章 疾風の来訪者
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第四話 戦嵐豪雨(7)

 暴風が弱まり、豪雨がぱらぱらと小降りになる。

 そのなかで風子は、ただ茫然と立っていた。

「風子さん」

 ソラが近づくと、風子はまるで怯えた小動物のように肩を震わせ、後ずさった。

「来ないでくれ、少年」

 首を振りながら、後ろに下がる。

「私は……私は、とんでもない過ちを……」

「風子さんのせいじゃありません。ボクも、ほかのみんなも分かっています。闇が、風子さんの心を惑わしたことを」

「違う。そうかもしれないが、あれは間違いなく、私だった。私だったんだ!」

 風子が頭を抱え、体を震わす。

「そうです。あれも風子さんなんです。でも、誰だってそういった部分もあるんです。今回は闇に惑わされてしまったけど、強い心を持てば、次は惑わされることもありません」

 風子が下がるのに合わせて、ソラもまた、左手をそっと伸ばし、前に出る。

「そんなのには言い訳にはならない。私は、私は……あの人を刺して……」

「ミュールなら大丈夫です。それに、風子さんのことも許してくれます」

「どうしてそう言い切れる?! キミだって私を恨んでいるだろ! 決闘を一方的に申し込んできて、疎ましかったはずだ」

「ボクは、風子さんのことを疎ましくなんて思ったことありませんよ」

「そんなはず――」

「むしろ、嬉しかったです」

「うれ……しい?」

 ソラの言葉に、風子が目を見開く。

「東雲の……同じ刀使いで、まるでお姉さんができたみたいで……ボクに姉ができるなら、風子さんみたいな人はいいなって」

「私はそんなできた人間じゃない。醜い。自分で自分が、醜くて仕方がない」

 胸に握りしめた拳を押し当てる。

 心臓を掴めるなら、握りつぶしてやりたいと思うほどの感情を込めて。

「ずっと、私は強い人間だと思っていた。だが、それはしょせん井の中の蛙で、私は大海を知らず、キミに決闘を挑み、勝てると思っていた慢心から、負けた。自分こそが東雲の人間として正当な後継者だという驕りが、私を弱くした。そんな私に当主の座など相応しくはない。それに、この体たらく。もう、生きている意味などない。それでもソラ――キミは、私に死ぬことを許してはくれないのだな」

「はい」

 ソラが断言する。

「キミは二度、私を斬ることができた。だが、生かした。それが、私にとってどれだけ屈辱的なことが分かるか? おめおめと母の元に帰ることもできない。負けることは恥だ。そんな恥を晒すくらいなら、私は――」

「ボクは、今まで一度も、楓に勝ったことがありません」

「え?」

「楓から、風と刀を教えてもらい、特訓を受けるようになってから、いろんなことをしました。凄く些細なことも勝負事にして、一日に何十回って勝負して、一度も勝ったことがないんです。三年間、一度たりとも……です」

「それで……キミは……何とも思わなかったのか?」

「思いましたよ。悔しくて、泣いて、その繰り返しで……でも、やってるうちに楽しくなってきたんです」

「楽しく……?」

「そうです。楓と毎日毎日、どっちが先にテーブルの上に置いたものを取れるか。トイレに行こうとしたら先に入られたこともあったし、雨が降った時にどっちがより多くの洗濯ものを回収することができたかとか、本当にくだらないことを、楓はとにかく勝負事にして、ボクを毎日楽しませながら鍛えてくれました。最初は意識しないと使えなかった風のエレメントが、いつの間にか自然と体に纏うことができるようになって、どんなに唐突な勝負事でもすぐに動くことができるようになりました。それでも、楓には勝てませんでした。こっちから勝負事をしかけても、結果は変わりませんでした。一度も勝てなかったけど、気が付けば、勝ち負けなんてどうでもよくて、それよりも楓と毎日を楽しんでいたことの方が、ボクにとっては大切なことで、そうやって楓はボクを、今のボクにしてくれたんです」

「勝ち負けが……関係ない……?」

「風子さんも、一度や二度で諦めないでください。ボクはいつだって風子さんの勝負を受けますよ。こんな決闘という形だけでなく、どんなに些細でくだらなことでも、何でもかんでも勝負事にして、楽しみましょう。そうして、お互いに高め合うんです。ボクも風子さんもまだまだなんです。だって、ボクたちの上には、楓がいるんですよ。風子さんも、ボクなんかで満足してちゃ駄目なんです。もっと、もっと、もっともっともっと上を目指すんです。空は限りがあるけど、まるで無限のように広がっている。終わりなんてないんです。ボクたちは、鍛えて高めて、上を目指す限り、のぼっていくんです。だから、躓いたからって止まらないでください。歩くことをやめないでください。もっと、上はあるんです。一緒にのぼりましょう。そうすれば、いつか勝てる日が来ます。そのとき、風子さんは誰よりも強くて、誰にも負けない、誰もが憧れる存在になってます」

 後退する風子の踵に、コツンと固いものが当たり、思わずバランスを崩してしまった風子は、泥水に尻もちをついた。

 そうして、足下を見ると、そこには――

「私の……刀……」

 ソラに弾かれた、愛刀だった。

 さっきまで使っていた『音無(おとなし)』と呼ばれる刀は、ソラによって折られた。

 だが、この刀は折れていない。

「その刀は、本当にいい刀です。きっと、風子さんのお母さんは、風子さんのことを想いながら鍛えたんだと思います」

「私に……この刀を再び使う資格なんて……」

 手を伸ばそうとした風子が、その手を引っ込めようとする。

「資格なんて必要ないですよ」

 その声に、手が止まる。

「だって、それは風子さんのための刀だから。使うか使わないかは、風子さん次第です」

「私が……」

 他の誰も出ない。自分自身で決めなければならない。

 この刀を、手に取っていいのかどうか。

 少しずつ手が柄に近づく。

 だけど、近づけば近づくほど、手が震え、呼吸が苦しくなる。

 自分を許すということは、これほどまでに難しいことなのか。

 背負う必要のない、下ろそうと思えば簡単に手放せる罪の意識や後悔といったものを、自ら背負い、それを業とする。

 だが、それらを背負ってでも、なお前に進みたいと思うのならば、掴まなければならない。

 どんな恥も屈辱を受け入れ、母を落胆させたとしても、いつか超えてみせると宣言し、鍛錬を積み、高みを目指さなければならない。

「私は……」

 あとは、自分次第。

「私は……強くありたい!」

 だから、この刀を、今一度、掴む!

 手に持った瞬間、あまりの懐かしさに、涙さえ浮かんできた。

 『音無(おとなし)』は確かに風子に強さを与えてくれた。

 だが、与えられた強さには、意味がないのだ。

 自分の力で獲得した強さでなければ、それは身につかず、己の実にならない。

 与えられたものはしょせん一時のもので、しかし自分で身に付けたものは永遠となり、蓄積される。

「ごめん、手放してごめん。もう、これからはずっと一緒だ。一生、私の傍にいてくれ」

 掴んだ刀を胸に引き寄せ、愛しむように抱きしめた。

 目尻にたまった涙がこぼれ、刀身に落ちる。

 そして、それに反応するように、刀身自身が、淡い緑色に光ったのだ。

「これは……!」

 驚きに満ちる風子――だが、

「うっ……く、うぅ――」

 唐突に呻き、まるで痛みに耐えるかのように背中を丸めだした。

「風子さん!」

 ソラが慌てて近づこうとしたその風子の丸めた背中から、黒い霧が噴き出した。

「――! 闇……!」

 足を止め、噴き出す霧状の闇を見上げるソラ。

「ぐ、うぁぁぁぁぁぁ!」

 叫ぶ風子に反応するように、刀身がより強く緑色に光る。

「風子さん! 絶対に! 刀を離さないで!」

 ソラが叫ぶ。

 だが、自分ではない誰かの声が頭の中に直接響き、それを聞くまいと風子が叫んでごまかす。


 ――その刀を離しなさい。


 その声は、『音無(おとなし)』を使っている間に聞こえていた声だった。

 風子を闇へと誘う幻惑の声。

 この声に惑わされ、そして自分は愚かにも流されてしまった。

 力が欲しいという至極単純な欲求に付け込まれ、手を伸ばしてしまった。

 だが、もうこの声には騙されない。

 聞くべき声は、こいつではない。

 私が、聞くべき……聞きたい声は――


 ――風子さん!


 小さくも、雄々しく、


 ――絶対に!


 あどけなく、しかし誰よりも確固たる意志をもった、


 ――刀を離さないで!


 その少年の声が、絶対に離すなと叫ぶ。

 だから、風子は刀を握る右手だけに集中して、絶対に離すまいと強く握りしめた。

 自分の意思に反して刀を離そうとする指を、自分の意思を持って押さえつけ、逆に握りしめる。

 そして――

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――!」

 風子が叫び続ける。

 体から無理やり何かを引っ張り出されるような感覚に、風子はただ叫ぶことしかできなかった。

 そして、すべてが出終わると、風子はその場で膝をついた。倒れまいと刀の切っ先を地面に突き刺し、支えにする。

「ハァ……ハァ……ハァ……」

「風子さん!」

 ソラが駆け寄り、肩を貸してくれた。

 そして、ソラが上を見上げると、風子もそれに従い、同じ空を見上げた。

 その上空で、黒い霧が集合し、そして――

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