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空使いとアルカンシェル  作者: 天瀬 智
第三章 疾風の来訪者
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第四話 戦嵐豪雨(4)

 見上げる者と見下げる者。

 腹部の傷を押さえるながら泥水に膝をつくミュールと、代わるようにして立ち上がる風子。

 闇、暴風、豪雨、雷光、雷鳴――極限の環境で戦った二人のエレメンタラー。

 それを見ていた者たちは、万に一つでもミュールが敗れるなど思っていなかった。

 そして、その万に一つが現実となって、見守っていた者たちに絶望を与える。

「……うそ」

 目の前の光景が信じられず首を振るフィリスが、無意識に呟く。

 フィリスにとっての憧れであり、目標でもあったミュール・ミラーが地に伏し、膝をついている。

 あの、圧倒的なまでの戦闘で風子を追い込んだはずなのに、刀を風子の手から引き離そうとした瞬間、目も眩むような雷光に視界を奪われ、そしてミュールが刀で刺されていたのだ。

 本人でさえ反応できなかったことを、周りの者たちはなおさら、何が起こったのか理解できなかった。

 立ち上がった風子が、刀をゆっくりと振り上げる。

 それが何を意味しているのか、フィリスはすぐに分かった。

「や、やめてぇぇぇぇぇぇ――」

 声のかぎり、喉が潰れても構わない。

 フィリスは、暴風雨にも雷鳴にも負けない気持ちで叫んだ。

 風子が刀を振り下ろす。

「――ぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 フィリスの叫びは止まらず、声を出し続ける。

 喉がちくりと痛み、声が途切れ途切れになる。

 それでも、フィリスは叫んだ。

 この声が、思いが、誰でもいい。

 止めてくれるのならば、なんだってする。

 だから――

「けほっ――ぅ……」

 咳き込み、声が止まる。

 そして正面を見据えると、そこには信じられない光景が広がっていた。

 刀を中途半端な位置で止める風子。

 だが、その風子の表情は険しく、本人は振り下ろそうとしているのに、見えない誰かが手を掴んで振り下ろさせまいとしているように、力と力とがぶつかり合い、拮抗していた。


            ※


 かつて闇の使徒を倒し、のちに四英雄として称えられたエレメンタラー。

 その大陸最強の水使いが膝をつき、成す術なくただ自分を見ていることしかできない光景に、風子それは震えていた。

 強者との戦いこそが、至高。

 四大戦争時にはエレメンタラー殺しと恐れられ、誰一人として自分には敵わず、誰もがまるで無抵抗のように死んでいった。

 そのころにはすでに心が闇に染まり、しかしそれに呑まれることなく、むしろそれを糧とし、さらなる力を手に入れていた。

 しかしそれは、あまりの圧倒的な力量差を生んでしまい、すべてがつまらなく、気がつけば強者を求めてさまよい、そして帰郷していた。

 そこで、南雲の人間を片っ端から斬りかかり、呆気なく全員を屠ってしまった。

 あまりのつまらなさに、そのまま東雲の屋敷に向かった。

 そこは最後の砦あり、ここに強者がいなければ、もう自分を満足させてくれるものはいない。

 だが、東雲には歴代最強と謳われる東雲楓がいる。

 自分を満足させてくれるのは、やはり彼女しかいない。

 だが、そこに東雲楓はおらず、結局は、誰も自分には敵わなかった。

 探すのも手間だと思い、身ごもっていた女をあえて生かし、伝言役にした。

 それから再び大陸へ戻ると、そこで殺しの限りを尽くした。

 殺して、殺して、殺して、殺して、敵も味方もない、どこの国であろうと、向かってくる者は全員斬り、斬って、斬って、斬って、斬って、斬りまくった。

 斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って――


 自分のものではない、誰かの記憶が鮮明に流れ込んでくる。

 風子ふうこは、それをまるで追体験するかのような感覚に、本当に自分が人を斬っているような感覚に襲われ、そのあまりの衝撃に、気持ち悪くなり、今にも吐き出してしまいそうだった。

(なんだ……今のは……)

 自分じゃない誰かが頭の中にいるようで、ゾッとする。

 このまま記憶を見せつけられ続ければ、まるでそれが自分の記憶と勘違いしてしまいそうで、怖かった。

 この記憶は、一体何人、何十人――いや、何百人という人々を斬ってきたのだろうか。

 その一人ひとりの悲鳴や、斬ったときの感触、血の温かさ、そして――心の奥底から沸き上がる、愉悦。

 これは自分じゃない。

 自分の記憶なんかではない。

 それなのに、本当に自分が殺めたのだと思ってしまう。

 そもそも、そう思い込んでいること自体が逃避で、本当は、自分がやったんじゃ……いや、違う!

 ミュールに問われた言葉。

 東雲風子なのか、と。

 なぜそんな当たり前のことを聞かれなければならなかったのか、そもそもどうしてそんなことを聞くのか。

 だが、それが本当に自分の頭のなかに誰かがいて、そしてそれをミュールが知っているから、聞いてきたのではないか。

 目の前で膝をつくミュール。

 これは、自分が望んだことなのか。

 いや、望んだことだ。

 自分は四英雄よりも強いことを証明したのだ。

 だが、これは自分の意思なのか?

 そうに決まっている。

 自分以外の誰がいる?

 こうしてミュールに刀を振り下ろそうとしているのは自分なのだ。

 ならば、自分以外にいない。

 ただ振り下ろせばいいだけ。

 そうすれば終わる。

「……」

 何が終わるというのだ。

 そもそも、誰が自分に声をかけている?

 耳からではない。

 頭の中に、自分の思考だと思っていたことが、誰かの囁きだった。

 それを自分の考えと勘違いし、その通りに動いていた。


 ――さぁ、刀を振り下ろして終わらせなさい。


 自分ではない誰かの存在を感じ取った瞬間、その声がはっきりと聞こえた。


 ――今更、何を躊躇うのですか? あなたはすでに刺しているのです。さぁ、トドメをさしてさしあげましょう。


 まるで楽しそうに、声が誘う。


(違う。私はこんなこと、望んでいない!)


 ――おやおや、力を求めたのはあなたなのですよ。そして、あなたとの親和性が高い私が、わざわざ『音無(おとなし)』を差し出したというのに、いやはや、困ったものです。


(私が望んだのは、こんなことじゃない!)


 ――ククク、それこそ、何をいまさら。刀とは人を斬る武器なのです。あなたは幼いころからずっと鍛錬を積み重ねてきたじゃないですか。それもこれも、すべて今日という日のため。さぁ、斬るのです。そうすれば、あなたは生まれ変われるのです。


(私は、人を斬りたいなんて思ったことない!)


 ――では、なぜ決闘を? 当主の座? 宝刀『千鳥(ちどり)』? いやいや、どれも違いますねぇ。あなたは、決闘と称して、ただ人を斬ってみたかっただけなのです。尤もらしいことを言い、決闘を申し込み、正当な理由で人を斬りたかったのですよ。


(違う! そんなこと、私は思ってない! 私は……私は……)


 ――では、あなたはなぜ刀を捨てなかったのですか? 人を斬る以外に、刀を使う理由などないのですよ。故郷にいては、誰も斬れない。本当は、実の母親もあまりに弱くて斬りたくてたまらなかった。


(違う! そんなことをない!)


 ――隠さなくとも、あなたのことは分かりますよ。ええ、あなたの心のすべては丸わかりです。あなたがずっとそれを我慢し、そして十八になり、決闘という名目で相手を斬れることを楽しみにしていたことも。


(違う! 違う違う違う!) 


 ――だが、自分こそが最強だと信じて疑わなかったあなたは、あまりの傲慢さに、あの東雲楓に斬りかかり、そしてあっさりと背後を取られた。あのときの気持ち、ええ、よく分かりますよ。悔しかったですか? いえ、違いますねぇ。なるほどなるほど、東雲楓が当主の証である宝刀を他の者に託していたことに安堵したのですね。そして、ふむふむ、いやはや、あなたの心は実に醜い。


(……やめ……て……)


 ――東雲楓に敵わないと分かって安心し、他の者ならば斬れると喜んだ。


(お願い……もう……)


 ――何を恥じるのですか?


(え?)


 ――結構なことじゃないですか。刀は人を斬るためにある。幼いころから母親に強制的に刀使いとしての道を歩まされ、なぜ刀を振るっているのかも分からない。あなたはずっと疑問に思っていたのでしょう? どうして――と。大戦時には、刀使いは誰もが当然のように敵を斬っていたのです。あなたのその感情も、なんら不思議なことではないのです。むしろ、至極当然のこと。火使いが炎で敵を焼き殺すのと、何が変わらないのですか? いいえ、同じなのですよ。大戦では誰もが当たり前のように誰かを殺していたんです。むしろ、今のこの世の中の方がおかしいのです。さぁ斬りなさい。恥じることも、臆することもない。これは、当たり前のことで、刀使いならば当然のことなのです。


(斬る……私が……)


 ――ええ……ええ、ええ、さぁ、斬るのです。そして共に迎えましょう。新たな人生を。誰を斬ってもなんとも思わない。むしろそれこそが生きる目的なのだと。強者を求め、戦いを挑み、そして斬る。これこそが――


(これこそが……私の……)


 掲げていた刀を、風子は振り下ろした。

 瞬間――


「やめてぇぇぇぇぇぇ――!」


 ――な、に?


 その叫び声に、その手が何かに遮られるかのように止まったのだった。

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