第四話 戦嵐豪雨(8)
黒い霧が人の形を形成していく。
――いやはや、まさかそう来るとは思いませんでしたよ。
長身痩躯に長髪のポニーテール。
闇で構成されているが、浴衣を着崩しているようにソラには見えた。
「ジズ!」
――おや、私だとバレていましたか。
その声は、誰の口から発せられたものでもない。
だが、目の前の闇から聞こえているのは確かだった。
どこか飄々とした軽い口調。
だが、この声から感じるのは、冷徹非道な男の残虐性。
この男は、間違いなく笑顔で人を斬る。
そして、その笑みを深くするのだ。
「やっぱり、お前だったんだな!」
ソラが叫ぶ。
二ヶ月前、闘技場でソラたちを襲った闇の使徒のひとり――ジズ。
風使いにして、刀使い。
――覚えていてくれたとは……これはこれは、光栄なことで。
「よくも風子さんをたぶらかしたな」
ソラは、その闇に向かって睨みつけた。
――たぶらかさす? いやはや、まさか、とんだ言いがかりですよ。彼女は求めたのですよ。力を……そして私の声に応えた。これは彼女の意思なのです。
「そう仕向けただろ!」
――私の『器』となるに足る実力を持っているか否か。それが知りたかったのです。彼女は、適正だけでいえば、他にいないほどの逸材です。なにせ、東雲と南雲の《《両方の》》血を継いでいる。あとは、人を斬るだけ。それだけで、彼女は私を受け入れる。
「そんなことはさせない。絶対に誰も殺させない。だって……東雲の刀は、守るためにあるんだから」
――ええ、ええ、なんとも愚かな教えです。刀は殺すためではなく、守るため? まさに笑止千万。刀とは人を斬るために造られたもの。それを守るため? しかも、自分ではなく、大切な者のためと? クハハハハ、だから、東雲を離反し、南雲などが生まれたのです。もっとも、そのおかげで私は、好きなだけ人を斬ることができたのですがね。
「笑いたければ笑えばいい。ボクは、その教えを貫く。お前を倒して、みんなを守る!」
――ほぅ、威勢がいい。しかし、できますか? 殺さず、倒すと? キミが? 私を?
瞬間、その場の空気が凍り付いたかのような、異様なまでの殺気に、ソラは全身に悪寒が走るのを感じた。
「できる!」
――では、私を楽しませてください。
ジズを形作る闇の右手から、延長するかのように闇による刀がつくられる。
そして、闇と緑が綯い交ぜになった禍々しいオーラが曇天の夜空よりもなお濃く沸き上がるのだった。
※
「学長!」
その声に、ひたすら集中していたフィリスは、顔を上げた。
そこには、保健医のコーデイが立っていた。
「状況は二人から聞いたわ」
そう言ってフィリスの向かい側に膝をつく。
その二人――エラとレイが遅れて控室に入ってくる。
息を切らし、控室に入るなり地べたに座り込む二人に、フィリスは心のなかで、ありがとうを言った。
口で言う余裕はなく、気づけば口の中が乾ききっていた。
コーデイが来るまでの間、フィリスはずっと止血につとめていた。
「あとは任せて」
コーデイが両手を近づける。
それを確認したフィリスは、そっと手を引いた。
そこに、交代したコーデイの手が傷口に当てられると、まばゆいほどの青のオーラが発生した。
(すごい)
コーデイは、イリダータ・アカデミーでは保健医の肩書だが、大戦時にはミュールと同じ班に属し、そこで医療を担当していたのだ。
当時の戦場は酷く、コーデイはそこで何度も班の仲間を助け、傷ついたものは敵でも手当をしたという。
そのおかげか、コーデイの医療技術は他の者よりも格段と上がり、どんな外傷でも冷静に、そして適格に治療を施せるようになった。
助けた敵と再び相まみえたとき、向こうから身を引いてくれたこともあったという。
コーデイという人間は、水使いの医療技術の第一人者であり、人格者でもあった。
本来ならば、本国でどこぞの席を用意されていてもおかしくはないが、ミュールの引き抜きの話を最後まで聞かずにあっさりと了承し、設立当初からのメンバーのひとりとなり、ミュールが絶対の信頼を置く人物でもあるのだ。
「ミュール――あなたをこんなところでは死なせないわ!」
学長ではなく名前で呼ぶコーデイに、事の深刻さがうかがえる。
そして――コーデイの指示の下、縫合やガーゼを貼って包帯を巻くなどを補佐し、
「なんとか命は繋ぎとめたわ」
ふぅ、と安堵の息を吐き、コーデイが地べたに尻をつく。
「本当ですか!」
「ええ」
「よかった」
エラとレイを労っていたクリスが、二人と抱き合う。
フィリスも、カームと視線が合うと、疲れ切った表情に口元だけ笑みを浮かばせた。
カームもまた、ふっと笑い、大きな息を吐いていた。
「みんな、本当によくやってくれたわ。特にフィリス」
「は、はい」
突然名前を呼ばれ、思わず背筋を伸ばす。
「あなたの指示があったからこそよ。ありがとう」
肩に手を置かれ、よくやったと頷いて見せるコーデイに、フィリスは涙が浮かび、何度も「はい」と言いながら頷いた。




