第四話 戦嵐豪雨(6)
控室内にミュールを運んだ三人。
カームとクリスがゆっくりとミュールを床に下ろす。
「レイ、エラ――二人はすぐにコーデイ先生を呼んできて!」
「は、はい!」
ミュールの姿を見るなり動揺していたエラの肩を叩いたレイが、「行くぞ!」と背中を押して、一緒に控室を出ていった。
「フィリス、私たちは何をすればいい?」
カームが指示を仰ぐ。
クリスも、フィリスに視線を向けてくる。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。
ここで下手な指示を出せば、学長を死なせてしまう。
それだけは絶対に避けなければならない。
思い出せ。
水使いは医療に長けており、フィリスも大戦時の体験をミュールやコーデイから何度か聞かされたことがあった。
それを思い出し、そして整理する。
「クリスは清潔なタオルを探してきて。医務室にあると思うわ」
「はい!」
ここから医務室への道順を教えると、クリスが飛び出していく。
「カーム、ここで火のエレメントは使える?」
「え、ええ」
「学長の体温が下がっているから、温めてほしいの」
「や、やってみるわ」
常に冷静沈着なカームも、このときばかりは自信を持てない様子だった。
ミュールに手をかざすカーム。
その手首をフィリスはぎゅっと握りしめた。
「カーム、やるのよ」
そう言って、不安げに瞳を揺らすカームを見据える。
「私たちならやれる。助けられる。だから、やるの」
「……分かった」
今度の受け答えは、しっかりとした意思が込められていた。
カームがミュールの胸部に手をあてがう。
そして、瞼を閉じると、手の甲からわずかだが赤いオーラが出ていた。
「学長の体温を上げる。フィリスは?」
「止血する」
そう言って、ミュールの服をまくり上げ、腹部を露にした。
本来ならば、色白の肌が見えたはず。
だけど、いま目の前に見えるのは、大量の出血により病的なまでに白くなった肌が血で汚れ、そして、まっすぐに縦の裂傷が走り、皮膚が口を開いていた。
思わず、フィリスが顔を背けるが、すぐに戻す。
「フィリスさん、ありました」
戻ってきたクリスが白いタオルを掲げて見せる。
「ありがとう」
受け取ったフィリスは、それをすぐに傷に押し当て、
「クリス、強く押さえていて」
「はい」
片手をどかし、クリスが代わって押さえると、もう片方の手も放し、クリスに任せた。
そしてフィリスは、クリスの手の上に手の自分のひらを重ねると、呼吸を整え、ゆっくりと青のオーラを大きくしていった。
「お願い、止まって……」
傷口にエレメントを送り込む。
人の体の半分以上は水で構成されている。
それは、水使いならば常識のこと。
そして、血もまた広義には水と言える。
ならば、全身を循環する血液を制御することも事実上は可能なのだ。
この分野での技術の発展により、水の国は医療分野が盛んになり、他の三国よりもずば抜けて進んでいた。
戦場での負傷における対処は、まずは止血から。
そもそも戦場での医療行為は死なせないための処置であり、治療ではないのだ。
多くの命を救えなかったと、コーデイは言っていた。
その現実を突きつけられ、救えないことに自責の念を抱き、戦場での現実を目の当たりにした医療班は、心を閉ざすか、もしくは狂ったという。
(止まれ! 止まれ! 止まれ!)
心のなかで願いながら、ミュールは何度も何度も叫んだ。
傷口の血流は止めて、脳や臓器には滞りなく血液を循環させる。
だが、それは思った以上に困難で、どうやっていいのか、そもそもフィリスは明確な対処法を学んでいなかった。
それでも――やるしかないのだ。
カームもまた難しい表情しており、ミュールの命がフィリスに重く圧しかかるのだった。
※
再びの決闘。
だが、今度は条件が違う。
ソラは受けの一手ではない。
向こうの条件が先に揃えば、躊躇なく抜刀してくるだろう。
この決闘において、対立する二人が同時に斬り込むということはない。
相手の体勢、肉体の動き、体つき、呼吸、視線、そして心――それらすべてを観察し、斬れるという確信を得るまでは絶対に斬り込まない。
それが、東雲流抜刀術『二ノ太刀不要』であり、故に条件が揃えば必殺の一撃となるのだ。
そして、東雲の当主の座を争うこの決闘において、後手に回ったものは、その瞬間を見極め、迎撃しなければならない。
先手を取ったものは、相手の懐に入るまでに時間を要し、迎え撃つ後手は、移動をする時間が省かれる。
先手は、相手が自身が動いたことに気づいて刀を抜くよりも速く、相手の間合いに入り、刀を抜かなければならない。
そして後手は、先手よりも速く抜くことができれば、返り討ちにすることができる。
つまり、先手が必ずしも有利というわけでもないのだ。
むしろ、高度な心理戦を得意とするものがいたならば、あえて相手に先手を取らせるような挙動をし、迎え打って斬ることもある。
だが、ソラがそんな人間ではないことは、この一週間で理解している。
故に、ソラは条件が揃えば必ず先手をとる。
そう、そこを待ち構え、迎え撃てばいいのだ。
激しい雨が全身を打ち、濡らし、体を冷やし、体の動きを鈍くさせる。
横なぶりの風が、体の挙動を不安定にし、目に雨粒をぶつけてくる。
それでも、風子も、そしてソラも瞬きひとつせず、じっと相手を窺っていた。
今の風子は、負ける気などしなかった。
この刀を手に取った瞬間、確かな力を感じた。
この力ならば、今度こそソラに勝つことが……いや、斬ることができる。
体が疼く。
早く斬らせろと、心の中で自分じゃない誰かが焦らす。
だが、そんなことをすれば本末転倒で、待っている結末は、ソラに斬られる自分の姿。
それでは駄目なのだ。
勝たなければ。
そして、当主の座と、『千鳥』を手に入れるのだ。
そうすれば、母は喜んでくれる。
風子は、自分と母以外に誰もいない大きな屋敷で、女手ひとつで育てられた。
来る日も来る日も鍛錬、鍛錬、ひたすら鍛錬を繰り返し、今日まで来た。
そう――すべては今日、この瞬間、勝つためなのだ。
今の風子では、ソラには勝てない。
だが、この『音無』があれば、勝てる。
力が湧いてくる。
心に囁いてくるのだ。
すべてを斬れと。
一人でも斬れば、あとは何人でも斬ることができる。
そのきっかけを早く味わうのだと。
それは至極の悦びで、癖になるという。
あのとき見せつけられた自分のものではない記憶が甦る。
これは誰だ?
誰の記憶だ?
これだけの人を斬り、そして嗤っていた。
斬るということが目的のための手段ではなく、それこそが目的となった、堕ちに堕ちた存在。
その存在の愛刀『音無』。
これさえあれば、ソラすらも超えられる。
それを証明する。
母の造った刀は確かに扱いやすい。
まるで体の一部で、幼いころに与えられ、それこそ寝食を共にするほどだった。
手入れだって、一日たりとも欠かしたことはない。
家族なのだ。
だが、それも力を与えてくれなければ意味がない。
この『音無』のように、握っただけで感じることができるほどの力でなければ。
ソラも楓も、母が造った刀を褒めていた。
だが、それが風子には分からない。
良い音がするからなんだというのか。
そんなもの、それこそただの風切り音で、この『音無』でも鳴るはずだ。
証明してやる!
絶対に、ソラを……斬る!
そして、二人の間に雷鳴が轟いた。
雷光が闘技場全体を白く照らした瞬間、その場からソラが消えていた。
そこからは、もはや考えて行動するという領域ではなく、すべてが実践と経験によって培われた肉体が本能――もはや反射で動くだけだった。
ソラが刹那の間で迫る。
だが、風子は迎え撃つ準備をしていた。
そして、ソラが懐に入ったところを予測し、寸前で刀を振り下ろした。
ソラがぐんぐん接近してくる。
あと五歩、四歩、三歩、二歩、い――
(何っ!)
それは風子の虚を突くには十分すぎるほどに予想外の行動だった。
あと一歩――そう思ったところでソラが踏み込んだ足を地面に縫い付けたかのように固定し、そして抜刀してきたのだ。
(馬鹿なっ! この距離では!)
そう、風子を斬ることはできない。
それが分かっていながらも、風子は感覚に身を委ねていたため、迎え打つ形で刀を振り下ろしてしまっていた。
風子とソラとの間には、人ひとり分の空間が開いており、そこを風子とソラの抜き放った刀が走る。
(――! まさかっ!)
ソラの意図を理解した瞬間、風子の脳内に何か得体の知れないものの声がはっきりと響き渡った。
そして、『千鳥』と『音無』がぶつかり合う。
元来、刀というものは、刀同士がぶつかるということはなく、東雲流抜刀術においては皆無である。
そして、刀使いが使用する刀の素材は、同じもので、故にその硬度もほぼ同一で、そんな同じもの同士がぶつかり合えばどうなるか。
――キィィィィィィ……ン。
振り下ろした風子と、抜刀し終えたソラ。
お互いに傷ひとつなく、だが、風子の表情は大きく目を見開いていた。
二人の間に、ぶつかり合った位置から真っ二つに折れた刀の切っ先が宙を舞う。
それを茫然を見つめる風子の手から、刀の柄がするりと抜け落ちるも、地面につく前に黒い靄と化し、そして消えた。
同時に、宙を飛んでいた切っ先もまた、地面に落ちる前に黒い靄となって消えたのだった。




