第四話 戦嵐豪雨(1)
暗闇の暴風雨のなか、風子が佇んでいる。
そのただならぬ気配に、フィリスにクリス、そしてミュールさえも迂闊に動こうとはしなかった。
風子の右手に握られている刀が、緑と黒を綯い交ぜにしたオーラは放っていたからだ。
その禍々しいまでのエレメントが、その正体を如実に伝えてくる。
「まさか、闇の使徒……」
フィリスの言葉に、ミュールが首肯する。
「ええ、あの刀……見覚えがあるわ。ジズと名乗っていた闇の使徒が持っていたものよ」
闇の使徒のひとり――風使いにして刀使いの男。
「でも、あの刀は、楓が破壊したはず……」
大戦時のことを思い出しているのか、ミュールが風子の持つ刀を見つめる。
よく見ると、鋼そのものではなく、闇で刀の形をつくっているように見える。
「いえ、それよりも問題は……」
ミュールの視線が、刀からその持ち主となっている風子へと向けられる。
風子はいまだに動きを見せないでいる。
肩越しに振り返り、倒れているソラを見やる。
ミュールとフィリスが庇うようにして前に立つその後ろで、クリスがソラの容態を確認している。
と、風子が前に足を踏み出した。
それだけで、異様な威圧感がミュールを襲った。
「待ちなさい」
それでも、戦争という極限状態を経験し、生き延びたミュールは、沈着冷静そのもので臆する様子もなく、むしろ立ち塞がるようにして自分も一歩前に出て、右手のひらを向けた。
「今のあなたは、東雲風子? それとも……闇の使徒?」
風子が足を止める。
「何を言っているのですか? 私は東雲風子です」
そう言う風子は顔を上げるも、その相貌はまるで彼女らしらなぬ嗜虐に満ちた笑みを浮かべていた。
「違う! 風子はそんな顔しないわ!」
思わずと言った様子で、フィリスが声を荒げる。
自分よりも前に出させないように、ミュールが腕を水平に上げて、フィリスを静止させた。
「フィリス殿……たかが数日を共にしただけで、私の何を知っているというのだ?」
「――! そ、それは……」
言い淀むフィリスに、風子が両腕を広げて見せる。
「これが私だ」
「違う……違うのに……」
切実な声が、背中に響く。
「東雲風子、いますぐにその刀を離しなさい。もしそれ以上近づくのであれば、あなたを、我が校の生徒を傷つけようとする害とみなし、実力を持って制圧します」
そう言った直後、まるで見せつけるかのように、ミュールの全身から青のオーラが沸き上がった。
「四英雄――【水龍】のミュール・ミラー。相手にとって不足はない」
風子が笑むと、その刀からまるで今まで抑えていた栓を外したかのように、ミュールのオーラにも劣らないほどの緑と黒のオーラが溢れ出た。
「この暴風が、私《《たち》》に味方していることをお忘れなく」
対峙する、ミュールと風子。
一触即発の緊迫感のなか、ミュールが肩越しに振り返った。
見るものが見れば、敵から視線を逸らすなど、と思うだろう。
それでもミュールは振り返り、そしてフィリスとクリスに向かい、
「ソラのこと、よろしくね」
そう言って正面へと顔を戻し、
「私の大切な生徒には、指一本触れさせないわ!」
「いいでしょう。では、まずはあなたから、この『音無』の餌にして差し上げましょう」
そして、風と水――二つのエレメントがぶつかり合うのだった。
※
観客席にいたカームは、高見から状況を観察しつつ走っていた。
ソラから預かった刀を手に持ったまま円状の観客席を駆け、西側控室の真上まで移動すると、
「クリス!」
と倒れるソラの横でしゃがみ込んでいるクリスを呼んだ。
クリスが顔を上げ、目と目が合う。
それからカームは観客席の縁に足をかけるのを見せると、クリスは驚いた顔をしながらも、カームがやろうとしていることに気づき、頷いて見せた。
それを確認したカームは思い切って闘技場に向かって跳び下りた。
闘技場の地面がものすごい勢いで迫る。
そのまま着地すれば骨折は免れない。
だが、地面から砂の手が二本生えると、カームの足を掴み、地面に向かって引っ張るようにして着地させたのだ。
「ありがとう、クリス」
「いえ」
「ソラの様子は?」
「気を失っていることしか……」
仰向けに倒れるソラは意識を失っていた。
「多分、大丈夫よ」
「どうして分かるんですか?」
「刀を握ってる」
カームの視線に、クリスもその方向へ視線を向ける。
倒れるソラの右手には、絶対に手放すまいと言わんばかりに刀が強く握りしめられていた。
「ソラはきっと、私たちを守るために盾になってくれたんだと思います」
「そうね」
あのときの、まるで刀に向かって落ちてきた雷のような閃光と衝撃。
それをソラは己自身と己のエレメントを使って防いだのだ。
避けようと思えば、風のエレメントをまとったソラならば避けられただろう。
だけど、そうしなかった。
そのせいで、ソラはその小さな体ひとつで衝撃のすべて受け、気を失ってしまった。
だがそのおかげで、離れた場所にいたカームを除く五人は無傷で済んだのだ。
もし、今の風子と相対するならば、それはソラが適任だろう。
だから、本当ならソラはクリス達を見捨て、ひとりになろうとも風子と戦わなければならなかったのだ。
だが、ソラはそうしなかった。というよりも、これは今の状況を冷静に考えた結果であり、あの場での咄嗟の行動ならば、ソラの選択は――いや、ソラには選択肢すらなかったのだろう。
ただ、守る――それだけを、考えていたはずだ。
「でも、今の私たちには何もできない。歯がゆいわね」
「……はい」
悔し気に、ミュールの背中を見やる二人。
今この場を支配しているのは、水と風のエレメントだ。
火は気配すら感じず、地も、大量の雨水に蓋をされたようになっているため、極端に扱いにくくなっているのだ。特に、砂を操るクリスにとっては致命的だ。
カームの跳び下りを補佐できたのは、局所的にエレメントを集中、かつ短時間だったためにできただけで、この状況で一ヶ月前のような大規模な技を使用することは、クリスであろうとできない。
雨は、火使いと地使いにとっては天敵のような存在なのだ。
だが、役に立てないカームとクリスに代わって、ミュールが風子に立ち塞がっている。
この状況は、まさに水使いにとって水を得た魚。
風子から感じる威圧は半端ではないが、それでもミュールが前に立ってくれていることが、二人を安心させた。
その後方に立つフィリスも、同じ水使いとして、何かしら役に立ちたいと思っているだろう。
だが、あの二人の間で勃発する戦いには、手出しできないはずだ。
フィリスはフィリスで、歯がゆいだろう。
そうして、カーム、フィリス、クリス――いずれもただ、見守ることしかできなかった。
※
島国の二大流派である東雲と南雲。
東雲流抜刀術の基本にして極地である『二ノ太刀不要』。
ひと振りに意識を全集中させ、絶対の勝利をものにする。
そのひと振りですべてが決まり、そして終わる。
東雲の技は、決闘などの一対一が条件に限り、無敵なのだ。
対し、南雲は閉鎖的な東雲から離反した者たちの集まりで、いわゆる戦闘狂だった。
刀も、己が心身を鍛錬するためではなく、より強く、そして殺しをするための道具に過ぎなかった。
そんな南雲の技は、四大戦争のおける大規模の戦いを想定しており、それを元に生み出された技は、まさに狂気であり、刀使いの名を大陸中に轟かせることとなった。
それこそが――
「『数多ノ刃』!」
風子がその場で、刀を垂直に振り上げる。
ミュールとの距離は離れており、刀の刃が届くはずもない。
それにも関わらず、ミュールは左に避けた。
その瞬間、ミュールが立っていた空間に風が吹いた。
降っていた雨が弾かれ、そして、地面が斬れたのだ。
「何、今のっ!」
斜め後方に立つフィリスが瞠目する。
「よく分かりましたね。初見で見切れるとは……」
「ええ、初見なら斬られてたわ」
そう言って、ミュールは睨みを利かせた。
「その風の刃――大戦で見たわ。そう……南雲雷禅が使っていたわね」
その言葉に、風子が口元に笑みを浮かべる。
「風のエレメントによる不可視の刃。初手は避けられましたが、では……これはどうですか?」
風子が刀の切っ先をミュールに向ける。
なにが来るのか、フィリスには想像すらつかない。
だが、ミュールは切っ先を向ける風子と目を合わせたまま、唐突にしゃがみ込んだのだ。
その行動に風子が微かに動揺を見せる。
ミュールがしゃがみ込んだ頭上を《《後ろ》》から風の刃が通り過ぎたのだ。
「よく気づきましたね」
それでも、風子は余裕を見せていた。
「暴風があなたに味方をしているのなら、この豪雨は、私に味方しているのよ」
「なるほど」
風子が納得したように呟く。
常に風が発生している状態で風のエレメントが闘技場を満たすのと同時に、絶え間なく降り注ぐ豪雨もまた闘技場を満たし、その雨の一粒一粒が死角となっている後方のあらゆるモノの動きを伝えているのだ。
「すごい……」
その背中を見守っていたフィリスが思わず呟いてしまうほどに、それは驚異的なことだった。
「さすがは四英雄です。では、これにはどう対応しますか?」
風子が刀を真上に突き上げる。
いまだしゃがみ込んだまま両手を泥水に付けるミュールが顔を上げる。
その頭上――ミュールを囲むように、うっすらと緑色で形作られた八つの風の刃が現れた。
息をのむフィリス。全方位を囲まれ、あれでは避けることができない。
八つの刃が同時にミュールへと高速で襲いかかる。
だが、それよりも速く、ミュールが動いていた。
ミュールの足元から水が沸き上がり、球を形成したのだ。
その水球に覆われたミュールを、風の刃が斬る。
だが、八つすべての刃を、水の膜が防いだのだ。
あまりの高速な攻防に、フィリスは自分ではとてもではないが対応できないと感じていた。
風子がかすかに眉を寄せる。
球状の水の膜越しに、ミュールが風子を睨みつけた。




