第四話 戦嵐豪雨(2)
暴風と豪雨によって闘技場内に満たされる水と風のエレメント。
逆に火のエレメントは、文字通り鎮火したように静まり返り、地のエレメントも、大地を大量の水が覆ってしまっているため、干渉にづらい状況になっていた。
特に、クリスは雨と相性が悪い。
クリスの『恒河沙』は、砂を操ることであり、その条件には、砂一粒一粒が独立――つまり乾燥していなければならないのだ。
雨によって水を含んだ砂は泥となり、極端に扱いが難しくなる。
クリスの『恒河沙』は先天性に影響している部分が多く、彼女自身、砂を操作できることが当たり前で、感覚的に操っているのだ。
そのため、こういった場合の対処方法がなくなってしまう。
先ほどのカームの突発的な行動の補佐も、単調だからできたものの、戦いとなれば、扱いに苦戦するだろう。
エレメントとは自然の力であり、それらは生かし合い、そして殺し合う。
水は火を消し、風は火を燃え上がらせる。
地は火と通さず、しかし水には脆くも崩されてしまう。
今この場を支配しているのは、間違いなく水だ。
そして、その水を操っているのが、大陸最強の水使いなのだ。
そのミュール・ミラーが、風子の攻撃を巧みに避け、そのすべてに対応している。
ミュールは、【水龍】という名の最高位を冠している。
四英雄の最高位は、それぞれのエレメントの特徴を表しており、ミュールの【水龍】も、彼女が得意としていた九頭龍と呼ばれる九頭の水龍を自在に操ることに由来している。
四大戦争時には『九龍の舞姫』と呼ばれ、恐れられていた。
ミュールがいることが、こんなにも心強いと思ったのは初めてだ。
イリダータの生徒からすれば、ミュールという存在は、やはり学長なのだ。
だが、いま目の前にいるミュールは、水使いとして立っている。
カームやフィリス、クリスが束になっても、あの風子に勝てる気がしない。
それほどまでに、刀使いとは規格外の存在なのだ。
だから、もし……万が一にもミュールが倒れることがあれば、この場にいる全員が死ぬことになるだろう。
「……ソラ」
しゃがみ込む目の前で仰向けになって気を失う少年。
風子が地面に刺さった刀を抜いた瞬間、それを中心に、莫大な衝撃波が発生したのだ。
それを、ソラは瞬時に見極め、そして咄嗟にそれを相殺するように風のエレメントで壁をつくった。
そのおかげで、ソラの後方にいた、カーム以外のみんなが無傷で済んだのだ。
(私たちは、いつも守られてばっかりだ)
暴風雨で濡れたソラの髪の毛を撫でる。
今が夏直前といえども、これだけの雨風が受け続けていれば、体は冷える一方だ。
それに加え、ソラは気を失っている。このままではどんどん体力を失っていくだろう。
(今の私は戦うことができない)
特殊素材の黒い手袋も濡れ、発火もできない。
できたところで、この場に火のエレメントはない。
(だったら――)
右手に刀を掴んだまま、カームはソラに覆いかぶさるようにした。
「カームさん?」
クリスが、カームの行動に目を見張る。
カームは構わず雨を背中に受けるようにして、ソラの顔が濡れないようにした。
そこから体を下ろし、ソラの顔を胸に当て、そっと抱きしめる。
(私の、私にしかできないことをするまで)
この場に火のエレメントはない。
ならば、自分の体内の熱を使うのだ。
闘技場で観戦していたとき、雨風から己の身を守ったように、それを応用して、ソラへとこの熱を伝えるのだ。
(ソラ……)
少年を思い、ぎゅっと抱きしめる。
全身から赤のオーラが仄かに沸き上がり、それがソラの全身へと伝わっていく。
その様子を見ていたクリスも、カームのやろうとしていることに気づき、無防備となる二人を守るように、前に立ち塞がってくれた。
(お願い……ソラ……目を覚まして……)
ソラを抱きしめるカームは、一心に願い続けたのだった。
※
「忠告よ」
そう言って、ミュールは風子を睨みつけた。
「今すぐ、その体から出ていきなさい」
「一体何のことですか?」
風子が本気で眉を寄せる。
怪訝というより、奇妙に感じているようだ。
どうやら、風子は本気で自分が東雲風子だと思っているらしい。
だが、そうやって力を与えてふるわせ、相手を傷つけさせて、溺れさせ、最後には本人の意思に自分の思考を混ぜ、取り込む。
そうすることで、東雲風子という『器』を手にすることができる。
一ヶ月前にクリスを襲った一連の出来事で、闇の使徒の目的が発覚した。
クリスのときは、ソラが全面的に活躍し、それを阻止した。
だが、今この場にソラは立っていない。
自分を含めた全員を守るために身を挺し、気を失ってしまった。
ソラならば、アビーと楓から、肉体的な特訓を受けていただろう。
つまり、異様なほどに打たれ強くなっているのだ。
痛みにひるむこともなく、怪我さえも押し通す。
骨を折ることもあったかもしれない。
何度も気絶したかもしれない。
だが、それが糧となり、あらゆる状況にも冷静に対応、対処できる力を手に入れることができたのだ。
そして、打たれ強くなれば、どんな攻撃に対しても意識を保つことができる。
だが、そのソラが倒れた。
相当な――それこそ特訓でも味わったことのないほどの衝撃だったに違いない。
ソラが動けない今、この場はミュールが守るしかない。
カームとクリスは暴風雨のせいでエレメントが使えず、フィリスは同じ水使いであるために優勢だが、いかんせん経験値がない。
戦闘における経験値は非常に重要だ。
風子の右手に握られている刀『音無』、そしてその刀から織り成される不可視の技『数多ノ刃』――それは、闇との大戦で、楓とジズの戦いを見ていたために対策ができたのだ。
ここにミュールがいなければ、ソラでも危なかったかもしれない。
ましてや他の三人ならば、気づくことなく首を落とされていてもおかしくはない。
『奴』に慈悲も情けもない。
殺しを求める狂気と、強い相手を求めることによる狂喜のみ。
絶対に、奴に東雲風子の器を渡してはいけない。
そのためには、奴が求めるものを与えてはならないのが絶対条件となる。
つまり、誰かひとりでも風子の攻撃によって命を落とせば、風子は望まぬことをさせられたと心を閉ざし、そして人を斬ったことによる奴の狂喜が勝り、意識を上書きされてしまう。
こうして一対一での死闘は、実に十五年ぶり。
気が付けば、自分ももう三十を過ぎ、それすらも折り返しに差しかかっている。
一年経つごとに、己のうちに宿るエレメントの量がわずかながら減っていっていることに気づく。
だが、奴らは、十五年前に屠ったのを機に肉体を失い、そして精神を闇と化し、密かに生き続けていた。
その力も衰えることを知らず、全盛期のままだ。
今は、経験による優越性によって場の支配できているが、それもあまり持たない。
それまでにソラが目を覚ましてくれることを祈るしかない。
少しでも時間を稼ぐ。
今の風子は、すでに奴を受け入れてしまっている。
つまり、説得などといった方法は効果がなく、どうにかして引きはがすしかないのだ。
それができるのは、一ヶ月前にクリスからベヒモスを引きはがすことができたソラしかいない。
「いいわ。だったら――」
ずっと泥水につけていた両手から、伝わってくる。
「手加減は無用ね」
そう言って、ミュールから、まるで天にも昇りそうなほどの勢いで青のオーラが放出された。
そして、ミュールを中心に地面を伝って九本の青いオーラによる線が外縁部の用水路に向かって走る。
九つすべてのオーラが外縁部に辿り着くと、そこから溢れんばかりの水柱が上がった。
全部で九本――いや、九頭。
それらは、まるで彫刻を施されたかのように、龍が模られていた。
戦後、水使いの間で広まった水龍。
それは、呼び出せる数、そして操る力量などによって、水使いとしての能力を表す指標となり、広く浸透するようになった。
水龍といっても、その見た目は水そのもので、龍と名付けられているのも、その動きが龍のように見えるだけで、実際、四大戦争時にそれを得意としていた『九龍の舞姫』ことミュール・ミラーも、呼び出した九頭の龍は、あくまで表面張力には逆らえず、龍ならば顔に当たる部分も丸くのっぺりとしていた。
だから、いま目の前に現れた九頭の水龍が、龍そのものを模っていることに、誰もが驚きを隠せなかった。
この暴風雨も、目の前の九頭龍が巻き起こしているのではと感じ、そしてその音がうなり声のように聞こえるのだ。
誰もが、九頭の水龍にまで辿り着けない。
ソラでさえ、現時点では七頭。
だが、これを見た者は、絶望するだろう。
なぜなら、ただ九頭の水龍を呼び出せるようになるだけでも不可能に近いのに、そこからミュールはさらに上を行っていたのだ。
ミュールが立ち上がり、両腕を広げる。
「『九龍の舞姫』の力、見せてあげるわ!」
そう言って、ミュールが動いた。
それはまるで、名の通り舞っているようで、その手や足、体全体の動きに、それぞれの水龍が反応し、そして風子に襲いかかったのだった。




