第四話 戦嵐豪雨(3)
全方位から水龍が押し寄せてくる。
なによりも、龍を模ったそれは、風子に向かって巨大な顎を開き、まるで食い殺そうとしてきたのだ。
その光景は対峙するものに本能的な恐怖を与えるだろう。
だが、風子にとっては、むしろ強敵との戦いに震えていた。
真正面から襲いかかる水龍を横に動いて避ける。
その直後、横から来ていた別の水龍を叩き潰す勢いで斬った。
風のエレメントが付与された一撃は風の刃となり、そのまま水龍の体を真っ二つにしていくが、圧倒的な水の質量に、途中で勢いが死んだ。
しかも、斬った直後には水同士が結合し、元に戻っていたのだ。
水龍が何事もなかったかのようにそのまま顎を大きく開く。
その顎に飲み込まれる直前に、風子は真上に跳んだ。
それを見計らったかのようにまた別の水龍が迫る。
風子は刀を構えると、今度は斬るのではなく、その頭に向かって刀を突いた。
突きの形状で風の刃が押し出され、水龍の内部を最小限の抵抗で突き進んでいく。
そして水龍が、突き出した刀を飲み込み、そのまま風子をも丸飲みにしようとした寸前、風子は柄を持つ手をひねった。
それと同時、水龍の頭から胴体までが、まるで内部から爆発したかのように弾け飛んだのだ。
それは、水龍の内部に通していた風のエレメントによる突きにひねりを加え、水龍の内部で小規模な竜巻をつくったからだった。
その勢いに、水である水龍は抗えず弾け飛んだ。
「まず一頭」
その勢いに押され、後方へ落ちる風子。
その風子に、今度は下から水龍が昇ってくる。
風子は落ちる勢いに風のエレメントによる追い風で、逆に一気に間を詰めると、頭の上で刀を振りかぶり、そして、足を体の前へ縮め、刀を振り下ろした。
その勢いで、風子の丸くした体が回り、さらに刀から風を噴出させると、高速回転をし始めた。
そこに水龍がぶつかり、回転する風子がもつ刀によって、頭から胴体を真っ二つにされ、さらにはその勢いで水が弾かれ、再生もできなかった。
そのまま着地した風子は、全方位を見渡した。
「二頭目」
潰した水龍は二頭。
残るは七頭。
「そんなものですか? 口ほどにもありませんね」
挑発するように、刀の切っ先をミュールに向ける。
ミュールは、九頭もの水龍を全身で操っているため、その動きはまるで舞踊のように見えた。
それは水の如し、止まることなく流れるようにして絶え間なく動き続け、水龍を意のままに操る。
切っ先を向けられたミュールは言葉を発さず、代わりにほくそ笑んで見せた。
その表情に眉を寄せる風子。
風子の周りを、闘技場の広さいっぱいに水龍が様子を窺うように飛び交っている。
夜と暴風雨のせいで、水龍を組成する水が見えづらく、時々光る雷に、その姿が映る。
そして、雷光によって夜闇に慣れた目が再び真っ暗になった瞬間、風子はそれを気配だけで避けた。
水龍が目の前を横切っているのを感じた風子は、だが、その直後に今度は逆側からくる気配に、まだ最初の水龍を避けている最中だったために体勢が崩れており、対応しきれなかった。
「ちっ!」
それでも、体が勝手に反応するかのように、刀を盾に風を集め、水龍の体当たりによる衝撃を緩和させた。
吹っ飛ばされた風子は、それでも地面の泥水に足を滑らせながら止まると、ハッとし、後方に大きく顎を開いて待ち構えていた水龍を感じた。
「くっ!」
風子は刀にエレメントを送り込むと、『数多ノ刃』を発動させ、後方に迫る水龍を切り刻んだ。
まるで何十人もの刀使いが集団で一斉に斬りかかったかのように、水龍が細切れとなる。
「三頭目」
数が減るほどに、残る水龍を観察する余裕がでてきた。
「今度はこっちから参る!」
今までは回避と迎撃の一手だったが、ここから風子は反撃を宣言した。
ここまでの動きで、ミュールからは距離が離れており、この暴風雨では今の声が届いているとも思えない。
だから、その意図を示すように、風子は走った。
ただ走るだけではない。
風のエレメントが追い風を生み出し、ただの人には出せない速度を可能とさせる。
ぐんぐんと近づいていく風子に、ミュールは冷静だった。
空へと上げていた腕を勢いよく振り下ろす。
それに呼応するように、上空の水龍が同時に急降下し、風子へと突撃した。
風子はそれを避けようとはせず、愚直なまでにまっすぐ走った。
紙一重で風子の速度が勝り、水龍が背中すれすれを通る。
空ぶりに終わった水龍が、そのままの勢いで地面にぶつかった衝撃で水柱を上げた。
そして、同時に急降下した残り五頭の水龍がまるで見当違いな場所へと落ちたのだ。
疑問に思う風子は、それが自分を囲うように等間隔に落ちたことに気づいた。
だが、遅かった。
「『大渦潮』!」
ミュールが叫ぶと同時、九頭もの水龍によって急激に吸い上げられていた水路や競技場に降り注いだ雨水が、一気に戻ったのだ。
それは水路を決壊させ、闘技場をも水に沈めた。
それこそが、ミュールの狙いだったのだ。
あの九頭龍さえも囮に使い、この大技を狙っていた。
それこそが、『大渦潮』なのだ。
地面に落ちた水龍によって上がった水位。
それが渦を巻き、走る風子の足下をすくうと、そのまま飲み込み、渦の中央へと巻き込んでいったのだ。
闘技場をも飲み込む勢いの『大渦潮』だったが、ミュールよりも後ろは何の被害もなく、それはミュールよりも前方で発生していた。
その『大渦潮』と同じように、激しく舞いを回転させるミュール。
そして、回転がゆっくりになり、静かに止まると、あれほどまでに荒れ狂っていた渦潮がまるで中央に引き寄せられている力を失ったかのように、地面に広がり、外縁部の水路に流れ落ちていった。
ミュールや、その後ろで見守るフィリスとクリスの足を濡らし、カームはソラが溺れないように上体を抱き起していた。
そして、『大渦潮』の中央に位置する地面に、風子が倒れていたのだった。
「終わった……?」
フィリスの呟きに、ミュールが「まだよ」と答えた。
「風子の手から、あの刀を引き離さないと。おそらく、あれが元凶よ」
そう言って、ミュールは倒れる風子へと近づいて行った。
その足取りは重く、今にもふらついて倒れそうなほどだった。
それもそのはずで、ミュールは戦争終結後、水使いとしてすぐに第一線を退いたのだ。
ノアと再会するまでの間、故郷でもひたすら勉学に励み、平和な世界への役に立ちたいと必死に学んだ。
四大戦争時は、勉学よりもとにかくエレメントの実践だった。
なぜなら、子供は将来の戦力であり、そこに学は必要とされなかったからだ。
だから、ミュールは戦争が終わってから、積極的には水のエレメントを使わないようになっていた。
必要があれば使っていたが、こと戦闘などの目的には一切使用しなかった。
あくまで、人が生きる上で生活の役に立つようなことに使っていた。
これまでのエレメントは戦争の道具だった。
だが、これからの平和には、エレメントは生活を豊かにするために必要なのだとミュールは思っていた。
だから、ソラが生まれ、数年後にイリダータの学長に指名されたとき、それはミュールにとって願ってもいないことだった。
しかも、五彩都市アルコイリスは、まるでミュールの思いを体現したかのような、理想の都市だった。
まだ出来たばかりで至らぬ点もあったが、それでも、『どの国にも属さない、国の垣根を越えた、共存の都市』という理念がある限り、ミュールはそれを見守りたいと思った。
イリダータの学長になり、これからの若者たちに、希望のある未来を歩ませたかった。
それでも、戦争というものを忘れないようにするため、模擬的な戦闘などを経験させた。
取り組みの一環として、戦闘行為を競技という枠に押し込み、エレメントによる殺し合いから競い合いへと年月を経て、浸透させていった。
もう、エレメントを戦闘――誰かを殺すために使うことはない。
そう思っていた。
それなのに、【深淵】が目覚め、それに付随して闇の使徒もまた甦った。そして、闇の使徒との戦い。
やはり、闇の使徒は桁違いに強い。
戦争を経験したエレメンタラーならまだしも、ここにいる生徒たちはエレメントを学んでいる最中で、しかもそれは戦闘のためにではない。
戦闘に長けた生徒もいるが、それでも実戦の経験値はほとんどないに等しい。
そんな生徒に、闇の使徒など相手になるはずがない。
この学園で闇の使徒に対抗できるのは、自分か、ソラくらいだ。
カームやクリスは、純粋にエレメント量だけでいえば、ある意味では自分を越えているが、だがやはり実戦経験がない。
それは、先天的なエレメント量よりも大事な要素になりうる。
だから、このイリダータは、そしてここに通う将来有望な若者たちは、自分が守らなければならないのだ
たとえ、この身が朽ちようとも。
風子の前まで歩いたミュールは、仰向けに倒れる風子が、それでもまるで別の意思が働いているかのように、ぎゅっと刀を握りしめている手を見やった。
しゃがみ込み、その刀を離させようと、手を伸ばす。
空が光り、雷鳴が轟いた。
「油断大敵ですよ」
伸ばす手が止まり、代わりに腹部に何かがつっかえた。
視線を下げると、まっすぐに伸びる刀が、腹部の左側に突き刺さっていたのだ。
そして、仰向けに倒れていたはずの風子が上体を起こし、勝ち誇っていた。
これは、確かに油断していた……。
突き刺さった刀を中心に、濡れた衣服に赤い染みが広がっていく。
風子が刀を引き、抵抗なく切っ先が抜かれると、まるで栓を抜いたかのように血が流れ出した。
その血は腹部から下腹部、太ももを伝い、足下の泥水にじわりと広がっていったのだ。
傷口を押さえるも、血は止まらず、むしろ雨のせいで血が吸い上げられるように流れていく。
意識が揺らぎ、倒れそうになるが、それでもミュールは意識を決して手放すまいと鋼の意志で保ち、風子をまっすぐに見据えた。
もうミュールには何もできない。
できることは、倒れずに、最後まで風子を見ていることだけ。
「終わりです」
立ち上がった風子が刀をゆっくりと持ち上げ、切っ先を空へと向けたところで止める。
「……」
「……」
見上げる者と見下げる者――両者ともに言葉を交わすことはない。
だが、交わされる視線が、互いの意志を伝えあう。
そして、風子が刀を振り下ろそうとした瞬間――
「なっ……に……ぃ」
まるで誰かがその手を掴んだかのように、風子の手が止まったのだった。




