第三話 長い夜の決闘(4)
「一体、どういうつもりなの?」
フィリスの呟きに、しかし誰も応えられるものはいない。
「ソラ……」
不安げに、二人を見守るクリス。
隣に座るエラが、その小さな肩に寄り添う。
「フィリスさん、やっぱり、みんなにも知ってもらった方が……」
エラとは反対側に座るフィリスに、思わず縋ってしまう。
いざ決闘が始まった途端、クリスは不安で仕方がなかった。
「何のこと?」
問い詰めると言うよりは、相手から口を割ってほしい気持ちが込められたエラの声音に、クリスはますます風子に告げられたことを隠してはいられなくなっていた。
そんなクリスの表情を読み取ってか、フィリスが代わりに口を開いた。
「私とクリスは、控室まで風子に付き添っていたの。そのとき、本人の口から、この決闘の末路を聞かされたのよ」
クリスが顔を伏せ、エラがフィリスに視線で問いかける。
「この決闘で生き残るのは、勝者ひとりだけ。敗者は……死ぬ」
フィリスの言葉に、エラが両手で口を押え、息をのむ。
ひとつ後ろの席に座って聞いていたレイも、声を上げることはなかったが、どこかやりきれないような表情を浮かべていた。
「そんな……だったら、止めないと!」
エラは動揺しているのか、咄嗟に立ち上がり、駆け出そうとした。
「その必要はないわ」
最前列に座っているカームが、振り返ることなく、エラを止めた。
「でも……」
それでもエラは納得いかないのか、カームに食いかかる。
「エラ、あなたはソラからそのことを何も聞かされてはいないのよね」
「……はい」
「その意味を、察しなさい。そして、見届けるの。ソラのやろうとしていることを」
「……カーム?」
フィリスが眉を寄せる。
ひとつ前の席に座るカームは振り返ることも、動じることもない。
だから、その表情を読み取ることもできない。
ただ、ソラから預かったという刀を大事に抱きしめていた。
※
「どういうつもりだ、少年」
抜刀の構えから、風子が睨みつける。
「私を馬鹿にしているのか」
「そんなことは絶対にありません。ボクは風子さんの挑戦を受ける側です。だから、この決闘で、ボクは受けに徹します。だから、風子さんは遠慮なく、自分の思う瞬間で斬り込んできてください。ボクは、それに全身全霊でぶつかります」
「ふざけるな!」
思わず風子は叫んでしまった。
「この距離、それに圧倒的に不利な状況で、私に勝つだと……」
あまりの悔しさに、噛み合った歯と歯がこすれ合う。
ソラはそれ以上なにも言わず、ただ無型で立つだけだった。
「いいだろう。その驕り……あの世で後悔させよう」
抜刀の構えをより深く、柄を掴む手にも力がこもる。
この距離、そして、構えを解いているソラと、いつでも抜刀することができる風子。
東雲流抜刀術の極意は、『目にも止まらぬ速さ』を越えたさらに先――『目にも映らぬ速さ』なのだ。
それはつまり、構えているかいないかの違いが、容易に生死を分けることになるということ。
それを理解しているからこそ、風子は頭に血がのぼり、声を荒げてしまった。
だが、それではいけないと冷静さを取り戻す。
ソラは受けに徹している。
ならば、風子には心を冷静にする猶予があり、ここぞという瞬間に刀を抜くことができる。
少し高鳴っていた心臓の鼓動がおさまり、冷静さを取り戻していく。
そう、いつも通りでいい。
ただ、最速をもって、抜刀するだけ。
それだけだ。
(……)
それだけなのだ。
(……)
それなのに、
(……くぅ)
どうして――
※
気が付けば、正午の鐘が鳴っていた。
「もうお昼なのね」
フィリスが、視線を逸らさず、ぽつりと呟く。
「あっ、俺、みんなの分の昼飯買ってきます」
「待ちなさい、レイ」
レイが立ち上がり、駆け出そうとしたところで、背中越しにカームに呼び止められ、レイは思わずと言った様子で振り返ると、
「これで、みんなの分、好きなものを買ってきなさい」
その言葉と一緒に飛んできた革製の財布を受け取った。
「あ、ありがとうございます」
カームの背中に向かって頭を下げるレイ。
「待って、ひとりじゃ大変よ。私も行くわ」
クリスに寄り添っていたエラが立ち上がり、レイと一緒に闘技場をいったん離れた。
「それにしても、動かないわね」
「はい」
朝から始まり、そして昼を迎えても尚、ソラと風子は動かなかった。
ソラは相変わらず立っているだけで、風子はいつでも抜刀できる構えでいる。
にも関わらず、風子はいつまで待っても攻撃を仕掛けようとはしないのだ。
なにが、風子の攻撃を思い留まらせているのか。
思い当たるのは、風子が相対する存在――つまり、ソラだ。
だが、フィリスが驚いているのは、ソラと風子、そしてそれを見守っているカームもまるで微動たりしていないということだった。
ただソラの刀を抱き、一心に、決して見逃さないという気迫だけが伝わってくる。
この決闘は、一瞬で終わる。
刀使いの凄さは、風子の実演で目の当たりにしている。
あの速さで、二人がぶつかり合うのだ。
顔を背けるなど言語道断で、視線を逸らすことすら憚れ、瞬くだけでも見逃してしまうのではという恐怖から、自然と回数が減ってしまいそうなほどなのだ。
「これはもしかしたら」
「本当に、いつ終わるか分かりませんね」
「ええ。それに……」
フィリスが空を仰ぐ。
朝は白かった雲が、どんどんと灰色を濃くしているのだ。
風も肌で感じられるように吹いている。
「なんだか嫌な雲だわ。イリダータに来てから嵐なんて一度もなかったけど、もしかしてもしかするかもしれないわね」
すぐに終わると思い、それこそ見逃してはならないと体を硬直させて見守っていたが、いつまで経っても動きがなく、緊張の糸が切れてしまい、今はむしろほんの少しだけ心に余裕をもてるようになっていた。
それでも、この決闘の結末が変わることはなく、ちょっと目を離した瞬間、どちらかが地に伏し、血を流しているかもしれないのだ。
今、観客として座っているカームやフィリス、そしてクリスたちの心境は、非常に複雑だろう。
どちらかの死を見届けなければならず、だが緊張感は続かず、目をそらしてはいけないはずなのに、だからといって現実的に見つめ続けるなど不可能で、休憩も挟むようになる。
人の命がかかっているにも関わらず、だ。
天候の変化にも機敏となり、いつ雨が降るのかと心配する余裕すらできてきた。
もし嵐が来れば、今日の夜は荒れに荒れるだろう。
フィリスの出身の水の国では、ハリケーンと呼ばれる大型の暴風雨がよく沿岸部を中心に襲いかかり、多大な被害を出している。
あれと同じものが来るとなれば、ここも安全ではなくなってしまう。
それまでに、決着がつけばいいのだが。
(何を考えているのかしら、私は――)
決着がつくということは、どちらかが死ぬということ。
そんなことを望んでいるはずがない。
気を取り直して二人を見下ろす。
まったく変わらない二人が、いまだにそこにいた。
※
正午を過ぎ、風が強くなってきた。
まだ。
いまだに踏み込めない風子。
この決闘に、時間制限はない。
そして、ソラは受けに徹すると言った。
それは、あらゆる好条件が風子のタイミング次第で自分のものとなるということ。
あとは、それを待てばいいだけ。
その瞬間が来るまで、何時間であろうと待ち続ける。
大事なのは、その瞬間が来たと同時に抜刀することができるか。
人の集中力というのは、そう何時間も持つものではない。
だが、風子はこれまでの母との特訓で、たとえ一日中であろうと待ち続けることができる。
それだけの胆力も身に付けているし、体力だってある。
つまり、風子が負ける要素など、何ひとつとしてないのだ。
(それなのに……)
どうして踏み込めない。
最初の一歩。
この一歩さえ踏み込めれば、あとは風に身を任せ、抜刀するだけなのに。
それなのに、この足が前に出ようとしない。
負けるはずがない。
ソラより遅いわけがない。
自分は、東雲の正当な後継者なのだ。
そのために六歳からこの十二年間、ずっと鍛錬してきた。
一日だって怠ったことはない。
母に何度も負け、次第に追いつき、今で母よりも速くなった。
その時点で、風子よりも速い者はいなくなり、あとはただひたすら己を鍛え上げた。
母からも認められ、当主の証である宝刀の所持者である楓を探す旅に出て、そうしてようやく会えた。
遠目で佇む楓を見た瞬間、自分を試してみたい衝動に駆られた風子は、気配を断ち、そして追い風が吹いた瞬間、飛び込んだ。
そして、絶対の自信をもって抜刀した。
だが、結果は散々だった。
心のどこかで、もしかしたらと思う自分を恥じ、自信も砕かれた。
それでも、相手はあの東雲最強の刀使いであると言い聞かせた。
自分こそが最強なのだと、どこかで驕っていた。
だが、それはまさに『井の中の蛙、大海を知らず』であり、広い世界に出て同じ刀使いと出会ったことで自分という存在の小ささを知った。
絶対の自信の崩壊。
そして、目の前のソラは、その絶対の位置に君臨する東雲楓が認めた愛弟子なのだ。
だからなのか。
この足が動かないのは……。
風子はソラの実力を知らない。
この一週間、ソラはエレメントの使用を禁止されていた。
だから、見たくても見ることができず、今日になってようやくソラのエレメントが解禁されたのだ。
そんなソラと対峙しているだけで、ひしひしと伝わってくる。
踏み込もうと思った瞬間、圧がかかってくるのだ。
そして、その瞬間、自分が地に伏す姿が脳裏に浮かび、二の足を踏んでしまう。
ソラは構えてすらいない。
それどころか、自然体でただ立っているだけ。
甘く見られてるとしか思えないのに、その態度が、楓の雰囲気と重なって見えるのだ。
持久戦になるのは分かっていた。
勝負は一瞬。
その瞬く間の一閃が交わるまでの間の長い時間こそが、この決闘では重要なのかもしれない。
(いいだろう。それなら、その勝負、受けて立つ)
一日だろうが二日だろうが、勝機が見えるまで待つ。
そして、その瞬間が風子の勝利となる。
機を狙うは、たったの一度のみ。
それが、東雲流抜刀術の唯一の太刀――『二ノ太刀不要』。
このたった一度の抜刀に、すべてを懸けるのだ。




